第五話 盗人
「"よし"、じゃないですよ……。盗みなんて良いわけないじゃないですか」
ロベルトが咄嗟に彼女たちの意見を否定した瞬間、ダイニング越しに重なっていたカルラとアメリの視線が、同時にロベルトの方向を向いた。悪い友達がいたずらに招待してくるときのような目つきだった。
「なんで?いいじゃん。バレたってせいぜい怒られるくらいだよ?」と、アメリは首をわざとらしく傾げ「そうそう、アタシ達、前もこんな事やったことあるからさ、問題ないって。それにロベルトが居れば簡単になるんだ。な?頼む!」と、カルラは顔の前で大げさに手を合わせた。
正直、分が悪い。さっきの否定は前世の倫理観に言わされたようもので隙だらけであったし、実際彼女達はそこを突いてきている。ただ、その倫理観を抜きにしても、どこか引っかかるような──
「……ま、まあ確かに、二人なら怒られるだけで済むと思いますけど……。僕、ホムンクルスなんですよね……?バレたときに殺処分とかされないんですか?」
口に出してから気づいた。違和感の正体はこれであると。もう彼自身、人間ではない。だから、受ける処罰が過酷であってもおかしくはないのだ。
彼がそう問うと、アメリやカルラの"何と言われても言いくるめてやる"という勢いが途端に失われ、二人ともの視線が斜上を向いた。
「……あーっと……アメリ、これ、実際どうなんだ?」
「……ないことはない。と言うか、多分そう」
二人はどちらともなく顔を合わせる。恐らく二人が視線で何かを話し合っているのは、ロベルトにもわかった。
1秒
2秒
3秒も向き合うと、アメリが眉根を寄せる。どうやら意見に相違が出たようだった。
「いや、でもアメリ、アタシの筋肉が……」
「……カルラ、私の退学が懸かってるんだよ?」
「だったらあんただって香草で……!」
沈黙。そして何となく空気が痺れて引き締まった。恐らく、アメリのせいだった。
「……サイテー」
アメリはそう吐き捨てると、キッチンを出て、一瞥もくれずにカルラを素通りすると、ロベルトの手首を強く掴み、寝室の方へと彼を引き摺るように歩かせる。
「えっ?ちょ……っ」
その時、カルラが去って行くアメリの背中に手を伸ばそうとして引っ込めたのを、彼は自分の肩越しに見ていた。
・・・
鼓膜を心地よく揺らす規則的で低速な心拍、背中を優しく叩きつつ擦ってくる手の感触と温度。相変わらずアメリの腕の中は安心できる。
背後から忍び寄る人間──恐らくはカルラの気配さえなければ。
「……おい」
掠れた小声だが、聞き覚えがある。アメリを起こさないように注意して、体を緩くその方向へ回すと、目の前には暗闇でも分かる赤髪が揺れている。カルラで確定だ。
「……嫌ですからね?」
「……ああ、知ってる。だから考えがある」
言い終わるのが先か、彼女はロベルトの手を少し痛いくらいの力で握ってきた。彼はこのまま引きずられるのかと身構えたが、一向にその時は訪れない。その代わりに彼女は何かをぶつぶつと呟き始める。
聞き覚えのある、まるで契約書でも読み上げているような呟き……。
「えっと……カルラさ──!?」
緑色の光が一瞬にして視界を塗りつぶした。とっさに目を瞑れば、その裏には植物のツタのような模様が浮かんでいる。そしてロベルトがそんな混乱な最中から抜け出さないうちに、それらは消えてしまった。
「……これって……」
「そう、アタシがご主人様二号ってわけさ」
カルラは白い歯を見せてほくそ笑むと「ご主人様の言うことは聞かなくちゃダメだよな?」と言って、今度こそ彼をベッドから引きずり出す。しかしこんなことをされても、ロベルトは一切抵抗できなかった。というより、命令に背こうとする意識自体が抑制されるような感覚だった。
