それはきっと、忘れられない味【ルイ視点】
コナーとローナの幸せに満ちた結婚式の帰り道。
ルイは王都中心部からは少しばかり外れた住宅街をひとり、歩いていた。
目指すは二年間世話になった騎士団の寮から先月引っ越したばかりの安アパート。それが今のルイの城だ。
単身者用のため狭くて設備も古いが、その分、家賃は格安。
寮生活で蓄えた分の貯金から考えればもう少しグレードの高い場所に住むことも出来たが――
(どうせ、寝に帰るだけだしな……)
ルイは心の中で呟き、小さく溜息を吐く。
(……アイツと暮らすんなら、こんなところは絶対に選ばなかっただろうけど)
夜道を照らす月をぼんやりと見上げながら、ルイは久しぶりに会えた幼馴染の少女のことを想う。
今日の彼女は結婚式に出席するとあってめかし込んでいたため、普段よりも更に可愛かった。というか、グッと大人っぽく見えた。
昔は同世代の子どもたちの中でも一際ちいさくて、泣き虫で、鈍くさくて。
だからいつも自分が傍に居て、守ってやるんだと決めていた。
騎士を志したのだって、彼女がお気に入りの絵本に登場する騎士を飽きることなく「かっこいい」「素敵」と称賛していたからだ。我ながら単純な発想だが、ルイはミリーの騎士になりたかった。だからこの道を選んだのだ。
(それなのに……本当に救いようがねぇよな、俺は)
どこで間違えたのかなんて、今にして思えば明白だ。
騎士団の入団試験に合格して、自分に自信が持てた。あの頃はまだ二人きりならミリーに対しても比較的素直に接することが出来ていたから、関係は本当に良好で。
だからもう、ミリーのことを自分の所有物のようにどこか考えてしまっていた。
ずっとルイだけを想ってくれる、可愛い可愛い特別な女の子。
照れ隠しで冷たく接しても、少しぐらい理不尽に当たっても、こちらを理解してくれているから最後は笑って赦してくれる。そのくらい強い絆で結ばれていると、本気で信じていた。
それが嗤ってしまうくらい滑稽な幻想だと気づいた時には既に手遅れで。
彼女の優しさに甘えていた代償は取り返しがつかず、結果ルイを絶望の底に叩き落とした。
(全部自業自得だけど)
今日、改めてミリーと目が合った瞬間。
やはり彼女のことが好きだと、ルイは強く意識させられた。
子供の頃は彼女の方が自分のことをより強く慕ってくれていると思っていたが、実際は逆だ。
きっと最初からルイの方がミリーに依存し、執着していたのだ。それが今日、良く分かった。
だから断られるだろうことは承知で、カッコ悪くても一縷の望みに縋らざるを得なかった。
彼女の良心に付け込めたら。罪悪感からでも自分の手を取ってくれたら。そう願った。
(けど……これで良かったんだ)
好きな人が出来たと、彼女は言った。
それを耳にした時、本当に自分だけがいつまでも囚われているのだと悟った。
もう前を向いて歩いているミリーと自分の道は交わらない。その事実は覆せない。
黙々と歩いていたからか、ほどなく自宅アパートへと辿り着いた。
鍵を開けてランプを灯し、上着を脱ぎながら安物のマットレスの上へと倒れ込む。ドッと疲れが出た。それでも明日は朝から騎士団での仕事が待ち受けている。休むわけにはいかない。どんなに辛く悲しくても、騎士としての職務は投げ出さない。それだけが、今のルイを支える大切な矜持だった。
あの頃、彼女が憧れた騎士に、少しでも近づきたい――その想いはまだ、消えていない。
その時、倒れ込んだベッドからの視界の中に、持ち帰ってきた紙袋が映る。
ルイはおもむろに身体を起こすと、その紙袋の中から小さな袋を取り出した。
それは結婚式の最後に新郎新婦から来客へと手渡された、幸運のおすそ分け。
一切れのパウンドケーキだった。
見た瞬間、ルイはそれを作った人間が誰なのかすぐに分かった。思わず手渡してきたコナーの顔を仰げば、悪戯に成功した子供のような顔で笑って彼は言った。
『これな、俺がリクエストしたんだ。あの日、お前が食えなかったパウンドケーキ……本当に美味かったから』
本当ならあの日、一人でゆっくりと味わえていた筈のもの。
自分のことを想って彼女が作ってくれた、甘くて愛おしい焼き菓子。
ルイは複雑な気持ちで包装を剥がすと、ゆっくり口へと運ぶ。ふわりと香る甘やかなラム酒。ふわふわの生地の中に甘酸っぱいレーズンと、ザクザクとした胡桃の食感。
それは見た目こそ素朴で地味だけれど――どこまでも優しい味がした。
「……美味い」
そう言えば、最後にミリーが作ってくれたお菓子の感想を言ったのは何時だっただろうか?
あれだけ作って貰ってたのに、いつの間にか当たり前になり、感謝の気持ちすらおざなりになっていた。
「……美味いよ、ミリー。お前が作る菓子、俺は本当に全部……好きだったんだ」
もっと伝えていれば良かった。出来なくなって初めて、そのことを心の底から悔やむ。
ルイは胸に刻みつけるようにパウンドケーキを最後まで食べ終えると、涙を堪えるように大きく鼻を啜った。終わってしまった恋を悼むように。
きっと自分はこの味を一生忘れることはないだろう――彼はそう、強く思った。
そうして結婚式から数日が経ち。その日のルイは騎士として街の巡回任務に就いていた。
騎士団に入団して三年目から任され始めるこの巡回任務は二人組が基本。
今日の相棒は同期の中でも情報通で女好きを公言する男だった。巡回中にも新しく出来た彼女との惚気話を遠慮なく聞かせてくる彼を適度にあしらいながら、ルイは真面目に任務をこなす。
そうして王都内でも有数の大通りに差し掛かった時のことだった。
ルイの目にひとりの男の姿が留まる。遠目からでも圧倒的な存在感を放つその美丈夫は一度見たら忘れられない類の存在だが、普段他人に関心のないルイが彼を覚えていた理由はだたひとつ。
(……アイツが、ミリーの)
薄暗い道で一度だけ対峙した名も知らぬその男は今、馬車から降りてきた貴婦人と思しき女性を優雅にエスコートしている。そのまま彼は女性を店内へと誘導しようとしていた。不意に店の看板に目を走らせれば【オルブライト商会】の文字と、百合と小鳥の紋章が刻まれている。
「……そういえば商会勤務って言ってたな」
思わずぼそりと零したルイの声を、横にいた同期の騎士が拾った。
「え、ルイお前、あのお方と知り合いだったのか!?」
「あ、いや、知り合いってほどでは――……あのお方?」
妙に畏まった言い回しに疑問を投げれば、同期が当然だと言わんばかりの表情で答えてくれる。
「いやだって、あの方は正真正銘のお貴族様じゃないか」
「は? ……アイツ、貴族なのか?」
「馬鹿、不敬だっつーの! オルブライト商会のアーサー様っていったら次期オルブライト子爵だぞ!? あの見た目から俺の歴代彼女たちにもファンが多いし、ここら辺じゃそこそこ有名だろ?」
知らなかったのかよ、と不思議そうに訊ねてくる同期の声がどこか遠くで響く。
ルイは店内へと消えていくアーサーの横顔を見ながら、グッと拳を強く握りしめた。




