第96話 逃走(伊藤真一視点)
白く塗られた壁に、灰色の天井と同系色のタイルの床。
私たちのやり取りを見守る土門様は、たった1つしか取り付けられていない出入り口の目の前に堂々と立ち開かり、蟻一匹通さない構えである。
パイプ椅子に腰を降ろす茶髪の青年が、グレーの片袖デスクに両肘をついたまま、かれこれ5時間も無言を貫いていた。
「伊藤さん。何度も言いますが、状況証拠はこれだけ揃っているんです。まだ嘘を吐き通すつもりですか。……それとも、何か弁解はありますか? あるのでしたら、私は公平な立場でその話を聞くつもりですが」
茶髪の青年――伊藤真一の目の前には、いくつもの書類が並べられている。
私はもう一度それらを手に取り、伊藤氏を追い詰めるべく口を開いた。
スキルを発動すれば手っ取り早く自白が取れる。けれど、それは最終手段だ。
可能であれば、彼の意思で真実を口にして欲しい。彼の今後の人生のためにも、私はせつにそう願う。
「まずはこれですね。先ほども言いましたが、アナタは5月30日、ダンジョン・デイズに建てられた掲示板をこの携帯端末で閲覧しています。滞在時間は30分ほど。掲示板の勢いから計算して、アナタはスレッドが埋まるまで閲覧していたことになる」
私は一呼吸置いた後、2枚目の書類を指差した。
0989 名無しの探索者 2024/05/30(木)
ん-……勘違いかもしれんけどさ
伊藤真一がイレギュラー倒したっていうダンジョンあるじゃん? F難度ダンジョン、指定番号411ホール。ちょいと調べてみたんだけど、そこにモナちゃんも潜ってたらしいよ
ひょっとしたらひょっとするかもね
「この書き込みは私が仕掛けたトラップでした。アナタはこの書き込み以降の流れを危惧し、疑惑を払拭するために天海最中さんと接触した。反論があればどうぞ?」
「…………」
「無さそうでしたら続けますね。次はこちらをご覧ください。こちらは5月29日に撮影された映像です。もちろん盗撮ですから、法廷での証拠能力は否定される可能性があります」
しかし、そんなことは小さな問題だ。
そもそも我々は、法廷で争うつもりなど毛頭ないのだから。
「こちらの映像にはダンジョン・ショップに赴くアナタの姿が映し出されています。調査の結果判明したことですが、アナタはファンの方からいくつかのアイテムを送付されたそうですね。きっとそれを売却するべく訪れたのでしょうが――それが仇となりました。アナタ、実に運が悪い。……いえ、この場合は運が良いと言うべきかもしれませんね」
「……?」
「ダンジョン・ショップには早い段階で目を付けていました。もしも天海さんがイレギュラーを討伐したのであれば、ドロップアイテムを売却するハズだと踏んでましたから。しかし、天海最中さんはなかなか姿を現さなかった」
必然的に、我々はダンジョン・ショップへの監視を緩めていった――このミスさえなければ、もっと早い段階で真相に辿り着けたかもしれなかったのに。
しかし、今さら嘆いても意味がない。
私は気を取り直して、話を続けた。
「もしも高額な売買履歴を確認できた場合、すぐに調査するようにと、部下にはそう伝えていました。結果、5月29日都内某所のダンジョン・ショップでは440万円相当の高額な取引が行われていた。本当に因果なものです。まさかその僅か数分前に、天海最中さんがゴブリン・リーダーの核を売却していたとは」
天海最中は人気が上昇するにつれて、身バレを防止するようになっていった。
伊藤氏のようにマネージャーがついていなかったのか。それとも周囲に車などを出させないよう気を使って、なるべく自分の足で移動するよう心掛けていたのか。
いずれにせよだ。
複数の偶然が重なった結果、我々は天海最中が行った高額取引に気付くのが遅れてしまった。
しかしだ。
遅れこそしたものの、我々は辿り着いた。天海最中が高額な売却を行ったという事実に。
「さてと。このゴブリン・リーダーの核はどこから出てきたんでしょうね?」
ここまで問い詰めても、伊藤氏は口を開かない。
たしかに、我々が手にしているカードはいずれも状況証拠のみ。
伊藤氏の勝利条件、それは何があっても口を閉ざし続けること。黙秘を貫き通すこと。そのことを彼は深く理解しているのだろう。
「伊藤さん。先ほど私は「運が良い」と言いました。その意味が分かりますか?」
――沈黙。
私は構わずに続けた。
「これはチャンスなんですよ。ここで全ての真相を話してしまえば、確かにアナタは栄光を失う。しかし、それは再起するキッカケを得られるということでもあります。アナタはまだ若年だ。私との歳の差なんて1つか2つ程度でしょう。アナタはまだ詰んでいない。いくらでも挽回できるんですよ。だからアナタは、運が良いんです」
私にしては自我を出しすぎたか?
