Episode1
Episode1
「ふぁ〜……もう朝か」
枕元に置いてあったジリジリとうるさく鳴り響くアラームを止め、僕はゆっくりと目を覚ます。まだ少し曇った視界にはいつも通りの自室の風景が映っていて、正直まだ体温が残った温もりのある布団の中に引きこもっていたいところだが、学校に遅れる訳にもいかないので勇気を振り絞り、布団から飛び出す。
今日の日付は4月7日。そう、今日は僕の新たな高校生活が始まる最初の一歩である入学式がある。
「今日何時からだっけな」
プリントや教科書であふれた勉強机に目をやり、少し落胆しながらも、黙々とその中を漁り、事前に高校から渡された入学式についてのしおりを見つける。表紙のページをめくると、すぐそこに入学式の開始時刻が記載されていた。
「9時か………えっと、今は何時だっけ、」
家から高校までの距離は電車で一時間ほど。いつも通りのアラームであれば7時には起床しているため、本来は焦ることなどないのだが………
「し、7時50分!?」
最近はアラームの調子が悪く、しっかりと寝る前にセットしたことを確認しても、たまに平気で今日のように50分後に鳴ることがある。今日くらいはまともになってくれることを期待していたが、案の定、仕事をこなしてきた。
「入学式くらいは朝食ちゃんと食べたかったんだけどな~」
僕は鞄を手に、急いで階段を降り、リビングへ向かうと、冷蔵庫にあるゼリー飲料3本を素早く手に取る。そして、それらを口に咥えながら、昨夜、玄関に置いておいた制服を身に包み、わずか二分ほどで朝の身支度を完了させる。そして、靴紐を結び終わると、僕はいつものようにドアノブに手をかけた。
「いってきま~す」
その声は誰もいない静かな家に元気をもたらすように響いた。
◆◇◆
「っと。ギリギリセーフかな」
あの後、なんやかんやで上手くいき、なんとか入学式開始の一分前に着くことができた。まったく、帰ったらあのボロ時計、絶対に買い換えておこう。
『これより第68回霞ヶ丘学園高等学校入学式を開始致します』
そのアナウンス音は聞きなれた声色とは異なり、新鮮さを感じさせる。これから僕の新しい高校生活が始まるのか。
『新入生代表の言葉、一年A組月百合灯花さん』
「はい!」
入学式は最終局面まで進み、最後の新入生代表の言葉に移っていた。壇上に登った代表生徒に僕は目をやる。彼女は、ふわふわと揺れる桜色の猫っ毛質のさらさらした髪を胸辺りまで伸ばし、ゆるやか八の字の細い眉毛の下には、アレキサンドライトのような深い青緑色の瞳をこちらへ向ける。
「暖かな春の風に舞う桜の花と共に、私たちは今日高校生になりました。本日はこのような、素晴らしい式を……」
整った顔立ち、ほどよく育った乳房、しっかりと引き締まったウエストがよりスタイルの良さを引き立てる。要するになかなかの美人さんだ。ほとんどの男子は皆一同に彼女に目が釘付けになっていた。
「………これから三年間よろしくお願いします。4月7日、一年A組月百合灯花」
彼女が、そう告げると会場は一斉に拍手に包まれる。
これがマドンナというやつだろうか。まだ入学して一日も経っていないというのに、この男子からの惹かれ度合い、間違いない。どこの学校でもそういう存在はいるのはいるが、ここまでの強さは初めてだ。
おそらく初日から屋上で忙しくなるだろう。
『以上で第68回霞ヶ丘学園高等学校入学式を終了致します』
ようやく退屈な入学式が終わり、それぞれが新しいクラスの教室へ移動する。
「確か僕は1年A組だったはず……あった」
【1年A組】と書かれた看板が釣り下がっている教室を見つけ、ドアの前で一呼吸する。
「ふぅ……。よし」
『ガラガラガラ……』
そして僕は勢いよくドアを開け、めいいっぱい教室の空気を吸い込んだ。
僕は新しい教室に初めて入る時の匂いが好きだ。言葉にできない窓から吹き出る少し涼しい風の匂い、黒板に書かれているチョークの粉の匂い、少し湿った椅子の木の匂い、なんというか…すごくいい。
今日からここで僕の高校生活が始まるのか。
