Episode6
Episode6
乱れた積雲の中に一つの朧に近い三日月が浮かんでいる。時刻はもうすぐ7時を回る。
「どこやクソガキィ!」「早く出てこいボケェ!」
野蛮な恰好をした男たち十人ほどはとある使われていない倉庫に監禁されていた。まるで山奥かのように、周囲の音はほとんど聞こえず、先ほどから男たちが叫んでいる声はすぐに曇った空気の中へ消える。
「ええ加減、舐めたことしとんちゃうぞアホォ!しゃあない、今は組長に連絡するしかないわ」
一人の男が自分の虎柄のスーツのかくしから、携帯をさっと取り出す。だが、男が画面の電源をつけると右上には⦅圏外⦆と表記されてある。
「クソッ!」
男はそう言うと、勢いよく携帯を地面に向かって投げつける。そして、液晶ガラスは粉々となり、やがて、一つの破片が入口らしき場所へ飛んだ。
その瞬間、突如、扉が聞くに堪えない金属音を辺りに響かせながらゆっくりと開く。ガラスの破片は輝きを得たと思えば、すぐに影に覆われる。
「やっと来よったか、よくも俺らをこんなところに閉じ込めたなクソガキィ!」
「………」
彼、いや彼女の背景にはただひたすら黒い森が広がっていた。一つ一つの木々の幹が重なり、扉を封鎖する鉄格子のようになっている。彼女は何も言わずに、ゆっくりと一歩一歩男たちに近づいていく。
「何する気か知らんけど、俺らは十人、お前は一人。分かっとると思うけど、俺ら、人を殺すのには慣れてんねん。言うとくけど、今のうちに自殺しといた方がマシな死に方できるで」
男たちはこの男の声を聞くなり、闇の中に佇む一人の少女を、下衆な様子で嘲笑う。各々が常人では耐えきれないほどの惨い拷問など、どうやって目の前にいる黒い影どう痛めつけようかと考えている。だが、彼女はそんなことなど気にも留めず、足を全く止めようとしない。
「おいおい、正気かいなw」
一人の男が思わず吹き出す。男はナイフをだるそうにゆっくりと取り出し、少女の方へ真っすぐと刃先を向ける。
「ええ加減にせえよ?」
男はそう言うと、咄嗟に少女に向かって、ナイフを大きく振った。だが、流れるように躱され、むなしく男の攻撃は空を切る。
「何避けとんねん。次は殺しっ」
突如、男は言葉を止める。絶句ではない、言葉が発せないのだ。
声は喉にある声帯を震わすことによって、発することができる。声帯は首の中央辺りに位置する器官だ。つまり男は、
「もう死んでるよ」
「!?」
彼女がようやく言葉を告げた瞬間、男たちは驚愕の色を顔にする。それは彼女の言葉に対してではない、目の前の凄惨な風景だ。倒れこんだ男の頭部は既に切断され、断面から見える脊髄と溢れるばかりの血飛沫が飛び散っている。男の死体から流れる血液はやがて血溜まりとなり、そこには彼女の夜の暗がりの中に紛れた『顔』が映りこむ。
―――そこに映った彼女の瞳は赤かった。
「おい、お前ら!あいつを殺せ!」
男たちは続々と少女に向かって、ナイフを片手に襲い掛かる。だが、彼女は男たちの動きに思わずため息をもらす。
(『彼』だったら、この動きを見たらどう思うんだろう。私の攻撃は『彼』が言うには百倍遅いらしいし、この人たちの動きは……)
「一万倍くらい遅いね」
ほんの数コンマ先、赫色の閃光がこの空間を刹那的に駆ける。
――――――そして、その赫光は理不尽なほどに一瞬で、この倉庫を深紅の殺人劇場に変貌させる。
男たちは言葉を発するどころか、息をする間もなく、彼女の朱き刃を迎える。ただ歩くように、息をするように、その鋼の刃はこの夜の黒闇に包まれた空間を駆け続ける。
月光はここには当たらない。
陰は今、月ではなく『彼女』がつくっているのだから。
「………死体はそのままでいいかな」
彼女がそう告げた時には、ここに彼女以外の人の影など存在しなかった。彼女は『仕事』を完了させると、踵を返し、扉の方へ足を踏みだし―――
「やっぱりここにいたんだね」
先ほどまで黒い木々しかなかった扉の背景に、一人の男が現れる。彼はそう言うと同時に、彼女の後ろの惨状に目を通すと、
「派手に殺すんだね」
「どういう用事?」
彼は男たちの返り血で染まった彼女の顔を全く気にせず、再び話し出す。
「集合時刻、あと7分だよ」
「知ってるよ。だから、これから行こうと思ってたところ」
「その恰好で?」
「流石に着替えるよ」
彼女は着ていた黒色のポンチョを脱ぎ捨て、ハンカチで軽くぽんぽんと顔についた赤いインクを拭き取る。
「行こっか」
◆◇◆
移動教室初日はあっという間に夜を迎えた。
結局、集合時刻には間に合うことができ、特に問題という問題は起きなかった。その後、食事を摂り、風呂に入り、現在、消灯した自室で枕に顔を寝かしている。この部屋には日高くんしかいない。そして、その日高くんはというと、僕の想定では、あの性格なため、消灯時間を越した後、先生にバレないように小声で二時間ほど喋るはめになるかと思ったが………
「zzz………」
