5.子犬?いいえ、どう見ても猛獣です!
ココアというものは冷ましながら、ゆっくりじんわりと温もりを楽しむ飲みものである。
それを知らなかったマノンは、ぐびりと飲んで舌をやけどさせてしまい、熱さにむせて涙目になりながら、おいしさのあまり机につっぷして、ライオネルをたいそう心配させた。
「だっ、だいじょうぶか?」
「だ……じょ……でふっ、ごほっ」
死にそうな顔でマノンは首をふるふると横に振り、差しだされる水のグラスは断った。
「水なんか飲んだらお腹の中でココアが薄くなります!」
「……薄く?」
「そうです。甘さと濃厚なミルクのコク、お腹に広がるじんわりとした温かさが!薄く!」
「あぁ、うん。そうだな?」
一滴残らず飲み終わり、カップの底にかすかについたカスを未練たっぷりに眺めながら、マノンはほう……と息をつく。
「……罪深い味わいでした」
最初のひと口でむせてしまったの、すごくもったいない。
――こんなおいしいものが世の中にあったなんて!
破壊的なまでの衝撃と、その味を知ってしまった背徳感、そして今飲まねばもう一生飲めないかもしれない……という焦り。
ぐぬぬ……とカップの底をにらんでいたマノンに、ライオネルはそっとささやいた。
「おかわりならあるぞ?」
――!!
結局、小鍋に残っていたぶんまで飲み干した。
「ごちそうさまでした。包み焼きもココアもおいしかったです」
きちんとごちそうさまをしながら、マノンは何とも言えず悔しい気持ちになる。
(不覚……未知の茶色い液体にここまで心を奪われるとは……)
でも空腹ならではの、さびしい気持ちはだいぶおさまった。そんなマノンのようすを見ながら、カップを手にしたライオネルがニヤリと笑う。
「北方砦で作るココアは搾りたての牛乳を使うから、もっとうまいぞ」
「今のままでも、じゅうぶんおいしいのに、これ以上があるというのですか⁉️」
目を丸くしたマノンに、ライオネルは語ってきかせた。
「搾りたての牛乳は、ただでさえすごく甘いんだ。冬場は体を温めて疲れも吹っ飛ぶ。傷の治りが早くなるし、薬湯としても用いる」
「薬湯って苦いイメージしかなかったです」
「前線にある北方砦にやってくるのは、食いつめた連中だ。兵士になれば腹一杯食えるし、こういったものも飲める。そうやって兵士を集めるんだ。寒くて口も効けぬほど凍えた体を温めるなら……酒を少したらせば、魂にまで沁みる甘さだ」
ライオネルはアイスブルーの瞳を濃くして、手元のカップに視線を落とす。
「俺もそうやって集められたひとりだった。いつも腹をすかせていたし、来年の春まで生きるための糧がほしかった」
「でも……今のライオネル様は騎士団長です」
「戦場でたまたま落とした敵の首が大将格でな。騎士には領地持ちの貴族でないとなれないから、ダモス将軍が俺を養子にした。俺はまぁ……食えれば何でもよかったんだ。戦いの中で死ぬのだと思っていた」
金の髪はキラキラしていて、アイスブルーの瞳は涼やかで、笑うと目が優しくなる。けれどライオネル・ダモスは、見かけ通りの人ではないのかもしれない。マノンはふと浮かんだ想いを、そっと心に刻んだ。
「生きてて……よかったですか?」
マノンのつぶやくような問いかけに、ライオネルはちょっと目を見開いてから、やわらかくほほえんだ。
「もちろん。きみは?」
「私は住むところもあって、食事ももらえています。図書室でウィルの手伝いをすれば、本だって読ませてもらえます。じゅうぶん恵まれていますよ」
ライオネルの視線から隠すように引っこめた、荒れた手をきゅっと握りしめる。
「そうだな、北方砦の周辺で暮らす民よりはよほど。王都は冬の寒さもさほど厳しくないし……だからマノン、きみはひとりじゃない」
「え?」
「夜をしのぐのが耐え難いほどの空腹も、大切な人を失うつらさも、身を切るほどの孤独も、きみだけじゃない……北の大地では大勢が味わっている。だからきみの勇気と、生きていることへ感謝を」
そう言って祈るしぐさをしたあと、ライオネルは穏やかに笑った。
「今回は親父殿に無茶ぶりをされたからな、戦果を挙げねば北にも帰れなくて困っていたところだ。きみに会えてよかった」