ふと、黒板に目をやると座席表が貼られていた。
「僕の席は…………。ここか」
僕の席は主人公席のようで、教室の窓側最後列にある席にゆっくりとした足取りで向かう。鞄を横にかけ、そっと席を下げ、静かに座る。周りを見渡すと、ほとんどの生徒が既に席に座り終えていた。
「よっ!」
ふと、僕の前の席から少し太い声が聞こえる。ゆっくりと前へ視線を送ると、
「俺、日高日小森ひだかひこもり。これから三年間よろしくな!」
「え、あぁ…よろしく」
気づけば、なぜか知り合いでもない前の生徒が、僕に向かって話しかけていた。なんてコミュ力に長けた生物だろう。最初は相手を不快にさせないために敬語を使い、ゆっくりと距離を詰めるのが定石だが、この人はその常識が通用しない。きっと、中学時代でも冗談抜きで友達が100人くらいおり、クラスの中でも中心人物であった、いわゆる陽キャというやつだろう。偏見ばかりで考察して悪いが、そうでなければ説明がつかない。
「おい、お前の名前も教えろよ」
「羽衣柊はごろもしゅう」
「おぉ、なんかかっこいい名前だな」
「そんなことないでしょ」
羽衣なんてただの羽の衣だぞ。揚げてしまえば手羽先。どちらかと言うとおなかが減る名前だろ。
「で、柊」
「おぉ、いきなり名前呼びか。さすが陽キャ…」
「なんか言ったか?」
「いや、なんでもないよ」
「まあいいか。それよりだな、一つお前に聞きたいことがある」
「なに?」
好きな食べ物か?自分の趣味か?その点に関してはすぐに答えられるように、常に用意しているから任せてもらいたい。
「このクラスで一番かわいい女子、誰だと思う?」
一番かわいい女子?なんだそりゃ。しょうもなすぎるだろ。これが陽キャのノリってやつか。ここはひとまずテキトーにその辺に座ってる女子の名前でも答えておこう。
「松木さんとか?」
「!?お、お前ロリコンだったのか?」
「え?」
僕が口にした「松木さん」の方へ目線を向けると、彼女は高校生とは思えないほどの背の低さで、髪をツインテールに巻き、その顔はまさに小学六年生そのものだった。
「柊。俺はお前がどんな趣味だとしても肯定するぜ」
「やってしまった……」
入学当初からロリコン認定されるとは。なんて運が悪いんだ。そういえば今日電車に乗ってる時に見た星座占い最下位だったな。まったく、こういう時だけ当たるのはなぜなのだろうか。
「はぁ……じゃあ、日高くんはどうなのさ」
「俺か?」
すると、その瞬間『ガラガラガラ』と教室の扉がゆっくりと開く。
扉の先にいるのは一人の女子生徒だった。彼女は桜のようなひらひらとした清潔感のある長髪を春風になびかせ、ゆっくりとこちらへ足を運ぶ。
「柊。俺はだな………月百合灯花だ」
「ねえ、今私のこと呼んだ?」
ふと、耳に聞いたことのある声が聞こえる。声の聞こえた右へ首を傾けるとそこには、
「確か羽衣柊くんよね?初めまして。私、月百合灯花。一応、入学式で言葉とか言ったから、知ってたかも。これから三年間よろしくね」
彼女はそう言うと、鞄を横にかけ、ゆっくりと自席に座る。「月百合灯花」、聞いたことがある名前だと思ったら、入学式で喋ってたあの生徒マドンナか。というか、なんで僕の名前を……まぁ、そんなのはどうでもいいか。
「え、あぁ…うん。よろしく」
僕がボソッと呟いたその小さな声は彼女に届いたようで、彼女は小さく相槌を返してくれた。首の位置を元に戻すと、僕の視界にはなぜか少しキレている様子の日高の顔面が映っていた。
「おい、柊」
「な、何?」
「お前、月百合さんと知り合いだったのか?」
「は?」
僕は彼女の存在を知ったのもついさっきだし、会話をしたのもたった今だ。おそらく知り合いどこか、まだクラスメートとも呼べない関係だろう。
「違うに決まってるじゃん」
「じゃあ、なんで名前を知られてんだよ」
「知らないよ。たぶん、クラス全員の名前覚えてるんじゃない?」
「記憶力すごすぎるだろ」
そうでけなければ、僕の名前だけを覚えている理由がない。他に理由でもあれが別だが……