Episode2
Episode2
入学式の日は普通、早めに終了することになっており、午前中に下校ができるが、この高校はそんなことはなかった。二時間目のオリエンテーションが終わったと思えば、次の授業には何食わぬ様子で『数学Ⅰ』と黒板に記載させており、続く授業も『理科』『国語』『古文』とあり、結局、下校の時刻は四時になった。
「事前に分かってたけど、やっぱり狂ってるな」
入ってしまえばこちらのものという考えなのだろう。入学一週間前に渡されるしおりを受け取るまで全くこのことを知らなかったのは僕だけではなく、新入生の全員がそうだった。まったく、僕はなんて学校に入ってしまったんだ。………まぁ、今頃後悔しても遅いのだが。
「おい、柊。一緒に帰ろうぜ」
「分かった。ちょっと待ってて」
この日高日小森とは今日一日で、共に下校するくらいには仲良くなった。友達面に関してはかなり心配していたため、ひとまず安心だ。
今日は別に変わったことはなかったし、まさしく何気ない日常といえる。
そう、こういうのでいいんだ。特別な初日イベントなんかいらない。ゆるやかに始まってゆるやかに終わる。そんな高校生活でいいんだ。今日もそのまま何も起きずに真っ直ぐ下校して―――
「ん?」
忘れ物がないか、机の中を確認していると、一つ見覚えのない封筒が目に入る。誰かが入れ間違えてしまったのだろう。そう思い、その封筒を手に取ると、僕はそこに書かれたことに今すぐこの想定を訂正した。
―――羽衣柊くんへ
封筒の表には確かにそう書いてある。僕は少し気になり、封筒の中身の内容を確認する。
―――今日の四時半に屋上に来てください。
T.T.
今日の四時半に屋上?何をするつもりだ。名前もT.T.とだけ書かれていて、誰が書いたのか全く分からない。日高くんのいたずらかと思ったが、それにしては字が綺麗すぎる。
「怪しいな」
当たり前だが、僕は今日ほとんどの生徒と会話をしていない。
話しのは確か、日高日小森と先生と隣の人と―――あ、
「月・百合灯・花か……」
そうだ、彼女の名前にはT.T.が入っている。だが、なぜ僕にこれを…
「日高くん、今って何時?」
「えっと…四時二十五分だ」
後、五分か。
「ごめん日高くん、ちょっと待っててくれる?」
「別にいいけど、どのくらいだ?」
「すぐ戻ってくるよ」
僕はほとんど何も入っていない空っぽな鞄を勢いよく持ち上げ、教室の扉を滑らかに開ける。
「ここで待ってるからな」
「うん」
そう言うと僕は右に角度を変更をし、屋上の方へ早々と足を運んだ。
少し錆びれた扉が、ぎこちない金属音を出しながらゆっくりと開く。外はまだ春のせいか明るく、夕日といえるほど太陽は赤くなかった。
「来たね」
その声の先には、一人の女子生徒、月百合灯花が屋上のフェンスの影にひっそりと佇たたずんでいた。
「僕たち、会ったのさっきだよね」
「そうだよ。会ったのは」
春風がゆるやかに吹き付け、彼女の綺麗な長髪が小さく左に靡く。
「ねえ、柊くん」
「いきなり名前呼びなんだね」
まるでどこかの陽キャのようだ。
「別によくない?」
「というか今の月百合さん、なんか教室とちょっと雰囲気違うね」
「そうかもね」
そう言った彼女の瞳は、どこか遠くを見ているようで近くを見ている、不思議な顔をしていた。
「……で、月百合さん。用件は何?」
「えっとね、柊くんに一つ私の願いを聞いてほしいの」
「月百合さんの願い?」
「そう、大事な大事な願い」
そこまで大事なのか。あまり僕は責任感のある方ではないし、断った方がいいな。
「あの、僕、そんな大役できないんと思うんだけど」
「できるよ。しかも、柊くんにしかできないことだし」
「僕のできることは大体みんなできると思うよ」
おそらく担ぎ上げているのだろう。何か俺に損失があるお願いをするに違いない。
「言ったら分かるよ」
「じゃあ早く言ってよ」
「え、あ、うん、分かった……」
すると、彼女は少し身だしなみを整え、なんだか改まりながらこちらに目線を向ける。よく見ると少し頬も先ほどより赤くなっている気がする。
「ねぇ、柊くん」
「どうしたの」
「私、ずっと前からあなたのこと気になってたの」
「そうなんだ」
「そう。それでね、もしよかったら私にあなたを―――」
――――――殺させてくれない?