この通り、まだ消灯時間から10分からしか経過していないにも関わらず、ぐっすりと熟睡している。
「僕もそろそろ寝ようかな」
僕は警戒心を解き、ゆっくりと目の力の弱め、瞼を完全に閉じる。だが、その瞬間、
―――――トンッ
ベランダ辺りだろうか。微小だが、確かに誰かの足音が聞こえる。
人は五感のうち一つの機能を止めると、他の感覚が通常より敏感になるらしい。偶然だが、それが上手く重なったおかげで気づくことができた。足音の主の顔は確認していないが、おそらく『彼女』だろう。
僕は敢えて熟睡しているふりをし、その瞬間ときをゆっくりと待つ。
―――トンッ………トンッ……トンッ…
少しずつ狭まってゆく歩幅。彼女が僕のところへ辿り着くまで、あと一秒といったところだろう。
そして、ようやく彼女は僕の頭上でナイフを大きく振りかぶる。その刃先は素早く真下へ向かい、僕の額を貫通し、脳天を破裂させた。
と、彼女は思った。
「まったく、寝てても止めれる遅さだよ」
「っ!………気づいてたんだね」
彼女の手の先にはナイフがある。だが、その刃先は僕の人差し指と中指の間にベストフィットし、僕の頭上10センチ辺りでぷるぷると震えながら途絶している。
「月百合さんの考えなんて、手に取るように分かるよ」
「すごいね。学年二位さん」
「だから二点しか変わらなかったよね」
もう入学試験から三カ月も経ったというのに、いつまで引きずるつもりなのだろう。
「でも、確かに流石だね。足音以外の気配はまったく気がつかなかったよ。やっぱり月百合さんは他人の部屋に潜入するのに慣れてるだけあるね」
「勝手に人を犯罪者にしないでくれる?私、これが初めてなんだけど」
「月百合さん、流石に冗談が過ぎるよ」
僕の中では彼女はすべての犯罪に手を染めたことがある極悪非道な犯罪者だ。おそらく、窃盗なんて自分の忘れ物を取りに行くかのように数え切れないほど重ねているに違いない。
「というか、こんな時間にも来るんだね。僕をそこまでして殺したい理由を是非とも知りたいよ」
「それは君には分からないよ」
「やっぱり教えてくれないんだね」
「死に際くらいには教えてあげるよ。だから私に殺されれば分かるよ」
「遠慮しておくよ」
僕は笑ってそう返す。彼女も笑ってナイフを下ろす力をより強める。傍から見れば、ただの円満な関係な男女だ。学校の先生がこの光景を見ればどう思うだろう。少なくとも腰を抜かす程度では済まない。
きっと、そうだろう。
「ねぇ、先生?」
――――ガチャ
その瞬間、ゆっくりと部屋の扉が開き、部屋を強烈な明かりが差す。
「え?」
月百合さんはその音と光に驚くと同時に、反射的に判断したのか、急いで僕に向けていたナイフをしまい込み、布団に身を隠す。
彼女の判断は正しい。なぜなら、
「ちゃんと寝てるー?」
その声は一瞬でこの部屋に響き渡る。そう、この声の主は見回りに来た先生だ。見回りは普通、就寝時刻すぐには来ない確率が高いはずだが、その低確率を僕たちは引いてしまったようだ。
「あれ、おかしいな。少し声が聞こえたような気がしたんだけど……」
先生はそう呟くと「私の気のせいだったのかな」と言い、部屋を出ていった。危ないところだったが、先生が単純で疑い深くなかったため助かった。
「ねぇ、」
僕はそう言うと、ゆっくりと毛布をめくりあげ、そこにいる少女に視線を向ける。
「もう出ていいよ」
「本当?」
「僕がそんな嘘をついてどんな得があるの」
すると彼女もゆっくりと上体を起こし、僕の布団から素早く離れる。
「自分から入ってきたよね」
「不可抗力だよ」
いっそ僕も犠牲にして、さっき先生に彼女を売っておけばよかった。というか本当に、早く自分の部屋へ帰ってほしい。
「またいつ先生が見回りに来るか分からないよ。早く帰った方がいいんじゃない?」
「だから君を殺せればすぐに帰るって」
本当に彼女は諦め悪さだけはピカイチだ。だからこそ、面倒くさい。おそらく彼女は僕が何言っても帰ろうとしないだろう。そのため、いつも最終的には―――
「でも、月百合さん。もうナイフ無くなったよ?」
「え?」
そう、僕はいつも最終的に彼女が僕を殺せる手段を完全になくす。それが一番効果的だ。すると彼女は、慣れたことだろうにこうなるといつも「い、いつの間に!?」と言い、慌てふためく。まったく、ギャグでもしているのだろうか。
「これでもう月百合さんは僕を殺せなくなったよ。だからいい加減に諦めて帰った方がいい」
「いつもそうされるけど未だに君の動きは目視できないね」
「ずっと目視できなくていいよ」
僕がそう返すと、彼女はゆっくりとベランダの方へ足を運ぶ。彼女はいつもこうなると一気に諦めが早くなり、すぐに退散する。なぜか、ここだけは素直なのだ。
「じゃあ、ひとまずここは戻るけど、明日はちゃんと殺しにいくから安心してね」
「はいはいじゃあねー」
彼女はそう言葉を残すと、忍者のように上の階へ飛び乗る。僕は改めて、彼女が泥棒の才能があふれ出ていることを確認すると、ゆっくりと布団についた。