家族という名の無関心
朝倉桜は、生後三日で泣くのをやめた。
泣けば誰かが駆けつける、それは本能の信号だ。
だが、桜はすぐに理解した――泣いても、意味がない。
父はリビングでスマホを眺めながらたまに「ああ」と答える。
母はキッチンでドラマの録画を見ながら淡々と家事をこなす。
ご飯は三食きちんと出てくる。風呂も湧いている。着るものもある。
だが、桜の行動に目を向ける者はいない。
会話はある。
「食べたの?」
「寝なさいよ」
「うん」
「はいはい」
それだけ。
何かを一緒にしようとか、感情を共有しようという意志は、家庭内にはなかった。
ぬるい湯船のような無関心。満ちても冷めても変わらない、温度だけの関係。
それでも、桜にとっては都合がよかった。
干渉されない分、自由だった。
リビングの端に置かれた中古のノートパソコン。父の古いものだ。
母は「ヒマならYouTubeでも見てなさい」と言って渡した。
その瞬間、世界が広がった。
「哺乳類 定義」
初めて打ち込んだ検索ワードだった。二歳と九ヶ月。
あとは加速度的だった。Wikipedia、論文要旨、ニュース記事、世界地図、宇宙、経済、戦争、法。
彼女の目はディスプレイを通じて、世界という巨大な論理のパズルを無感情に解体し続けた。
感情は、最初からなかったわけではない。
ただ、それを共有する術も、相手も、必要もなかっただけ。
「桜ちゃん、何読んでるの?」
近所の子が声をかけてきたときも、桜は反応しなかった。
無関心が連鎖して、周囲も次第に話しかけなくなった。
“天才”という言葉に気づいたのは、英語圏のサイトで“prodigy”という単語を見たときだ。
読んでいたのは、チェスの神童に関する記事だった。
だが、桜にはピンとこなかった。
――誰かに言われるまでもない。私は、私だ。
ある日、関連動画に表示された一本の映像。
静かな和室。盤上に並ぶ駒。
ふたりの男が、音もなく視線をぶつけあっていた。
「…将棋?」
その一手一手の意味が、理解できなかった。
だからこそ、心を奪われた。
意味がわからないというのは、彼女にとって極めて稀な事象だった。
数時間後、朝倉桜は父親に言った。
「将棋盤、買って」
父は「んー、ネットで注文しといて」と答えた。
それが、神に愛された“幼女AI”と、盤上の宇宙との最初の接点だった。




