師匠の出会い
高坂光吾。かつては名人戦にも出場した実力者だったが、体調を崩し若くして引退。現在は地元の小さな将棋教室で子どもたちに将棋を教えている。
彼が朝倉桜と出会ったのは、偶然だった。教室の隅で、子どもたちに混じって将棋を指していた桜は、ひと目で「何か違う」と分かる存在だった。
異常なほど冷静で、無表情。なのに盤面の読みは尋常ではなく深く、子どもどころか、大人でも太刀打ちできない。
「……ちょっと、指してみるか?」
高坂は思わず声をかけていた。
*
数分後。対局は静かに終わった。
「……こりゃ、化け物だな」
ぼそりと呟いた高坂に、桜は首をかしげる。
「どうしましたか? 私、何か変でしたか?」
「いや、違う。完璧すぎて言葉を失ってるだけだ」
高坂はその場で決めた。この才能を放っておくのは、将棋界にとっても罪だと。
「朝倉さん、家の人に話して、一度うちの教室に正式に通ってみないか?」
「家……?」
その言葉に、桜のまぶたがわずかに震えた。
*
その夜、高坂は桜の家を訪れた。築年数の古い家の中で、両親はソファに座りスマホをいじっていた。
「朝倉桜さんの件でお話を——」
「将棋? ああ、なんか最近よく行ってるみたいですね。別に好きにしてくれて構わないんで」
「あの……少し、話を」
高坂が真剣に桜の才能について話し始めると、両親は面倒くさそうに答えた。
「別に、連れてってもらってもいいですよ? ご飯代だけは振り込みますから、勝手にやらせてください」
その言葉に、高坂は寒気のようなものを感じた。
桜が“壊れている”のではなく、“壊されてきた”のだ。
*
「今日から君は、うちの弟子だ。俺が君をプロにしてみせる」
高坂の言葉に、桜はただ一言だけ呟いた。
「……はい」
心からの返事ではない。けれど、その日から確かに、朝倉桜は変わり始めた。
それは、将棋の世界が神に選ばれた幼き天才に支配されていく、始まりだった。