Episode4
Episode4
今日の日にちは5月21日。とうとう移動教室の日がやってきた。
結局、あの日の班決めは思いのほか、狙い通りにいき、彼女と同じ班になることは阻止できた。てっきり、どんな手を使ってでも、同じ班に入ってくるかと思ったが、考えすぎだったようだ。
「日高くん、今日から三日間存分に楽しもう」
「あぁ、そうだな」
せっかく彼女のいない日が三日もあるんだ。存分に大事に楽しまなくては。
僕たちは行動班の女子生徒二人を待つために、集合場所のどこぞの駅の改札前にいた。ちなみに彼女たちは、日高くんが選んだだけあり、中々にフレンドリーな性格であり、僕は得意ではないが、『彼女』よりは幾分マシなので妥協した。
「日高くん、あの二人遅いね」
「まぁ、待てばすぐ来るだろ」
―――それから30分が経った。
彼女たちは一向に来る気配がない。僕はかなり温厚な方だと思うが、それでも30分経って連絡の一つや二つもないというのはいかがなものだろうかと思う。
「あ、」
「どうしたの日高くん?」
日高くんの方へ視線を向けると、彼は手に持つ携帯の画面を見ながら口をぽかーんと開けていた。
「柊、今連絡が入った」
「やっぱり休み?」
「あぁそれはそうなんだが、重要なのはもう一つの方だ」
もう一つ?それ以上に重要なことなんてもう………
「それがだな、その彼女たちの代わりに―――」
「こんにちわ、柊くん」
その瞬間、その聞き馴染みのある恐ろしい声が耳を通る。
そんなはずはない。だって彼女は別の班に入ったはずじゃ………
「これからよろしくね」
「月百合さん、これはどういうことかな?」
「え、聞いてないの?」
僕は「え?」と呟き、ふと、日高くんの方へ視線を向けると、彼は申し訳なさそうに僕を見つめ、
「悪い。これが言おうとしていたもう一つの重要なこと、
―――俺たちの班に急遽、月百合さんたちが入ることになった」
「はぁー!?」
意味が分からない。なぜ僕たちの班員が減ったら、彼女が入ることに………。
すると、彼女は小さくにこりと右口角を上げていた。あぁ、なるほど大体理解した。
「そっちの班員も休んだんだね」
「そういうこと」
まぁ、正式には『休ませた』の間違いだと思うが。恐らく、こちらの班員も彼女の仕業だろう。そうでなければこんな都合のいいことが起こるはずがない。
「月百合さんがあんな簡単に手を引くなんておかしいと思ったよ」
「私は策士なんだよ」
腐っても学年一位の頭脳は持っているということか。これが二点の差なのかもしれない。
「じゃあ、僕は月百合さんとこれから三日間過ごすしかないんだね……」
「学校と違って、座ってなくていいから、殺しやすくなってうれしいよ」
彼女はそう小声で僕にささやくと、再びにこりと笑う。
「でも、日高くんはどうするのつもりなの?」
「それは大丈夫」
彼女はそう言うと、僕の後ろの方向へ指を指す。
「彼女がいるから」
彼女が指を指したその先には、少しだけ見覚えのある一人の女子生徒が僕の後ろに立っていた。
「松木さん?」
「よ、よろしくね」
まさかこんなところで再び登場するとは。相変わらずのロリ感だ、いや近くで見るとより一層幼さが増す。この身長、150あるか怪しいぞ。
「うん、よろしく」
「よろしくなー」
僕と日高くんは挨拶こそしたものの、その後は特に話すこともなく、すぐに黙り込んだ。
「じゃ、まぁ、とりあえずこんなところに居てもあれだし、行こうか」
月百合さんはこの気まずい空気を察したのか、気を遣ってくれたのか、僕たちを先導し始めた。こういうところはやはり優等生なのだろう。「あれだし」の意味が気になるが。
こうして、いくつかの波乱万丈の末、僕の移動教室は始まった………
◆◇◆
「で、なんで月百合さんはあの二人を分けたわけ?」
僕は右手に見える下町の風景を眺めながら、問う。もちろん、周りにいるのは月百合さんだけだ。ナイフを僕に向けて振っているのはいつものことのため、何とも思わないが、突然、彼女が「人数は少ない方がいいから2:2で行動しよう」と言ったことに対して、僕は少し疑問に思った。
「そんなの柊くんを殺しやすくするために決まってるよ」
「でも、別に彼らの目なら、一応月百合さんの速さ程度でも直視できないし、邪魔にならないよね?」
