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今度は自分から


 コナーとローナの幸せな結婚式から、一週間後。

 ミリーは朝からソワソワした気分を隠し切れないでいた。それは今日、アーサーが事前に来訪を予告していた日だからである。

 時間は閉店間際になりそうだと聞いているので、彼が訪ねてくるのはだいぶ先。それが分かっていても、逸る気持ちを完全に抑えることは出来ない。

 何故なら今日、ミリーはひとつ心に決めていたことがあったから。


「……ミリー。もしかしなくても今日、アーサーさんが来るのかい?」

「え? うん、そうだけど……そんなに分かりやすかった? 私」

「そりゃあもう! お客さんが来る前にその締まりのない顔、なんとかしとくんだよ?」


 言葉とは裏腹に母の声と視線は優しい。というか生温かい。

 それがなんだか無性に恥ずかしくて、ミリーはそそくさと厨房の方へと引っ込んだ。

 厨房では父が黙々とパンを焼いている。開店直後に並べる用のパンはほとんど焼きあがっているので、おそらく今焼いているのが朝の分の最後だろう。


「お父さん、何か手伝うことある?」

「……いや、大丈夫だ。お前の方は準備出来てるのか?」

「うん、バッチリ! 今日は気合いを入れて四種類ほど用意したの。そのうちのひとつは新作だから良かったら後で味見してみてね!」

「ああ、分かった」


 最近では焼き菓子については完全にミリーの判断で店頭に置かせて貰えるようになっていた。

 職人として尊敬している父にそれだけ認められたという事実が誇らしい。

 ミリーは上機嫌で大きな籠を出すと、店頭に出す焼き菓子を詰め込んでいく。その最中、普段はあまり自分から会話を振ってこない父がミリーの背中に声を掛けてきた。


「……ミリー、お前はこの店、継ぐ気あるのか?」


 唐突な問いに思わず手が止まる。ミリーは急ぎ振り返って父の方を見た。すると父の顔つきは真剣そのものだったので、決して冗談半分でこの話を振ってきたわけではないと瞬時に理解する。

 だからミリーは少し戸惑ったものの、一呼吸の後にコクリと首を縦に振った。


「そう出来たらいいなって、今は思ってる。もちろんパン作りの腕はお父さんにはまだまだ及ばないから、もっと修行して、いつかは――」


 以前はルイのお嫁さんになるという夢があった。なので、実家のパン屋を継ぐことまでは頭が回っていなかった。おそらくルイに反対されていたら、あっさりその道を捨てていたことだろう。

 しかしこの一年近く、真剣に仕事に向き合ってきたからこそ、ミリーには新たな夢が生まれた。


「――食べてくれる人が幸せな気持ちになれるようなパンやお菓子が気軽に買いに来られるお店を、持ちたいの」


 自分が作ったもので誰かが少しでも幸せを感じてくれること。

 その喜びを知ったからこそ芽生えた夢だ。今後も一歩ずつ努力して、叶えたいと願っている。


「……そうか」


 父はそれだけ言うと、こちらへ背を向けて作業に戻ってしまった。だからミリーも気持ちを切り替えて開店準備を粛々と進める。

 そして再び店内へと戻って商品の陳列をしていると、母が近寄ってきて耳元でこっそりと囁いた。


「――お父さん、本当は凄く嬉しいのよ。アンタが店を継ぐ気になったのが」


 どうやら厨房での会話を聞かれていたらしい。ミリーは僅かに目を丸くしながら母に問う。


「……それ、本当?」

「本当だよ。もちろんミリーの人生だから店のことを無理強いするつもりはなかったけどね。ここはあたしとお父さんにとって大事な場所だから……ミリーがそれを継いでくれるなら、そりゃあ嬉しいに決まってるさ」


