天才の弱点 ― 幼女帰りと、初めての黒星
初段となった朝倉桜。
初段昇段後も彼女の無敗記録は続き、将棋界では早くも「朝倉旋風」などと騒がれるようになっていた。
しかし彼女には、一つだけ“致命的な弱点”があった。
それは、糖分切れである。
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その日は朝から対局が立て込んでいた。
時間の都合で朝食が軽めだったことに加え、持ち歩いていた砂糖系アイテムを家に忘れるという致命的なミス。
——それは、彼女の「神の脳」が正常に働かなくなる合図だった。
対局開始後、彼女の手は徐々に重くなり、読み筋は崩れ、ミスが増えていく。
観戦していた師匠の高坂光吾は、眉をひそめた。
(……おかしい。あの桜がこんな初歩的な指し回しをするなんて)
そして、ついに訪れた。
「……負けました」
投了の声はかすれていた。
対局室が一瞬、静寂に包まれた。
「えっ、朝倉が……負けた?」
棋士たちの間にざわめきが広がる。
だが、次の瞬間——
「……うぅ……あまぁいの……ない……ふらふらする……ぬいぐるみ……ほしい……」
対局室の隅で、朝倉桜がふらつきながら座り込み、小さく丸くなっていた。
彼女はそのまま、机に顔を埋めて、もぞもぞと幼児のように小さく震えている。
「……お、おい!? 朝倉!?」
「あ……あの……チョコ……あったかな……」
困惑する周囲の棋士たち。
だが、場の空気は次第に“ある種の和やかさ”に変わっていった。
「……朝倉さん、これ。飴ちゃん。梅味だけど……」
「おい、ジュースあったぞ、砂糖入ってる!」
「タオル……いやぬいぐるみ代わりにならんかな、これ」
あれほど神のように怖れられていた天才少女が、**“糖分が切れたらただの幼女”**になるという事実は、周囲にとって逆に強烈な癒しとなった。
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対局後、桜は師匠に肩を抱えられながら帰路についた。
「……無念です。ですが原因は明確。対策します」
「おう。だから言ったろ? チョコは忘れるなって」
「……次は飴を服に縫い込みます。備えます」
糖分依存の天才は、今日も少しだけ人間らしさを見せながら、次の勝利を目指す。
そして彼女の黒星——それは「人類初の“糖分負け”」として、将棋史に刻まれることとなった。
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