麗かな春の日差しの中で
呆気に取られるとはまさにこのことだろう。
ミリーはまんまるに目を見開いたまま、しばし硬直した。
突然の口付けにも思考は爆発寸前だが――それ以上にアーサーの発言が信じられない。
「……アーサー様、正気ですか……?」
思わずついて出た失礼な言葉にも、アーサーは態度を崩さず愛おしそうに目を細めてくる。
「勿論、正気だけど。信じられない?」
「しっ――信じられるわけないじゃないですかっ! そんな簡単な話じゃないでしょう!?」
「まぁ確かに手続きとか交渉とかそこそこ大変といえば大変だけど……十分に現実的な話だよ」
言って、アーサーは今までずっと抱きしめ続けてきたミリーとの間に少しだけ空間を作った。
といっても腰にはまだ手を回されたままな上に、いつの間にか彼の膝の上に乗るような形になっていてミリーは今更ながら焦る。
「お、下ろしてください……っ」
「それは駄目。……ほら、話の続きをしたいんだろう? ミリーが不安に思ってること、なんでも言って? 全部答えるから」
こちらの髪を優しく撫でながらアーサーがジッと覗き込んでくる。そこでようやく気づいた。今までのアーサーは非常に節度ある距離感を保ちながらミリーに接してくれていた。不用意に触れたりせず、ミリーが嫌な気持ちにならないように最大限気遣ってくれていたのだろう。
それが両想いと判明した途端にこの距離感である。
(アーサー様って……恋人には常にこの距離感の人ってこと……!?)
いうなればデロデロに甘やかしてくる類の。その証拠に先ほどから彼はずっと上機嫌だ。
バクバクする心音が伝わってしまいそうな距離が非常に気まずい。しかしどうにも放してくれそうもないので、ミリーは諦めて何とか深呼吸をすると気持ちを落ち着かせながら口火を切った。
「……貴族をお辞めになるって、具体的にはどういうことなのでしょうか?」
「ん? ああ、オルブライト子爵家から籍を抜いて平民になるつもりだけど」
明日の天気の話をする程度の軽さでアーサーが言うので、ミリーは逆に衝撃を受けた。
「そっそんな!? そんなこと普通は赦されませんよね!?」
貴族社会に明るくないミリーとて、その程度のことは分かる。貴族籍を抜けるということは、実家との縁を完全に断つということ。そもそも貴族家は当主の決断が最重要視されるもので、いくら嫡男とはいえアーサーの判断で籍を抜くことなど不可能な筈である。
しかし彼は「心配しなくても大丈夫だよ」と朗らかに笑った。
「うちは子爵だけど元は成り上がり商人の家系だから。領地もないし、親子の情なんてものもない」
「で、でも……その、あ、跡継ぎ問題とか……!?」
「別に俺じゃなくても子爵家は継げるし。一応、親族内でも推薦出来そうな奴の目星は付けてるから。まぁもしかしたら俺たちの子どもを養子に、なんて話も出るかもしれないけど……ミリーが嫌なら断るから気にしなくていいよ?」
すらすらと回答を口にするアーサーを見て、ミリーはようやく理解する。
(……こうなった時のこと、最初から全部考えてたんだ……っ!!)
