表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/8

5.子犬?いいえ、どう見ても猛獣です!

 ココアというものは冷ましながら、ゆっくりじんわりと温もりを楽しむ飲みものである。


 それを知らなかったマノンは、ぐびりと飲んで舌をやけどさせてしまい、熱さにむせて涙目になりながら、おいしさのあまり机につっぷして、ライオネルをたいそう心配させた。


「だっ、だいじょうぶか?」


「だ……じょ……でふっ、ごほっ」


 死にそうな顔でマノンは首をふるふると横に振り、差しだされる水のグラスは断った。


「水なんか飲んだらお腹の中でココアが薄くなります!」


「……薄く?」


「そうです。甘さと濃厚なミルクのコク、お腹に広がるじんわりとした温かさが!薄く!」


「あぁ、うん。そうだな?」


 一滴残らず飲み終わり、カップの底にかすかについたカスを未練たっぷりに眺めながら、マノンはほう……と息をつく。


「……罪深い味わいでした」


 最初のひと口でむせてしまったの、すごくもったいない。


 ――こんなおいしいものが世の中にあったなんて!


 破壊的なまでの衝撃と、その味を知ってしまった背徳感、そして今飲まねばもう一生飲めないかもしれない……という焦り。


 ぐぬぬ……とカップの底をにらんでいたマノンに、ライオネルはそっとささやいた。


「おかわりならあるぞ?」


 ――!!


 結局、小鍋に残っていたぶんまで飲み干した。





「ごちそうさまでした。包み焼きもココアもおいしかったです」


 きちんとごちそうさまをしながら、マノンは何とも言えず悔しい気持ちになる。


(不覚……未知の茶色い液体にここまで心を奪われるとは……)


 でも空腹ならではの、さびしい気持ちはだいぶおさまった。そんなマノンのようすを見ながら、カップを手にしたライオネルがニヤリと笑う。


「北方砦で作るココアは搾りたての牛乳を使うから、もっとうまいぞ」


「今のままでも、じゅうぶんおいしいのに、これ以上があるというのですか⁉️」


 目を丸くしたマノンに、ライオネルは語ってきかせた。


「搾りたての牛乳は、ただでさえすごく甘いんだ。冬場は体を温めて疲れも吹っ飛ぶ。傷の治りが早くなるし、薬湯としても用いる」


「薬湯って苦いイメージしかなかったです」


「前線にある北方砦にやってくるのは、食いつめた連中だ。兵士になれば腹一杯食えるし、こういったものも飲める。そうやって兵士を集めるんだ。寒くて口も効けぬほど凍えた体を温めるなら……酒を少したらせば、魂にまで沁みる甘さだ」


 ライオネルはアイスブルーの瞳を濃くして、手元のカップに視線を落とす。


「俺もそうやって集められたひとりだった。いつも腹をすかせていたし、来年の春まで生きるための糧がほしかった」


「でも……今のライオネル様は騎士団長です」


「戦場でたまたま落とした敵の首が大将格でな。騎士には領地持ちの貴族でないとなれないから、ダモス将軍が俺を養子にした。俺はまぁ……食えれば何でもよかったんだ。戦いの中で死ぬのだと思っていた」


 金の髪はキラキラしていて、アイスブルーの瞳は涼やかで、笑うと目が優しくなる。けれどライオネル・ダモスは、見かけ通りの人ではないのかもしれない。マノンはふと浮かんだ想いを、そっと心に刻んだ。


「生きてて……よかったですか?」


 マノンのつぶやくような問いかけに、ライオネルはちょっと目を見開いてから、やわらかくほほえんだ。


「もちろん。きみは?」


「私は住むところもあって、食事ももらえています。図書室でウィルの手伝いをすれば、本だって読ませてもらえます。じゅうぶん恵まれていますよ」


 ライオネルの視線から隠すように引っこめた、荒れた手をきゅっと握りしめる。


「そうだな、北方砦の周辺で暮らす民よりはよほど。王都は冬の寒さもさほど厳しくないし……だからマノン、きみはひとりじゃない」


「え?」


「夜をしのぐのが耐え難いほどの空腹も、大切な人を失うつらさも、身を切るほどの孤独も、きみだけじゃない……北の大地では大勢が味わっている。だからきみの勇気と、生きていることへ感謝を」