僕がそう言うと、彼女は少しイラついている表情を浮かべながら、再びナイフを大きく振る。そして、むなしく空を切ったそのナイフを彼女は自分のかくしにしまい込むと、
「私だって気が遣えるんだよ」
「月百合さん、会話が成り立ってないんだけど」
「まぁ、柊くんは如何にも鈍感系って感じだしね」
だからさっきから会話が成り立っていない。なぜそこで僕が鈍感系となるのかさっぱりだ。
「まぁ、いいよ。これからたっぷり二人きりでこの大阪を楽しもうね」
「それ、楽しんでるの月百合さんだけだよね」
ため息というか、落胆というか、そんな気も起きず、ただただこの流れに身を流す。もうこれしかできないということを僕はこの一か月半ほどで重々理解した。だが、諦めた訳ではない。こんな順風満帆とは真逆な波乱万丈な高校生活でも僕はやっていけるはずだ。
「……?」
何か音が聞こえたと思えば、隣にいる月百合さんが少し顔を赤く染めていた。どうやら、僕の聞こえた音は彼女の腹の虫が鳴った音だったようだ。
「お腹減ったの?」
「大阪だからと思って朝ごはん食べずに来ちゃったんだよね……」
普段の様子からは想像できない意外な一面だ。マドンナらしさのある可愛らしいところも一応備えているのか。
「じゃあ、月百合さんの予定通り何か大阪っぽいものでも食べに行く?」
「行く!」
この愛らしい返事すらナイフを添えられている。それが無ければ正直に可愛いと思えただろう。
しばらく歩いた気がする。
目の前に聳え立つ通天閣らしき建物に続くメインストリートはまだ朝だというのに、居酒屋や料亭は人々で賑わっており、想像通りの活気にあふれた大阪を直で感じられる。
「というか柊くん。大阪っぽいものって何を食べるつもり?」
「そりゃあ、たこ焼きとかお好み焼きとか」
「いいチョイスだね」
先ほどから空気に混ざって流れてくるたこ焼きとお好み焼きの匂いに反応して、ついそう言ってしまった。ここにいるとダメだ。何か食べないと気が気でなくなってしまう。
「とりあえず目の前のここ入らない?僕もお腹減ってきた」
「だよね?私も今、さっきの五割増しでお腹が減ってるよ」
僕たちは近くのいい匂いがする方向へ足を運び、【たこ焼き屋 一本背負い】と書かれた白い暖簾をゆっくりとくぐり抜けた。そして、目の前に一気に流れ込んできた熱気に圧倒されながらも、そそくさと席につき、店員らしき人物を呼ぶ。
「おめぇら若えなぁ。恋人同士か?」
「違います。ただのクラスメイトです」
「ほえー、まぁええけどな。やけど、青春ってのはすぐ過ぎてまうし、そういうのも今のうちしか味わえん。行く時は焦らさんとガツンと行きや」
「あの、そういうのいいので、注文いいですか」
「すまんすまん。へい注文ね。ええよ」
僕はメニュー表の文字列のなぞりながら、「特製一本仕込み醬油、ねぎマヨ、海老焼きで」と注文し、店員が「あいよ」と返事すると、すぐさま隣にいる月百合さんに目をやる。
「食事中は殺人禁止だからね」
「そのぐらいのマナーは分かってるよ」
それから五分ほど経つと、店員が「特製、ねぎ、海老」と言いながら、目の前の机に続々とたこ焼きが湯気を上げながら置かれていく。僕は胸の前でゆっくりと手を合わせ、「いただきます」と呟くと、机上の筒状の取り出し口から爪楊枝を取り、熱風で少し靡いているかつお節の上から勢いよくたこ焼きに刺す込む。そして、口へ向かってそれを運ぶと、
「お、美味しい」
流石、天下の台所と言ったところだ。惣菜屋を馬鹿にする気はまったく無いが、やはり僕がいつも食べている三流なのだと改めて思い知らされる。
「これが柊くんの言ってる大阪っぽいってことなのかな?」
彼女はリスのようにもぐもぐと頬を膨らませながら、僕に問いかける。
「たぶんそういうことだよ」
「なんかテキトーじゃない?」
僕は今、それどころではない。右腕が爪楊枝を手に、不思議な抗えない力によってたこ焼きが次々と口の中へ運ばれていく。やめられない止まらない。僕の中にある依存的食欲が脊髄反射し、無意識のうちに再び口の中へたこ焼きが一つ、また一つと放り込まれる。
「柊くん、おいしそうに食べるね」
「よく言われるよ」
