ある兵士の話
拙い文章、物語のため、かなりお見苦しい作品となっております。
曇天の下、無数に交わされる弾丸の中で、一人、また一人と斃れていき、辺り一面が赤く染まっていく。
「走れ!走れよ!死にたいのか!?」
戦場と化した荒野に色々な怒号、悲鳴が響き渡る。
俺はその場から一歩も動けずにいた。
「おい!!走れって!!」
その言葉でハッと我に返り、焦点の合わない目で声のした方を見る。目の前には同じ隊に所属するフリッツの顔があった。
「なにつっ立ってんだよ!動かなきゃ的になるだけだぞ!」
そう言ってフリッツは俺の手を引き、岩陰に転がり込んだ。
「ここで死なれたら困るんだよ!
お前は生きてもらわないと!」
大砲の轟音、仲間達の吶喊を背に、フリッツは真っ直ぐな目をして
俺に言った。
「頼む、もう死なせてくれ...」
俺のその言葉を聞き、フリッツは黙り込む。
それからどれほどの時が経ったろうか。
二人の間にだけ流れる永遠にも感じるような静寂を打ち消すように、フリッツは話し始めた。
「...なぁ、ちょっと昔話をしてもいいか?」
「なんだよ急に。」
「まぁ、聞いてくれ。」
「俺達の故郷の西にある森の外れにさ、男が一人で住んでたんだよ。
その男は人と関わることをとうに辞めていて、虚無の毎日の中で次第に希死念慮を抱き始めた。
そんなある日、一人の若い女が、「しばらく匿って欲しい」って訪ねてきたんだ。女はかなり痩せこけていて、身なりはボロボロだった。
これは一大事だと思った男は急いで女を家に上げ、訳を聞くことにした。どうやら女は軍人で、捕虜として敵国に捕まっていたが、命からがら逃げてきたらしいということ、ある男を探しているということ、その男を殺すまで死ぬわけにはいかぬということだった。
女はその男の写真を見せた。写っていたのは、精悍な顔つきをした青年で、見たところ20代後半~30代前半に思えた。「この青年が何かしたのか」と聞くと、女は憎しみのこもった声で静かに話し始めた。
この青年は、敵国に寝返った売国奴らしく、相手に情報を流していたそうだ。それだけではなく、占領した街で兵士と共に住民を品定めし、男性、男児は即座に射殺、女性、女児に関しては横暴の限りを尽くして嬲り殺しにしたらしい。
その街は女の故郷で、その出来事で家族が...というなんとも痛ましい話だった。」
「........」
「その女はその後どうしたんだ。」
「ある朝いなくなっていたよ。
感謝を伝える置き手紙を残してな。」
「...そうか。」
少しの静寂の後、フリッツは言った。
「....なぁ、売国奴さんよ、俺はお前のやったことがどうしても許せない。あの街には俺の妹もいたんだ!
「死なせてくれ」だと?できることならそうしたい、八つ裂きにしてやりたい!」
俺は自分の愚行に苦笑した。
地位のためでも名誉のためでもない。あぶく銭のために、欲望のために数多の人を殺めた。
それが今、この男の悲痛な叫びによって再び重くのし掛かってくる。
「…なぜ分かった?」
「顔を変えても、名前がそのままじゃ分かって当然だろう。
なぜ名前も変えなかった。」
「........」
「当ててやろうか
罪悪感からだろう、誰でもいいから俺を見つけて殺してくれとでも思っていたんだろう?
死ねば罪滅ぼしになるとでも思ったのか?
そんなことは俺が決して許さない。
生きて、残された人々の苦しみを知って、一生罪と向き合い続けろ。それが俺の願いだ。」
言い終わると同時に、近くで仲間の叫び声が聞こえた。
「爆撃機が来るぞ!」
刹那、爆弾の雨が降り注ぐ。
目の前が閃光と土煙に覆われる中で、最後に見た光景は、俺を突き飛ばしているフリッツの姿だった。
ガタゴトという音が聞こえる。
まだぼんやりとした頭のまま、目を開けると、そこは荷車の中だった。
遺体回収班だ。
その証拠に、俺の周りには様々な有り様の遺体がぎゅうぎゅうに詰め込まれており、その山の上に俺はいた。
死臭を感じると同時に、まだ生きているという実感が沸き上がる。
なんとか力を振り絞り、その荷車から転げ落ちるような形で地面に降り、辺りを見回してみると、体のパーツを欠損し呻き声を上げている負傷者や、戦死者達の遺体がゴロゴロ転がっている。焼けているもの、バラバラに砕け散っているもの、奇跡的に傷ひとつないもの。
人が焼ける臭いが充満しており、焼け焦げた眼窩の中で、煮たった脳漿がブクブクと泡立っている。
放心状態のまま、俺たちが話していた場所へ、役に立たない記憶を頼りに歩みを進めていくと、バラバラになった人体のパーツの中に、一体の生焼けになった遺体が転がっている。その遺体はまるでボクサーのファイティングポーズのような姿勢を取っており、身元を示すドックタグの文字は奇跡的に読める状態だった。
そのドックタグを見て、この遺体はフリッツであると確信した。
ドックタグを首から外し、懐から布とナイフを取り出し、右の手のひらを無理やり開かせ、小指の第一関節を切断する。
切断した肉塊とドックタグを布にくるみ、故郷へ戻る支度をすませ、荒野を後にした。
なんとか帰国した後、生前にフリッツから聞いた情報を頼りに彼の生家に向かうと、彼の母とおぼしき老婆が家の横にある花壇に水をあげていた。
声をかけ、布を渡す。
それを手に取り、老婆は俺に聞いた。
「...これは?」
薄々気づいているのだろう。声が震えている。
「....あなたの息子さんです。」
それを聞いた老婆は、目を見開き、へなへなと崩れ落ちた。
「息子さんは、最期まで立派な軍人でした。」
それでは、と踵を返し、俺は歩き出す。
背後で慟哭が聞こえる。
俺が我が子の仇であるとも知らず、この人は死んでいくのだろう。
ふと空を見ると、雲一つない、清々しいほどの眩しい青空が広がっている。しかし今の俺には
「どこへ行こうとお前に逃げ場所はない」と、天が訴えかけてきているように見え、それが何よりも恐ろしくてたまらなかった。
最後までお読みいただき、誠にありがとうございます。
それでは、お目汚し大変失礼いたしました。