もしミリーと恋仲になったら避けられない問題。それに対してアーサーが何も考えなかった筈がないのだ。むしろ自分なんかよりも余程考えていたのだろう。だからこそ、彼はミリーに問い詰められてもきちんと回答を提示出来る。
「……でも、オルブライト子爵家を抜けたりしたら、商会のお仕事に支障が出るんじゃ……」
「あー……それは父との交渉次第かなぁ。一応、交渉材料はかなり集めてあるし辞めずに済むとは踏んでるけど。まぁいざとなれば辞めても別に構わないしね」
「そんな!? だ、駄目です! 私のせいでアーサー様が仕事を辞めるなんて……!!」
ミリーは自身の夢のために貴族になることを拒否したのに。これではアーサーばかりに負担を強いることにしかならない。そんなのは駄目だ。アーサーの重荷になりたくはない。
思わずミリーはアーサーの膝の上から退こうと身体を動かそうとするが、彼の腕がそれを許さない。アーサーは酷く落ち着いた声で「ミリー、聞いて」と背中を柔らかく撫でる。
「俺にもちゃんと優先順位がある。その中で一番優先したいのがミリーだから。それ以外は大した問題じゃないんだよ」
「っ……そんなの、おかしいです……っ!」
「――うん、傍から見たらそうかもしれない。自分でも初めてなんだよ。こんなにも心が動かされることって。今までは家のために尽くすのが当然だと思ってたし、親の決めた相手と結婚して家を継いでいくことに何の疑問も抱いてなかった。けど――」
そこで一度言葉を切ったアーサーは、ミリーの顔を真っ直ぐに見つめた。
「ミリーが俺のことを受け入れてくれたなら、もう俺からは絶対に手放せないよ。だから……諦めて俺と共に生きることを考えて欲しい」
狡い、とミリーは思った。
こんな風に全身全霊で相手に求められることなんて、きっとこの先、永遠にないだろう。
彼の瞳が言葉以上に雄弁に語り掛けてくる。ミリーのことが好きだと。ずっと一緒に居たいと。
ならば、ミリーに返せる言葉だって決まっている。
「……なら、私は貴方が私を選んでくれたことを後悔させないように精一杯、努力します」
貴族になる努力は出来ない。けれど、
「もしアーサー様が職を失って路頭に迷っても、私が養ってあげますからね!」
彼がこちら側に来てくれるというのならば、決して一人にはしない。
その決意表明のつもりでミリーが精一杯笑えば、アーサーはキョトンとした顔の後で、
「……参ったなぁ。また惚れ直しそうだ」
と気恥ずかしそうに、そしてとても幸せそうに笑った。
「でも奥さん一人に働かせるような甲斐性なしじゃないからね、俺も。大丈夫、これでも色々と伝手はあるんだ。ミリーやミリーの親御さんを悲しませるようなことはしないよ。勿論、子爵家のこともなるべく穏便に済ませるつもりだから」
言って、アーサーはおもむろに立ち上がった。
当然ながら膝の上にいたミリーも強制的に宙に浮く。
「ひゃっ!? あ、アーサー様!?」
彼はそのままミリーを縦抱きにすると、眩しいものを見上げるようにして言った。
「ミリー、愛してるよ。だから君の夢も、君自身も……一番傍で分かち合う権利を俺にください」
「っ! ……はい! 私も、アーサー様のこと大好きです……っ!!」
瞬間、ワッと周囲が歓声を上げたことに、二人は驚いて目を丸くした。
見渡せばどうやら相当注目を集めていたらしく、公園内のカップルや親子連れなどがこちらを見ながら手を叩いたり囃し立てたりしている。
衝撃の展開続きで全く意識していなかったが、完全に公開プロポーズの体になっていたことを今更ながら理解して顔を真っ赤に染め上げたミリーは、アーサーの首に腕を回すと視線から逃れるようにぎゅっと抱きつく。とにかく周りに顔を見られたくない一心で。
そんなミリーの耳元で、おそらく開き直ったらしいアーサーが甘く囁く。
「ミリー、しっかり掴まってて。とりあえずこの場から離れよう」
「っ……よろしく、お願いします」
「――二人きりになれるところまで行ったら、続き、しようか?」
「~~~~っ!?!?」
恥ずかしすぎてぷるぷる震えるミリーを「ほんと、かわいいなぁ」と大切そうに抱えながら、アーサーが走り出す。
麗かな春の日差しが降り注ぐ中、逃亡する二人を祝福する声が、しばらく園内を包み込んでいた。
【了】
本作も無事に完結することが出来ました。
途中で一度も筆が止まることなく駆け抜けられたのも、連載中から応援の感想や反応をくださった皆様のおかげです。改めて厚く御礼申し上げます。
もし本作を気に入ってくださった方がおられましたら、ぜひ評価やご感想、いいねなどで応援いただけますと嬉しいです。
本当に最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
また別の作品でもお目に掛かれたら幸いです。