爪楊枝でたこ焼きを再び刺そうとすると、トンッと木製の机の堅い音が鳴る。視線と器の方へ向けると、いつの間にか24個もあったたこ焼きが全て消えていた。
「無くなっちゃった」
「美味しかったね」
僕は再び胸の前で手を合わせ、「ごちそうさまでした」と呟き、席を立ちあがると、「店員さん、会計いいですか?」と言い、店員に現金二千円を渡すと、釣りはいらないと言うかのようにさっと白樺色の暖簾をくぐる。
「お客さんお釣り!」
予想通りの言葉がきた。
「釣りはいらないよ」
僕はそう告げると同時に見えた店員さんの呆気にとられた顔を確認し、首を前に回し戻す。一度は言ってみたかった台詞だったため、少しかっこつけてしまった。おそらく後から恥ずかしくなるやつだろう。
「月百合さん、次はどこに行くつもり?」
「私、お城に行きたい」
「意外だね」
確かに移動教室という名目上、歴史のあるものを一つくらいは行かなければいけないのだが、まさか一日目が始まって二時間で行くとは思っていなかった。
透明感のある川が城の堀を清らかに流れ、十メートルほどの苔が繁茂している城壁の上には、桜色より緑の割合が多くなった桜の樹木の囲まれた神々しい風格の城が僕の視界には映っていた。
「歴史の面影を感じるよ」
「何言ってるの?」
「そっちこそ何してるのさ」
大衆の前でそんな大きくナイフを振り回している彼女が常識人ぶるのは役不足だ。まずはその研ぎ澄まされた鋼色に輝くナイフをマルカリ(日本最大級のフリマアプリ)に売ることから始めるのをおすすめする。
「というか早く中に入らない?」
彼女はそう告げると、僕を置いて一人で歩きだしたので、急いで僕も後ろをついていく。やがて入口に着き、下駄箱に靴を入れ、スリッパに履き替えると、
「いい?柊くん。お城では食べ物を食べちゃいけないんだよ」
「知ってるよ」
「あと静かにしなきゃいけないんだよ」
「それも知ってるよ」
「指定ルート以外に行っちゃいけな…」
「だから全部知ってるって」
彼女は意外にも城見学のガチ勢だったようだ。そんな常識レベルのマナーは僕でなくともほとんどの人が知っているが、わざわざ確認するあたり、今までその目でルール破った多く人々を見てきたのだろう。
「城の中ってちょっと埃っぽいよね」
城を形成している木材は長い年月が経っているせいか、少し湿っているように感じる。埃っぽいと感じたのは、おそらくその湿度による息苦しさからくるものだろう。
「ねぇ、早く天守閣行こうよ」
「え、他の階は?」
「あんまり興味ない」
ガチ勢はそんなこと言わない。おそらく彼女はルールだけを入念に調べるタイプで、城見学は天守閣にしか興味がないようだ。
結局僕も彼女と同様に他の階をスルーし、僕たちはようやく天守閣に辿り着いた。
「ふぅ……」
僕は一息つき、大きく呼吸する。天守閣の開放感を吹き抜ける心地よい風と共に感じる。先ほどまでの息苦しさのせいもあると思うが、それを差し置いてもここは居心地が良い。
「ねぇ、柊くん」
「どうしたの?」
「天守閣で殺人事件が起きたら面白いかな?」
罰当たりなことを言う彼女の右手にあるナイフは僕に会ってからずっと血に飢えているせいか、段々と刃先の鋭さが増しているように見える。ゆっくりと僕との距離を詰める彼女の目は既にキマっているようだ。
「天守閣に来たのってもしかして…」
「このために決まってるじゃん」
彼女が今日、変にやさしいのは少しおかしいと思っていたが、やはり僕の勘違いで、彼女は平常運転だったようだ。
「君の死に場所は天守閣だよ。豪華だね」
何やら彼女は僕の死が確定しているようにほざいているが、いつも彼女は僕の殺害に失敗している。天守閣だからといって殺害成功率が上がるわけでもない。
「いつもより自信があるみたいだね」
「だって流石の君でも…」
―――瞬間、後方に重い発砲音が鳴ったと思えば、僕のこめかみの横を銃弾が通り抜ける
「銃弾は避けられないでしょ?」
銃弾がめり込んでいる床の木材は煙を上げながら、少し黒ずんだ色に変色している。銃弾の方向は後方だ、撃ったのは彼女ではない。まさか、彼女に共犯者がいたとは。その上、相当な実力の狙撃手〈スナイパー〉だろう。おそらく銃弾もわざと僕の脳天のすぐ横を通るように狙っている。
「わざわざ外すなんて、挑発でもしたいの?」
