Episode3
Episode3
僕の高校生活は順風満帆だ。
今日も朝は新しくできた友人と朝のひと時を共にし、しっかりと10分前に席に着く。授業中は僕の席の特権である窓から吹き抜ける『春の涼しい風』を存分に堪能しながら、居眠りをかますことなく、集中して勉学に勤しむ。狙い通り、高校生としての充実した時間を過ごせている。
―――ただ一つの要素を除いて
それは一時間目の授業から今の三時間目に至るまでずっと続いていた。
「ねぇ柊くん。教科書見せてくれない?」
「はい、今やってるのがこ――」
――刹那、首の数センチ右を鋭いナイフを通り過ぎる。
もちろん、そのナイフの先には隣の席の『月百合灯花』がいる。そう、昨日の放課後の一件があってから、今日一日中、なぜか知らないが、僕は彼女に命を狙われている。
「何躱してるの」
「そうしないと僕、死んじゃうでしょ」
そう言っている間も彼女は俺にナイフを振り続ける。躱すのは容易だが、それと同時に授業も理解しなければならないため、そこが難点だ。
「というか、月百合さんはそんなことしてて授業ちゃんと理解できてるの?」
「大丈夫。私、柊くんと違って頭良いから」
「僕、一応入試の成績は学年二位だったはずなんだけど」
「私は一位だから」
「わーすごいねー」
点数が二点しか変わらなかったことは置いておき、彼女が本当に頭が良いならば、授業中に殺人行為をしてはいけないことを理解してほしい。というか、せめて教科書くらいは持ってくるべきだろう。なぜ鞄に入っているのはナイフやピック、その他諸々の殺人用凶器だけなんだ。僕を殺せたら成績がオール5をとれるとでも言うのだろうか。
「ねえ月百合さん、いい加減にしてほしいんだけど…」
このままでは埒が明かない。俺は授業も”こっち”も両方できるマルチタスクな人間ではないため、このままいけば確実にどちらかが限界を迎えるだろう。
「………では、羽衣くん問二の答えを」
「あ、はい。『危急存亡と命の危機』です」
「羽衣くん、今は国語ではなく、数学の授業ですよ。しっかり集中してください」
「え?あ、すいません」
分かりやすいよう言葉に出してみるが、やはり右からナイフを振り続けるこの頭のおかしい女に何も口を出さない。彼女も彼女だが、先生も先生だ。
「柊くん、今、先生に私がナイフを君に振ってること伝えようとしたでしょ」
「全然先生が気づかないからね」
「そんなの当たり前だよ。先生に私の動きが直視できるわけないでしょ」
「え?」
盲点だった。ということは、別に先生は僕をいじめていたわけではないのか。
「よかった…」
「そうだよ。私がどれだけ柊くんに斬りかかってもバレないから安心だね」
「そっち?」
「逆にそれ以外に何があるの」
「いろいろあるんだよ」
というか、もし僕が月百合さんに斬りかかられてもバレないことに喜んでるんだったら、僕がただのドMになってしまうじゃないか。せめてロリコンで収まってくれ。
「というか月百合さん、”これ”ずっと続けるつもりなの?」
「当たり前でしょ」
彼女の何一つふざけていない顔が余計に僕を腹立たせる。
「いい加減、疲れてきてるんじゃない?年貢の納め時ってやつだよ」
「それ、柊くんでしょ」
僕の頭にある血管がぷくぷくと浮き出る。落ち着け、僕。頭に血が昇ってはダメだ。もし、その時頭に致命傷と追ってしまった時、通常時より失神率が高くなってしまう。
「月百合さんがやめないって言うなら、仕方ないね………」
そう告げると、何の躊躇もなく、僕は彼女の持つ一本のナイフを、彼女のナイフを振る百倍の速度で回収した。
「悪いけど、これは没収だよ」
「ッ!?いつの間にっ………でも、残念だね。私の鞄にはまだ大量に残って……」
だが彼女が鞄を手に取ろうとした瞬間、目に映ったのは、机の横にある何も掛かっていないフックだけだった。
「な、ない!?どういうこと!?」
「そんな危ないもの、外にポイッと捨てといたよ」
「はぁー!?」
彼女に気づけるはずも、見えるはずもない。だって彼女は昨日、その半分以下の速さでも気がつかなかったのだから。
「人の鞄なんだよ!?」
「凶器だらけのね」
彼女の鞄の中に入ってるのは数本のナイフとピックのみだということは既に確認済みだ。流石の僕でも、人の勉強道具が入ってる鞄をすべて投げ捨てるなんて鬼のような行動はしない。というか、鞄は一応捨てずに窓のロックするところに引っかけてあるため、実質凶器を処分しただけの正当な行動だ。
「でも、安心してよ。外って言っても、窓下に設置してある僕専用のゴミ箱に入れたから、もし下に人が歩いていて当たったかもなんて心配はしなくていいよ」
「してないから安心して」
「それもそれで問題だけどね」
「というか、これじゃあ私、柊くんを殺せないじゃん!」
「気づくの遅すぎない?」
まぁ、なんであれ、これで一件落着。ようやく僕は普通に授業を受けられる。彼女も、そろそろもうこんなことはこりごりだと諦めているに違いな―――
―――その瞬間、僕の首の右横にひんやりとした鋼の冷たい温度を感じた。