それは一瞬だった。
彼女がそう告げた刹那、彼女は自分の制服のかくしから鋭いナイフを取り出し、まず僕の腹部を勢いよく突き刺す。そして、流れるように四肢を切断し、物理的に逃亡不可の状態にしたと思えば、首からピックを取り出し、眼球に向かって勢いよく刺した。僅か二秒たらずの動きだった。
「油断していたみたいだね」
「っ………油断してなくても死んでるよね、普通」
彼女の右手にはナイフ、左手にはピック。そして、その鋭い先にはどちらにも赤いインクがポタポタとこぼれている。瞳には先ほどのような緑の輝きは完全に消え失せ、いつの間にかどす黒い朱色に染まっていた。
「油断してなかったら、死なないよ。だってあなたはそ・う・い・う・人・間・だもん」
「どういう人間なのさ」
「そういうのもういいよ。本当は分かってるんでしょ」
「そんなこと言われてもな」
「はぁ……」
彼女は小さくため息をつく。
「まぁいいよ。何の道どのみち君はもうすぐ死ぬわけだし」
「確かにね」
「まぁ今は残された貴重な最後をじっくりと心に刻んで………」
なぜかその瞬間、彼女はふいに言葉を止める。そして改めて自分が殺した人間にゆっくりと目をやると、少し慌てながらその物体を確認する。
――沈黙、
――――沈黙、
――――――沈黙、
――――――――――――沈黙。
そして彼女は目を少し挙動不審にさせながら、ゆっくりと再び口を開く。
「ね、ねえ………私が今話してるのって『羽衣柊くん』だよね?」
「わざわざフルネームで呼ぶんだね」
「じゃ、じゃあ私の目の前にあるこの体は『羽衣柊くん』ので…合ってるよね?」
「え、何言ってるの?違うに決まってるじゃん」
「え?」
彼女の拍子抜けした顔を僕は確認すると、屋上の入口からゆっくりと再び姿を現す。
「こっちが月百合さんの言ってる『羽衣柊くん』だよ」
「ッ!?」
夕日の光が屋上を差していた。明るい時間は終わりを迎え、ようやく明るさのない黒い時間がやってくる。そして、彼女の視界には、その夕日の光を浴び、少し艶のあるように見える肌をさらす、パンツ一丁の僕の姿がはっきりと映っていた。
「まったく、突拍子もないことしないでほしいんだけど。初対面の人に出会って初日に屋上に呼ばれたと思ったら、殺害目的って初日イベントの枠超えちゃってるよ」
「き、君なんで生きてるの!?というか、なんで服着てないの!?」
「え、まさかあれ、本気で殺す気でやってたの?あ、あと服はそこにあるよ」
「え、それどういうこと………?」
「そのままの意味だよ」
彼女は何を言われているのか分からない様子でひたすらそこに佇んでいる。まさか、本当に彼女は僕を殺す気でいたのかもしれない。
「とりあえず用も済んだっぽいし、もう帰っていいかな?」
「全然済んでないよ!」
「一応、友達を待たせてるんだけど…」
「そういう問題じゃない!」
なんて面倒くさい女の子なんだ。言っていることがさっぱりわからない。僕は小さくため息をつくと、一秒とも言えない速さで、ナイフでずたずたに切り刻まれた衣服を取り返し、屋上に一つしかない扉へ戻る。
「ちょ、ちょっと待って!」
「じゃ、また明日の学校で」
そう言った途端、僕は勢いよく扉を閉め、ガチャンッと鍵を閉める。階段を下りている間、外から少しうるさい声が聞こえたような気がするが、気のせいだろう。僕はそのまま日高くんが待っている教室へ足を淡々と運んだ。