「せめてものハンデってやつだよ」
確かに彼女の仲間がもし一発目から僕の脳天を狙っていたのなら、確実に今日が僕の命日となっていた。彼女の仲間とは思えないほどの実力だ。だが、もう銃弾の向きからおおよその彼女の仲間の位置は把握できた。
「二発目は当てる予定だから、今度こそ柊くんは本当に死んじゃうよ」
「仕方ない……」
その瞬間、僕は高欄(天守閣の周りを囲っている柵)に体を寄りかかり、重心が後ろの方へ傾くと、すぐさまそこから僕の体は地面へ向かって落下する。
「え、柊くん何してるの!?」
「ひとまず移動教室は一時休止。僕は今から月百合さんの仲間から銃を回収してくるよ」
「は?」
僕は別に彼女のナイフの動きを躱せるだけで銃弾を躱せるほど超人でもない。これこそ、本当に放っておけば確実に殺される。急いで狙撃手〈スナイパー〉の危険なライフルを回収しなければ。
僕は地面に降り立つと、堀の対岸にある樹木で繫茂している反対側へ向かい、森のくまさんのように城を囲う樹木を搔き分けると、やがて僕はひっそりと輝く鋼色の煌めきを見つけた。
「こんなところでかくれんぼでもしてるの?」
「ッ!?なぜ……おまえがここにいる」
その声の主の方向へ僕は目をやると、アリスブルーのぼさぼさとした髪を首まで伸ばし、水晶のような少し濃い黒色の瞳をこちらにむける少女が映っていた。
「君が月百合さんの仲間?あの、一応僕たち移動教室中なんだけど」
「そんなの……知らない。私はトウカに………言われたからやった、だけ」
少し頑なな日本語を話す彼女はそう告げると、再び僕に向かって銃口を向ける。
「私はおまえを………殺さなければいけない」
「まったく、月百合さんの仲間さんも仲間さんだね」
なぜこうも戦闘狂が僕の周りに次々と現れるのだろうか。なんなら今、僕の目の前に立っている彼女は僕の名前すら知らないほとんど他人のような存在だ。
「なんで君たちはそんなにも僕を殺そうとしてくるの?」
「だから私は………トウカに言われただけ。おまえの命は………どうでもいい」
おそらく月百合さんに何らかの理由で脅されているのだろう。そうでなければ異常以外の何ものでもない。
「まぁ、とりあえずそのライフルを君から盗ればいいってことだよね?」
「え?な………何を言って」
その瞬間、僕は地面を思いっきり蹴り、前に走り出す。そのため、彼女は咄嗟に逃げようとするが、狙撃手〈スナイパー〉なせいか、速度が月百合さん以下だ。僕の足は止まることなく、一気に彼女との距離と詰め、彼女の手の中に包まれているライフルを即座に回収する。
「あぁああ………私のステアーがぁ……」※ステアー……アサルトライフルの一種
僕は残念ながら人のものを奪うことが得意技だ。おそらく本気になれば、瞬きの百倍の速度くらいでできる。
「これはマルカリで売っておくよ」
「かえ……して」
彼女はそう言いながらゆっくりとこちらへ近づいてくるが、体はなぜかびくびくと震えている。その風貌は言っちゃ悪いがまるで妖怪のような様子で、何かこちらに疎ましいことがあるような妖あやしい目つきをしている。
「というか、君は月百合さんの何なの?友達?仕事仲間?なんで彼女に言われただけで人を殺そうとできるの?」
「トウカは………私の司令。司令の言うことは………ゼッタイ」
「主従関係ってことだね」
実力的に見れば逆だろ、と思った。月百合さんは一体彼女に何をして手懐けたのだろうか、きっと恐喝でもしたのだろう。
「何のために……聞いた?」
「興味半分だよ。用事も済んだし、そろそろ僕もここをお暇いとまさせてもらうかなと思ってたから、最後に聞いておこうと思っただけ」
「は………?用事も済ん……だし?」
「そうそう用事も済んだし」
彼女は目を点にしながら僕に視線を向ける。その一方、僕は彼女の面白い表情を気にすることなく、後方へ草木を掻き分けながら退すさっていく。
「じゃまぁ、僕は月百合さんのところに戻るから、君はテキトーに大阪観光でも楽しんでおいて」
「お、おいっ………ま、待て!」
彼女がそう告げると同時に、僕は一気に足を運ぶ速度を速め、彼女が一歩を踏み出す時間の間に僕は彼女との距離を彼女の一歩の五十倍の距離を離す。