「戦果?」
「白い戦とでもいうのかな、血を流さない戦いだ。北の大地で育った兵士たちは鍛えられているが、じゅうぶんな物資の補給がなければ、戦闘能力は激減する。ただでさえ貧しく、不毛の土地とみなされている北へ、支援を得るには王都での駆け引きも重要なんだ」
ライオネルは大きくため息をついた。
「『王都で騎士団長として、確固たる地位を築け』……親父殿にはそう命じられている。北方砦の兵士たちはともに育った兄弟みたいなものだ。あいつらを死なせるような戦いはしたくない」
「がんばってください、としか言いようがないです」
「うん」
ライオネルは何だか複雑な使命を帯びているようだけれど、雑用係のマノンは何の役にも立たない。それなのにいっしょに食事をして、ココアを飲んでいる。
「何でそんな話を私に?これは後で口封じに殺される流れでしょうか?」
「何でそんな物騒な流れになるんだ」
おずおずと顔を上げて、マノンは思ったままを口にした。
「ライオネル様が、血に飢えた獣みたいな目をなさいますので……」
ここで殺されるとしたら、投げ込まれるのは井戸だろうか……ついそんな考えが頭をよぎる。
「……正直、ひと思いに刀の錆にしてしまったほうが、楽だと思うこともある」
「今、さらっと怖いことを言いましたよ」
「うん、不思議だな。マノンには何でも話しやすいんだ」
「勝手に相談相手に認定しないでください!」
マノンの抗議に、ライオネルはクスクス笑った。
「まぁ、これも雑用のひとつだと思ってくれ」
「よけいな仕事が増えた気がします……」
ココアは本当においしかったけど、マノンにとっては謎な心理的負担が増えた気がする。さわやかイケメンのライオネル・ダモスは、どう見ても子犬どころが猛獣だとしか思えない。
「実は王都にいるあいだに、料理のレパートリーを増やしたいんだ。北に帰ったときに、砦のやつらにふるまってやりたい。手伝ってくれないか?」
「ほかの人に頼んでください」
騎士団長が自ら給仕してくれるのであれば、どんな淑女だって大喜びだろう。
「とんでもないものが出来るかもしれないし、うかつに試食させられないだろう?」
「私は毒味係ですか」
不信感丸出しのマノンに、ライオネルはなだめるように言い聞かせる。
「使うのはちゃんとした食材だ。責任者にも掛け合って、厨房の使用許可も取るつもりだから」
「どうしてそこまで……」
騎士団長がなぜ料理をしたがるのか分からない。ライオネルは照れくさそうにくしゃりと笑った。
「砦で覚えた唯一の趣味なんだ。かといって食べさせる相手もいないのでは、作る張り合いがない」
「騎士団の皆様に食べさせればいいのでは」
「……連中がどれだけ食うか、知っていて言うのか?」
すんっと真顔になるライオネルに、マノンは必死に言い返した。
「騎士団長ご飯、喜ばれますよきっと」
「いやダメだ。『酒を出せ』とか言いだすに決まっている。繊細な味つけも試したいから、意見をちゃんと聞きたいし」
「司書をしているウィルなら、ああ見えて伯爵家の三男だから、舌が肥えていると思います」
「きみに食べさせたいんだ」
「だから、何で私なんですか⁉」
押し問答をした挙句、マノンは騎士団長から試食係に任命された。部屋に戻る時間が迫っていて、後片づけもすっぽかしてマノンは自分の部屋に戻った。
どっぷりと疲れて部屋に帰れば、閉ざされたドアの小さな差しこみ口から、食事のトレイが入れられている。木の椀にいつもの薄いスープと、カチカチのパンがひとかけら。
(生きるための糧……)
パンをスープにひたして、やわらかくなったところを、もくもくと食べる。ライオネルが用意したものにくらべれば味がしない。それでも今のところ、毎日用意してもらえる。
『マノン、きみはひとりじゃない』
冷たくて硬いベッドにぼふんと倒れ込んだマノンの頭に、なぜかライオネルの声が響いた。
『花束』が次回に持ち越しとなりました(汗
火傷した時、せっせとココアを飲みました。
(皮膚科で手当を受けた後です。まずは受診してくださいね)