・・・
部屋を出ると、また石造りの廊下だったが、今回は松明一本灯っておらず、窓から差し込む月明かりだけが通路中央の赤い絨毯を照らしていた。加えて、廊下はどうやら十字路が連続している構造のようだ。
その様子を見てカルラは舌打ちをして「見つかりやすくなっちまうな」と零して歩き出す。ロベルトは置いて行かれそうになって、慌てて彼女に追いついた。
「それで、食糧庫ってどこなんです?」
カルラはその問いに「あー」と適当に相槌しながら辺りを見回すと「ここは4階だから5個下だな」と答えた。
「てか、アンタやっぱり興味あったんじゃないか」
「捕まりたくないだけです」
それからカルラの「へぇ」という少し馬鹿にしたような返事を最後に、二人は無言で廊下を進み、5階下の食糧庫へと続く螺旋階段を下る。
この螺旋階段は、前に食堂に行った時にアメリと通った階段とよく似ていたが、こっちは銃眼の代わりに小窓がいくつも壁に埋め込まれていた。
窓の外を見れば、草原と川、小さな湖が夜空を反射し目下で煌めいていて、地平線はその奥にある丘陵によって、うんと手前に引かれている。
そしてカルラの方に顔を戻すが、彼女が居ない。階段の下の方を見下ろすと、また一人で先に進んでいる彼女の姿が、螺旋階段の内壁に見切れた。それを見て、ロベルトは再び彼女に追いつくために短く駆ける。
カルラは見切れた先で立ち止まっていて、すぐに追いつく事ができた。
「もっとゆっくり歩いてくださ──」
「なあ……これ」と、カルラが食い気味に階段の下方を指差した。
ロベルトはカルラから視線を外して指の指す方を見やると、そこにはゴミ……いや瓦礫が散乱している。
「……やっぱり、ユゴニオですかね……?」
「いいや、無いね。ここは食糧庫だし、それも女子寮棟だ。ユゴニオが暴れたのは講堂棟で場所が違う」
2人が混乱していると、足音が階段の下から響いた。それもパタパタと連続して。どうやらかなりの速度で接近してきているようだ。
単純な方法では、もう引き返すのも隠れるのも間に合いそうにない。
──何か、何か方法を……っ!
ロベルトの頭の中を様々な案が整理されずに飛び交う。
逃げ場は?──無い。螺旋階段の通路は螺旋階段だけだ。
窓を破って逃げ出すのは?──意味がない。音で気付かれるし、落ちればきっと死ぬ。
そもそも時間はあるのか?──無い。もう螺旋1周分でぶち当たる。
その時、カルラの腕がロベルトの胴を抱えると、彼の身体は上方に力強く引き上げられ、すぐに目下を人間サイズのカマキリのようなものが通過した。
鳥肌が立つ。
気付けば、ロベルトは無意識に息を止めていた。
しばらくはそのままだったが、他に気配がないことをカルラが確認すると、再び2人は地面に足を下ろした。
するとロベルトは途端に心細くなって「あれは……?」と、カルラに腕を回されていた場所を擦りながら彼女を振り返って尋ねる。彼女の表情も幾分深刻になっていた。
「……あれは巡回警備ホムンクルスのショーカイ君だ」
「えっ?ショーカイ君?」
「ああ、哨戒と掛かってる。ふざけた名前だけど、目に入った生き物は皆殺しだよ」
「この大学、そんなものを普段から使ってるんですか……?」
「いいや、使わない。あんなものを出すのは、よっぽどヤバい状況かつ、生徒と接触しない保証がある時だけだよ。つまり──」
「つまりこの寮はロックダウンされている……ってことですか……?」
カルラは「ああ」と答えると、階段を登る方の段に足を掛けた。
「戻ろう、アメリが心配だ」
ああ、新生活、新生活、どうか私から活力を奪わないでおくれ……