しかし、取り調べにおいて重要なのは押し引きのバランスだ。
飴と鞭、二つを適切に使い分けることで相手の心を解きほぐし、自白へと誘導する。
それでもダメなら――。
「話すことは、なにも無い。――いい加減に解放してくれ」
「そうですか。アナタの決意は相当に硬いようですね。ではそのちっぽけな決意に敬意を表して、私のスキルをお見せしましょう」
私は土門様の顔を一瞥する。
土門様は腕を組んだままの姿勢で、ゆっくりと頷いた。
「私のスキルは「催眠」。対象者の心の内、その全てを引き摺り出すことができる」
「…………随分と長い茶番だったな」
「……?」
「どうせ、そんなことだろうと思ってたよ」
その直後、伊藤氏は右手で握り拳を作り、自身の左手の平を思い切り叩き付けた。
バキッ!!
何かが割れるような音と同時に、伊藤氏の全身に縦線が浮かび上がる。
その姿はものの数秒で半透明になり、背後の白塗りの壁面が視認できるまでになった。
よく見てみると、伊藤氏は両手に革製の指抜きグローブを装着していた。
「まさか……手袋の中に楔を隠し持っていたのか!!」
「正確には楔を砕いて細かくしたものですよ。――すみませんね相沢さん、土門さん。何度も言うが俺から語ることは何も無い。そしてあなたたちが手にしているのは違法な方法で手に入れた状況証拠でしかない。残念ながら、俺の方が一枚上手だったみたいですね」
こうして、伊藤氏は姿を消した。
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「申し訳ありません。自らの意思で自白させるのが本人のためだと――出しゃばった真似をしてしまいました」
今の私には、深々と頭を下げることしかできない。
こんな失態は生まれて初めてだ。
私は初めて、土門様の期待に応えることができなかった……!
悔しさ、情けなさ、怒り、羞恥。
多種多様の感情が溢れ出て、綯い交ぜになって、不覚にも目尻に涙が浮かびそうになる。
私は必死に堪えて、さらに深く頭を下げた。
すると土門様は何を思ったのか、私のサイドテールをおもむろにぽふぽふし始めた。
「えーと、土門様。何をされているのですか?」
「ん? いや、こういう時でもないとぽふぽふさせてもらえないと思ってな」
「…………はい?」
「相沢よ、気にするでない。既に十二分な成果を得られているではないか」
いきなりそんなことを言われて、私はたじろいでしまう。
取り返しのつかない失態こそすれど、十二分な成果など挙げられていないではないか。
「土門様、どういうことですか。説明を求めます」
「どういうこともなにも、今起きたことが全てだろう。ここでのやり取りは全て【録画】してあるしな。確かに伊藤真一から自白を引き出すことは叶わなかった。だが、ヤツはこの場からの逃走を図った。考えるまでも無く理由は明白で、やましいことがあるからだ……もっと言えば、お前が「催眠」スキルを使うと口にしたからだ。だから伊藤真一は真相を引き摺り出されまいとして逃走を図ったのだ」
……だからなんだというのだ。
そんなもの、なんの意味もないではないか。
「お言葉ですが、それが真実だと証明する術が我々には――」
「必要ない」
「えっ?」
「それが真実だと誰に証明する必要がある? 我々はそれが真実だと知っている。辿り着いた。明らかにそうであると確信を抱いている。なればそれで充分なのだ。この先、伊藤真一のことはもう放っておけ。もはや彼に用はない」
それから少しの間を置いて、土門様はキッパリと断言した。
「私が求めていたものは確信だ。自白などその為の手段の一つに過ぎない。今回、彼は逃走を図った。我々からしてみればそれは「伊藤真一から自白を引き出した」のと等しい成果があるのだ。さぁ相沢よ。これ以上なにを求める?」
ああ…………。
ふっ、流石は土門様だ。
私みたいな小娘では到底足元にも及ばない。
「相沢よ、善は急げだ。次は我々が真実の英雄に接触する番だ――ッ!!」
ここまで読んで頂きありがとうございます!!