 破顔する母につられて、ミリーも思わず頬を緩めた。

 少しでも期待してくれるのならば全力で応えたい。そう強く思う。


「それならますます頑張らないとだね! 早くお父さんみたいな職人になれるように。あ、お母さんから経理もちゃんと学ばないと……やることたくさんだ」


 言って、ミリーは再び丁寧に商品を陳列していく。

 開店まであと少し。

 焼きたてのパンの香りに包まれながら、ミリーは店内と厨房を忙しく往復した。



「……ありがとうございました!」


 開店直後から次々とやってきたお客さんを捌き続け――あっという間に夕方。

 店内の商品もほぼほぼ完売に近い状態となり、間もなく閉店という頃合いになった。

 そうして最後のお客さんを送り出したミリーに厨房の方から声が掛かった。


「ミリー、そろそろ店閉めといて! あたしは夕飯の準備するから」

「はーい!」


 母の指示に従い店の表に出たミリーは、そこでこちらへと近づいてくる人影に気づく。

 相手の顔を見た瞬間、思わずその名を弾むように呼んでいた。


「アーサー様!」

「こんばんは、ミリー。ちょうど閉店の時間かな?」

「はい。アーサー様も今日のお仕事は終えられましたか?」

「あー……その筈、だったんだけど……」


 彼は少し困ったように笑って髪をゆるく掻き上げた。


「急遽一件、寄るところが出来てしまったんだ。だから今日は焼き菓子を買ったらすぐに出ないと」

「あ……そう、なんですか……」


 ミリーは自分でも驚くほどしょんぼりとした気分になった。今日伝えようと思っていたことは流石に次の予定が詰まっている人間に言うべき話ではない。日を改めるしかなさそうだ。

 それ以前にせっかくアーサーと会えたのにすぐに別れなければならないのが――堪らなく寂しい。


 とりあえず急ぎ店内へと案内して、ミリーは事前にお願いされていた取り置き分の他に必要なものはないかアーサーに確認し会計を通す。そのまま商品を手早く袋詰めしていると、こちらの作業を静かに見守っていたアーサーが不意に口を開いた。


「……俺の自惚れだったら、笑って欲しいんだけど」


 そう前置きをした彼を咄嗟に仰ぎ見れば、期待と不安が入り混じった瞳と視線が重なる。


「もしかして、俺が長居出来ないの……かなり残念がってくれてる?」

「はい」


 ミリーは深く考える前にそう声に出していた。


「もっと、アーサー様とお話したいし……一緒に居たいです」


 こちらの言葉にアーサーが大きく目を見開く。

 その表情をジッと見つめながら、ミリーはさらに言葉を続けた。


「あの……なので、もし良かったら。今度、また二人でお出かけしませんか……っ?」


 途中から緊張のあまり語尾が少し揺れた。

 それでも勇気を振り絞ってミリーはアーサーを誘う。前回は彼の方から提案してくれた。

 だから今回は自分の方から。その一心だった。


「え……と、本当に?」

「……はい。アーサー様が嫌じゃなければ、ぜひ」

「嫌なわけないだろ……えー、マジか……うわぁ……」


 アーサーは右手の甲で口もとを押さえると明後日の方向へと視線を泳がせる。

 彼にしては珍しく乱れた言葉遣いだが、その声音からは常にない高揚感が透けていて。

 よくよく見れば彼の耳は薄っすらと赤みを帯びていた。


「――嬉しい」


 そうしてポツリと落とされた彼の囁くような甘い声に、ミリーの心臓がトクンと跳ねた。


「めちゃくちゃ嬉しい! 絶対に行こう! どこ行きたい? すぐに予定を……って、俺の次の休みって何時だ……ッ!?」


 アーサーはプレゼントを貰った子供のような勢いでコロコロと表情を変えていく。

 その姿が普段の印象と違ってあまりにも可愛くて。ミリーは思わずクスクスと笑ってしまった。


「……私も楽しみです。予定はアーサー様に合わせますので連絡待ってますね。今日はもうあまり時間ないみたいですから」


 そう言うと、アーサーはこの後の予定を思い出したのか冷静さを取り戻し、少し恥ずかしそうに咳払いをする。そして改めてこちらを真っ直ぐ見ながら、柔らかく目を細めた。


「分かった。すぐに予定を確認して連絡するよ。あ、どこに行きたいか考えといて! ミリーが行きたいところなら、どこにでも連れて行くから」


 ミリーから品物の詰められた袋を受け取ったアーサーは、そう言い残すと非常に名残惜しそうに店内を出る。

 自然とミリーも店の外に出て、その背中が視界から消えるまでずっと見送っていた。


(――よし! お出かけの約束もしたし、次こそはきちんと伝えるぞ!)


 すっかり暮れた夜空を見上げながらそう誓うと、ミリーは店内へと戻るべく踵を返す。

 しかし店の扉に手を掛ける直前、背後から自分を呼ぶ声がハッキリと聞こえた。

 反射的に振り返れば、そこに立っていたのは声から想像した通りの人物で。


「……驚いた。ルイ、どうしたの? 何かうちに用事?」


 そう尋ねれば、ルイは神妙な面持ちをしながらゆっくりと口を開いた。


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