暇つぶしの才能
朝倉桜は、いつも通り朝の時間に将棋の定石を一巡させたあと、淡々と机にノートパソコンを広げていた。画面には、日経平均、S&P500、ビットコインのチャートが並ぶ。
「また、それを見てるのか?」
師匠の高坂光吾が、台所からココアを持ってきながら尋ねる。
「ええ。リアルタイムで確認しないと。反応が遅れると利幅が取れません」
「利幅って……桜、まだ小学生だぞ?」
「でも、証券口座は師匠の名義ですから。問題ありません」
そう答える桜の表情は相変わらず無表情。将棋盤を睨むときと同じ顔で、彼女は世界経済を見つめていた。
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数日前、そんな興味が芽生えたのは、師匠との何気ない会話からだった。
「桜。将棋だけじゃなくてさ……何か、他にやりたいこととかないのか?」
高坂がそう尋ねたのは、奨励会の準備が一段落したある日の午後。将棋以外の分野でも、自分の教え子が何かを見つけられるならと思っての、純粋な親心だった。
「投資ですね」
即答だった。
「なんでまた?」
「時間を使って、お金を増やすゲーム。ゲームは得意です。将棋と同じで、盤面を読むだけです」
その言葉に、高坂は思わず笑ってしまった。
「お前な……普通、小学生がそんなこと言わねえんだよ」
「知ってます。でも、暇なんです」
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それからというもの、桜は投資関連の専門書を次々に読み漁り、FX、株、暗号通貨、コモディティ取引にまで手を伸ばしていた。昼は将棋。夜は市場の動向をチェック。桜にとっては、どちらも“盤面を読む”という意味では変わらなかった。
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「これ、どうですか?」
桜が師匠に一枚のレポートを手渡す。そこには、直近半年の日本企業の決算情報をもとに、投資先として有望な銘柄が並べられていた。
「……お前、本当に小学生か?」
「見た目はそうです。でも、脳の配線は違うようです」
「そうか……じゃあ、せっかくだ。お前の“読み”に、ちょっと賭けてみるか」
「ええ、暇つぶしになりますから」
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それから数ヶ月後――
師匠名義の口座には、数百万円の含み益があった。
「……なあ、桜。将棋辞めて投資家になる気は?」
「嫌です。将棋の方が難易度高いですから」
「じゃあこれは?」
「ただの暇つぶしです」
またも変わらぬ無表情で、彼女はココアを啜りながら、スクリーンのチャートを睨んでいた。