そしてその速度で走っていると、いつの間にか先ほどまで月百合さんと共に居た城の天守閣に到着していた。
「帰ってきたよ」
「随分早かったね。もしかして、”彼女”見つけられなかったのかな?まぁ、ちとせちゃんは隠れるの上手いし、いくら柊くんでも早々見つかるわけないよね」
彼女、『ちとせちゃん』という名前だったのか、新情報だ。僕はそんなことを思いながら、鞄に入っている『あるもの』の存在を思い出すと、それをそそくさと取り出す。
「というか、月百合さん。僕、月百合さんにお土産があるんだよね」
「え、お土産?」
「そう、ちょっと物騒なお土産」
そして僕は彼女の差し出した小さな手に4キロもの重さのアサルトライフルを押しつける。
「お、重っ!え、銃?って………ん?」
彼女はまじまじと自分の手に収まっていないアサルトライフルを見つめると、見覚えのあるかのように銃口の先にある特徴的な刃を確認し、
「これ、もしかして………ちとせちゃんの銃?」
「そう。ちとせちゃんのステアーだよ」
彼女は驚愕するのはもちろん、時間差で銃の重さを感じたのか、その瞬間、一気に腰を落とす。というか、普通に考えて、公共の場で女子高校生がアサルトライフルを手に持っているこの光景をいつまでも続けさせるわけにもいかないので、すぐに鞄の中へしまうように言おうとすると、
「こ、殺したの?」
その声は怒りと憎しみと少しの冷徹さを感じる耳がひんやりするほど冷たい声色だった。だが、僕はすぐさま彼女の勘違いを指摘する。
「殺してないよ。殺すわけがない。僕は君みたいに物騒な人間じゃないんだ。言い残した言葉通り、彼女からは銃だけしか回収してないよ」
そう言うと、彼女はほっとした様子で胸を撫でる。まったく、僕の価値観を彼女と同じにしないでもらいたい。
「というか、もう十分じゅうぶん天守閣は堪能できたよね。そろそろ降りない?」
「まだ柊くんを殺せてないよ」
どうやら彼女は思う存分この天守閣を楽しめたようだ。ここは男性としてエスコートしてあげよう。
「降りるってことだね。分かったよ。じゃ、階段だから足元に気をつけて」
「だからまだ君を殺せてなっ」
僕は彼女が言葉を言い終わる前に彼女の口を右手で塞ぎ、左手に彼女の体を抱え上げる。
「え?ちょっ、何してっ」
「月百合さんは一人で階段を降りれないみたいだから、僕が連れていってあげるよ」
そして、僕は彼女を抱えたまま先ほどの高欄に向かって足を運び、柵の上へ足を置く。
「落ちないようにね」
その瞬間、僕と彼女は空を跳んだ。
歴史ある城の木製の柵を力いっぱい蹴り、空へ向かって跳び上がる。だが、すぐに重力によって下へ落下する。
「い、今がチャンスっ!」
そう言った彼女はこの浮遊感に少し足をすくませながら、かくしから常備しているナイフを取り出す。
「ここでもやるんだね」
「関係ないっ!」
僕は今、驚くべきことに抱擁している相手にナイフを振られながら地面に向かって、地上30メートルの高さから落下している。おそらく、こんなことをしているのは世界でも僕らくらいだろう。
「柊くん、空中でも躱せるんだねっ!」
「息をするようにね」
「いちいち煽らないと気が済まないんだね」
当たり前だ。というか、彼女による僕のストレスは煽動くらいで収まるわけがない。というか、今のは別にストレス解消でもなんでもなく、ただの事実だ。
「っと」
そんなことをしているとあっという間に地面に着地した。地面に降り立つと同時に、すぐに月百合さんから手を離すと、出口を早々とした足取りで向かう。
「ちょっ、何出ようとしてるのっ!」
「逆に月百合さんはいつまでいるつもりなの?少し動いたらまたお腹が空いてきたし、僕、何か食べたいんだけど」
「意外と食いしん坊なんだね」
彼女はそう言うと、「ん………。まぁ、いっか」と呟くとこちらへ一歩、また一歩と足を運び、僕に追いつく。そして、彼女は僕の頭の右の空気をナイフで突くと、
「じゃあ、次はどこに行こっか?」
彼女のその笑みはいつも通りのなにか黒いものを感じるままだが、僕はなぜかそれにこの瞬間だけ悪く思わなかった。ただ良いわけでもない。いつも通りというか、なんというか。これが僕たちの日常なのだろう。
僕は彼女に笑顔を送ると、無言で彼女が持っているナイフを回収した。