第4話「譜面に刻まれるもの」
夕焼けが街を柔らかく染める頃、涼音の耳に一筋のメロディが届いた。
その音は、目に見えない糸となって彼女の心を引き寄せる。
立ち止まって耳を澄ますと、どこか未熟ながらも純粋で揺るぎないギターの音色が路地の奥から響いていた。
その音に誘われるように、彼女は静かに足を進めていった。
路地を抜けると、小さな広場に辿り着いた。
そこでは3人の若いストリートミュージシャンが楽器を手にしていた。
ギター、カホン、そしてバイオリン――それぞれが情熱的に音を紡ぎ、互いの音に溶け込もうとしている。
観客は少なかったが、その顔には楽しげな笑みが浮かんでおり、音楽がこの場所に小さな魔法をかけているのを感じさせた。
少し離れた場所から、涼音はその音楽に耳を傾けた。
静かに目を閉じると、音の波が彼女の中で細かく分解されていく。
「ギターのメロディは良い。でも少しリズムが走ってる。」
「バイオリンは鮮やかだけど、カホンともっと絡めば深みが出る……。」
涼音の絶対音感が、目の前の音楽を鮮明に捉え、分析を始める。
演奏が終わると、3人の若者たちは息を切らせながらも充実感を漂わせていた。
涼音は静かに近づき、柔らかな声で話しかける。
「素敵な演奏だった。」
ギターを持つ青年が驚いたように顔を上げた。
「ありがとうございます。えっと……通りすがりの方ですか?」
涼音は微笑みながら答えた。
「通りすがり。その音楽に惹かれて、ここまで来たの。」
その言葉に、青年たちは少し照れくさそうに笑った。
「一つ聞いてもいい?」
涼音は静かに尋ねた。
「この曲、元々の譜面はあるの?」
ギターを持った青年は首を横に振る。
「いえ、全部即興です。音楽理論とかはほとんど知らなくて…。」
涼音は少し考え込んだ後、鞄からノートとペンを取り出した。
「少しだけ待ってて。」
彼女の指が
ペンを握り
ノートに
音を書き記していく
それは
迷いのない動きだった
耳に刻まれたメロディ、リズム、バイオリンのフレーズ――それらが正確に記録され、音楽という一瞬の芸術が永続的な形となる。
数分後、涼音は譜面を3人に手渡した。
「これが、さっきの」
青年たちは譜面を驚きの表情で見つめた。
「すごい……これ、本当に僕たちの曲ですか?」
涼音は小さく頷き、微笑む。
「音は消えていくものだけど、こうして形に残せば何度でも再現できる。」
その後、3人はその譜面を見ながら再び演奏を始めた。
今度は音の細部を調整しながら、一つの楽曲として仕上げていく。
涼音は時折アドバイスを送りつつ、彼らが新たな音楽を生み出す瞬間を見守った。
演奏が終わると、ギターを持つ青年が真剣な表情で涼音に頭を下げた。
「本当にありがとうございます。こんな風に自分たちの音を残せるなんて、思ってもみませんでした。」
涼音は控えめに微笑みながら答えた。
「音楽は一度消えてしまうもの。でも、形を持たせれば次につながる。」
「あなたたちの音はとても純粋だった。そのまま続けていけば、きっともっと素晴らしいものが生まれるはずよ。」
青年たちは目を輝かせながら頷き、その場の空気は温かく満ちていった。
夜が深まり、涼音は広場を後にした。
ギターケースを背負い、街灯の明かりに照らされる道を歩きながら、胸には小さな温かさが灯っていた。
音楽を通じて他者と繋がること――それがどれほど自分を救うかを改めて実感していた。
「音楽は、ただの音じゃない。形にして、誰かと繋がるもの。」
その言葉を心に刻み、涼音は夜の街に消えていった。