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第5話「吸血衝動の彼方」

涼音は夜の街を一人歩いていた。

大通りの喧騒を背に、暗い路地へと足を向ける。

その日は朝から吸血衝動がささやくように彼女の心を苛み、冷静さを保とうとすればするほど、その囁きは心の奥を掻き乱していた。


「まだ耐えられる……夜の音を聞くまでは……。」


自分にそう言い聞かせながら、鞄の中のギターケースを探る指先が自然とストラップを求めていた。

音楽以外にこの衝動を抑える方法を持たない彼女にとって、それは唯一の救いだった。

周囲の車の走る音、人々のざわめきが混ざり合い、彼女の意識はさらに混乱していく。


ふと、路地の隅にある古びたベンチが目に入った。

その近くでは、数人の若者たちが楽しげに話している。

その空気感がどこか温かく、吸血衝動とは無縁の無邪気さを醸し出していた。

だが、涼音は彼らに目をくれることなく、静かにベンチに腰を下ろし、ギターケースを開けた。


ギターを取り出して膝に置くと、その重みと弦に触れる指先の感触が微かな安堵をもたらす。

吸血衝動は完全に消えたわけではない。

だが、音を紡ぎ出す準備をするだけで、それは少しだけ彼女の中で薄れていった。


涼音は静かに弦を弾き始めた。

最初は単純なコードから、やがてその指は軽やかにアルペジオを奏でる。

音が夜の空気に溶け込み、路地全体を静かに満たしていく。


その音色に気づいた近くの若者たちが、振り返り興味深そうに彼女を見つめた。

だが、涼音は彼らの視線に気づきながらも、それに意識を向けることはなかった。

ただ目を閉じ、自分の音にだけ集中し続ける。


ギターの音は次第に広がり、通りを行き交う人々を足止めさせていた。

その音には、切なさと希望が共存しているような不思議な力があった。

音楽が放たれるたびに、吸血衝動がその中に溶け込んでいくようだった。


「音楽が私を守ってくれる……それが今だけでもいい。」


涼音の中に潜む闇と光が一体となり、音楽という形で周囲に広がっていく。

近くにいた若者たちは自然と彼女のそばに集まり始め、誰かがスマートフォンでそっと演奏を録画し始めた。

その中には、音に心を動かされ、静かに涙を流す者もいた。



演奏がクライマックスに近づくと

涼音の指はまるで舞踊のように

弦の上を踊り始めた

最後のコードが静かに響き渡り

夜の静寂が再び戻った

その瞬間

自然と拍手が湧き起こり

路地全体の空気が変わった



涼音はギターを静かに置き、周囲に軽く会釈をしてその場を後にした。

歩き出す彼女の背中に、若者たちの声が届く。


「すごかったな、あの人……誰だったんだろう。」

「心に直接響く音って、こういうのを言うんだな。」


その言葉を耳にしながら、涼音は微かに微笑んだ。

音楽が生み出す繋がり――それは彼女自身をも救う、一筋の光だった。


街灯が照らす夜道を歩きながら、涼音はふと空を見上げた。

吸血衝動は今は静かだが、それが完全に消えることはないだろう。

だが、音楽がある限り、彼女はそれを乗り越えることができる。


「私は、音楽をやめられない。それでいい。」


ギターケースを背負い直し、涼音は新たな決意を胸に夜の街を歩き続けた。

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