彼女のことは自分が一番良く分かっている【ルイ視点】
日中あれほど高かった陽の光が完全に落ちきる頃。
午後の調練の後で書類整理などの雑務をこなしたルイ・クレイグは自室へと引き上げるため、寮の廊下をひとり歩いていた。普段ならば一刻も早く腹を満たすべく食堂へ向かうところだが、今日に限ってはそんな気分には到底なれない。
その原因はハッキリと分かっている。
午後の調練中に不意打ちで現れた幼馴染の少女。
生まれた時から一緒に育ってきた大切な存在――ミリー・ベイカー。
彼女を傷つけてしまったという事実が今更になって重く圧し掛かってくる。
別に泣かせるつもりなんかなかった。
ただ余計なトラブルに巻き込まれないためにも、調練を見学に来られるのだけはどうしても避けたかっただけだ。
騎士になってからというもの忙しさのあまり帰省もままならず。
そんな中で月に一度は必ずミリーの方から会いに来てくれることが本心ではとても嬉しかった。
だけど同時に、ミリーを他の騎士たちには近づけたくなかった。
素直で明るく優しい性格に派手さはないけれど素朴で愛らしい顔立ち。
家庭的で献身的。そんなミリーがモテない筈がないのだ。
昔から近寄ってくる虫を念入りに排除してきた自分がいうのだから間違いない。
同期はもちろんのこと、先輩騎士にも特定の相手を持たない者はたくさんいる。
もし手の早い連中がミリーに目を付けたら……そう思うだけでとても平静ではいられない。
(……まぁ、あれだけ言えば流石にもう騎士団へは来ないだろう)
待合室での短い逢瀬がなくなることは残念でもあるが仕方ない。
どうせこの生活も残り一年を切っている。
寮暮らしでさえなくなれば。一人前の騎士として認められ自立出来れば。その時は――
「……おい、そこの天邪鬼」
唐突に投げ掛けられた背後の声に振り返る。予想通り、そこには何かと世話を焼いてくれる面倒見のいい先輩騎士の姿があった。彼の用件は察しが付いている。だからこそ、ルイは機先を制することにした。
「アイツのことなら俺たち二人の問題なので放っておいてください」
すると眼前の男はこれ見よがしに大きな大きなため息を吐いた。
「俺にまで牽制してどうすんだよ……心配しなくても俺には最愛の彼女がいるっつーのに」
「でも、妻帯者ではないですよね」
「ほーん? 既婚以外は全部敵ですかそーですか大変ですねー」
あからさまな棒読みが腹立たしい。そもそも今日、彼女と拗れた遠因はこの男にある。
いつも通り彼女を待合室に待機させていれば、自分だってあんなことを言わずに済んだのに。
「……余計なお世話ですよ、コナー先輩」
そう、本当に余計なお世話だ。
確かに今日の出来事は自分でも予想外だったし、だから焦って言い過ぎてしまった感はある。
だけど。
(ミリーのことは俺が一番良く分かっている)
この程度のことで自分達の関係が崩れる筈がない。
なにせ十六年もの積み重ねがあるのだから。
次に会った時にでも少しフォローを入れれば済む話だ。何の問題もない。
「……あんなに健気な子を一方的に泣かせておいて、余計なお世話ねぇ……」
取り付く島もないルイの態度にコナーは鼻白みながらぼやく。何とでも言えばいい。自分達の関係を理解して欲しいとも思わない。ミリーなら最終的には笑って許してくれる。今までずっとそうだったように。
「用がそれだけなら俺はこれで失礼します。明日も早いので」
何事もなければ今頃はミリーからの差し入れをひとりで心置きなく楽しんでいたことだろう。そう考えると目の前の男へ盛大に文句を言いたい気持ちが湧いてくるが、悪気があったわけではないと知っているので理性で踏み止まる。これでも男のことは騎士の先輩として尊敬していた。あまり波風は立てたくない。
だが相手の方がそのまま話を終わらせてはくれなかった。
「……じゃあよ、余計なお世話ついでにもう一個だけ」
この男にしては常にないほど真剣みを帯びた声に、ルイの目線も自然と上がる。
そうして視界が映し出した彼の表情にはいつもの柔和さは微塵もなかった。
「ミリーちゃん、お前と別れた後もずっと泣いてたぞ」
「っ……」
「周囲を牽制する前にまず彼女自身を大切にしろよ。失ってから気づいても遅いんだからな」
「……言われなくても分かってますよ、そんなこと」
あれからミリーがずっと泣いていたと聞いて内心、動揺が奔る。
しかし同時に昏い歓喜を覚えたのも事実だった。
自分の言葉の影響力に。彼女を深く傷つけられるのは自分だけ。暗にそう言われているようで。
(……次の休みは、流石に実家に顔を出すかな)
そして傷つけてしまった彼女に、悪かったなと一言さえ告げれば。
きっとそれで元通りだ。