 そう言って祈るしぐさをしたあと、ライオネルは穏やかに笑った。


「今回は親父殿に無茶ぶりをされたからな、戦果を挙げねば北にも帰れなくて困っていたところだ。きみに会えてよかった」


「戦果?」


「白い戦とでもいうのかな、血を流さない戦いだ。北の大地で育った兵士たちは鍛えられているが、じゅうぶんな物資の補給がなければ、戦闘能力は激減する。ただでさえ貧しく、不毛の土地とみなされている北へ、支援を得るには王都での駆け引きも重要なんだ」


 ライオネルは大きくため息をついた。


「『王都で騎士団長として、確固たる地位を築け』……親父殿にはそう命じられている。北方砦の兵士たちはともに育った兄弟みたいなものだ。あいつらを死なせるような戦いはしたくない」


「がんばってください、としか言いようがないです」


「うん」


 ライオネルは何だか複雑な使命を帯びているようだけれど、雑用係のマノンは何の役にも立たない。それなのにいっしょに食事をして、ココアを飲んでいる。


「何でそんな話を私に?これは後で口封じに殺される流れでしょうか?」


「何でそんな物騒な流れになるんだ」


 おずおずと顔を上げて、マノンは思ったままを口にした。


「ライオネル様が、血に飢えた獣みたいな目をなさいますので……」


 ここで殺されるとしたら、投げ込まれるのは井戸だろうか……ついそんな考えが頭をよぎる。


「……正直、ひと思いに刀の錆にしてしまったほうが、楽だと思うこともある」


「今、さらっと怖いことを言いましたよ」


「うん、不思議だな。マノンには何でも話しやすいんだ」


「勝手に相談相手に認定しないでください!」


 マノンの抗議に、ライオネルはクスクス笑った。


「まぁ、これも雑用のひとつだと思ってくれ」


「よけいな仕事が増えた気がします……」


 ココアは本当においしかったけど、マノンにとっては謎な心理的負担が増えた気がする。さわやかイケメンのライオネル・ダモスは、どう見ても子犬どころが猛獣だとしか思えない。


「実は王都にいるあいだに、料理のレパートリーを増やしたいんだ。北に帰ったときに、砦のやつらにふるまってやりたい。手伝ってくれないか?」


「ほかの人に頼んでください」


 騎士団長が自ら給仕してくれるのであれば、どんな淑女だって大喜びだろう。


「とんでもないものが出来るかもしれないし、うかつに試食させられないだろう?」


「私は毒味係ですか」


 不信感丸出しのマノンに、ライオネルはなだめるように言い聞かせる。


「使うのはちゃんとした食材だ。責任者にも掛け合って、厨房の使用許可も取るつもりだから」


「どうしてそこまで……」


 騎士団長がなぜ料理をしたがるのか分からない。ライオネルは照れくさそうにくしゃりと笑った。


「砦で覚えた唯一の趣味なんだ。かといって食べさせる相手もいないのでは、作る張り合いがない」


「騎士団の皆様に食べさせればいいのでは」


「……連中がどれだけ食うか、知っていて言うのか?」


 すんっと真顔になるライオネルに、マノンは必死に言い返した。


「騎士団長ご飯、喜ばれますよきっと」


「いやダメだ。『酒を出せ』とか言いだすに決まっている。繊細な味つけも試したいから、意見をちゃんと聞きたいし」


「司書をしているウィルなら、ああ見えて伯爵家の三男だから、舌が肥えていると思います」


「きみに食べさせたいんだ」


「だから、何で私なんですか⁉」


 押し問答をした挙句、マノンは騎士団長から試食係に任命された。部屋に戻る時間が迫っていて、後片づけもすっぽかしてマノンは自分の部屋に戻った。





 どっぷりと疲れて部屋に帰れば、閉ざされたドアの小さな差しこみ口から、食事のトレイが入れられている。木の椀にいつもの薄いスープと、カチカチのパンがひとかけら。


(生きるための糧……)


 パンをスープにひたして、やわらかくなったところを、もくもくと食べる。ライオネルが用意したものにくらべれば味がしない。それでも今のところ、毎日用意してもらえる。


『マノン、きみはひとりじゃない』


 冷たくて硬いベッドにぼふんと倒れ込んだマノンの頭に、なぜかライオネルの声が響いた。

『花束』が次回に持ち越しとなりました(汗

火傷した時、せっせとココアを飲みました。

(皮膚科で手当を受けた後です。まずは受診してくださいね)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
作者にマシュマロを送る
↓『魔術師の杖』シリーズ↓
魔術師の杖シリーズ
騎士団長ヒーロー企画←クリック!↓検索
騎士団長ヒーロー企画
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