「なんてね」
彼女の持つナイフは僕の首筋を僅かにかすっていた。
「やっと当たったね」
「制服の襟の布が少し綻びただけだよ」
綻びただけ―――それは今の11時26分に至るまで、一度も起きたことがなかった状況だった。先ほどのものとは次元が違う。なんなんだ、今の彼女の動きは。確かにナイフとまだ隠し持っていたのは予想外だった。だが、それまでの彼女の動きの速度なら、僕は容易に反応できていたはずだ。
「柊くん、今の攻撃、完全に躱せてなかったね」
「油断していただけだよ」
「本当にー?」
小悪魔のようにそう尋ねる彼女の顔は、やはり先ほどのような少し能天気な表情をしていた。もしかすると今のあの一瞬は、本当に僕が油断しすぎていただけなのかもしれない。少なくとも彼女は油断しすぎると足をすくわれる相手ではあるということに、僕は解釈を変えなければならない。
「まぁ、油断は一番の大敵って言うからね………」
「そういうことだよ」
そう、僕は油断さえしなければ先ほどの攻撃くらいなら躱せていた。だから、心配する必要はない………………はずだ。
◆◇◆
「じゃあ、今日の授業はここまで。起立!」
先生がそう告げると、一斉に生徒たちが席を立ちあがる。
「礼!」
「「「ありがとうございました」」」
その声と同時に、教室内の活気が一気に溢れ戻る。というか、授業終わりなんて大体そうだろう。
「やっと終わった………」
僕も彼らと同じように少し気が抜ける。この三時間目は異様に長く感じられた50分間だった。というか、今日の授業の終了毎に同じことを感じている。まったく、こんなのがこれから毎日続くのかと思えば、気が知れたもんじゃない。
「おい、柊」
「なに?日高くん」
「お前、移動教室の班、もう誰と組むか決めたか?」
「え、移動教室?」
後ろの黒板に書かれたある時間割を確認すると、確かに四時間目の欄には『移動教室の班決め』と書かれている。確か、一か月後くらいだっけな。
「そりゃ、日高くんと組むに決まって………」
「いや、そんなのは分かってるんだよ」
確かに当然と言えば当然だが、流石に自分に自信持ちすぎだろ。
「あのなぁ、柊。部屋班は確かにそれでいい」
「え?部屋班って二人だけでいいの?」
「いや、四人必要だ。だが、うちのクラスに二人いる不登校男子の名前を俺たちの班の中に入れとけば四人を達成できる。実質二人だけで部屋を占領できるんだよ」
「考え方が最低だね」
だが、確かにその方法であれば、別に無理して他の班員と仲を深める苦労はいらない。そのため、最低だねと言っておきながら悪いが、正直に言うと僕もそうしたい。
「で、問題が行動班だ」
「え?そっちも日高くんの案でいけば…」
「チッチッチッ。バカなのかい、羽衣柊くん」
入試成績最下位には言われたくない。というか、なぜフルネームなんだ。最近流行ってでもいるのだろうか。
「日高くん、それどういうこと?」
「確かに部屋班は俺の方法でいける。それは人員が”男子四人”だからだ」
「ッ!」
「ようやく気づいたか、柊。そう!行動班は”男子二人”、”女子二人”の四人構成なんだよ!」
な、なんだと………?
「だから絶対に誰か女子二人を俺たちと組ませなければいけない」
「難度Sと言ったところだね」
「そこまでじゃねえよ」
「で、誰か『当て』はあるの?」
「そんなの決まってるだろ」
そう言うと、彼は俺の右の方へ視線を送り、そこで机にうつ伏せで寝ている生徒に向かって指を指す。
「え、もしかして日高くんの当てって………」
「そうだ。彼女こそが俺の当て!『月百合灯花』だ」
こういう時、普通の生徒ならばこの提案に共感するだろう。なんて言ったって、彼女はこの学年のマドンナなのだから。別に僕がいくら会話が苦手だからと言っても、嫌がるほどではない。あくまで、”普通ならば”の話だが。
「日高くん、その提案については僕は反対だよ」
「なんでだよ、顔もかわいい、スタイルもいい、やさしそう、その上、入試成績学年一位ときた。全ての生徒の憧れの存在の彼女と一緒に一日過ごしてみたいと思わないのか?」
一つ間違っていることを言っているのは置いておき、確かに彼女は表面上だけ見れば、優等生以外の何者でもない。だが、
「まったく思わない。というか、彼女だけは本当に無理だよ。だから、なんなら僕、彼女以外なら誰でもいいから、テキトーに入れといてくれていいよ」
「丸投げすぎるだろ。てか、なんで柊はそんなに月百合さんが入ることに否定的なんだよ」
「それは言えない。その理由は僕しか知らなくていいんだ」
「なんだそりゃ」
彼はあきれたようにそう告げると、諦めがついたのか「じゃあ本当に俺が勝手に選んでいいんだな?」と言い、僕は「うん、月百合さん以外ならね」と返答する。
危ないところだった。
もし、あのまま彼の考え通りに進んでいれば、僕は確実に高校生活最初のイベントを躊躇なく休むところだった。彼女とほとんど一日中過ごすなんて、想像するだけでありえないほどの疲労量がかかることが理解できる。何しろ、彼女は常に僕の命を狙っている殺人鬼なのだから。