自暴自棄の帰り道【1】
(……あれ、ここ、どこだろう……?)
あの後、コナーの心配を振り切って逃げるように騎士団庁舎から飛び出したミリーは見慣れぬ道端で途方に暮れていた。
すっかり辺りは夕暮れに染まっている。本来ならば帰りの馬車に乗っていなければならない時刻だ。しかしルイとのやりとりで憔悴していたミリーの足は、乗合所とは別の方角へと進んでしまったらしい。
元々この辺りに来る用件はルイに会いに騎士団を訪ねることだけ。決まった道しか普段は通らないからこそ、一度道を見失うと戻り方も分からない。
(……いけない、帰らなくちゃ……)
ぼんやりした頭のままミリーは勘だけを頼りに歩みを進める。既に日が落ちかけているので辺りも昼と違って薄暗く人通りも少ない。普段のミリーなら一刻も早く帰ろうと焦ったり、周囲に助けを求めたりしただろう。だが、今のミリーの頭の中を占めるのはルイとの辛く悲しい拒絶の会話だけ。
(……なにがいけなかったんだろう……私って、ルイにとってそんなに迷惑だったの……なんで……っ)
気を抜くと枯れたはずの涙がまた目尻に溜まり始める。まるで涙腺が壊れてしまったみたいだ。
湧きあがる衝動に耐えきれずミリーは通りから一本外れた路地裏の隅で思わずしゃがみ込んだ。
両手で顔を覆っても次から次へと雫が地面を濡らしていく。しゃくりあげる自分の声だけが静寂の中に響いて煩い。でも止めようと思っても自分の力ではコントロールできない。それがまた情けなさに拍車をかける。
ずっと一緒に育ってきて、お互いが特別で、本当に大好きで。
だからこそ拒絶されることなんて想像もしていなかった。
ミリーにとってルイへの恋心はいつだってふわふわとしていて、甘くて、優しかったから。傷つけられた痛みに対する耐性なんてまるでない。だから間違いなく十六年間生きてきた中で、今が一番痛かった。
そんな風に酷く傷つけられたのに、ミリーはルイのことが嫌いになれない。
逆に彼に嫌われていたという事実がジクジクと胸を絶えず抉り続けている。
(……もう、やだ。はずかしい。つらい。きえちゃいたい)
もはやポケットからハンカチを出すことさえ億劫で。
ミリーが行儀悪くもずずっと鼻を大きく鳴らした瞬間、
「――そこのお嬢さん、こんなとこで何してるの?」
背中越しに若い男性の声がした。泣きすぎてボーっとした頭のまま、ミリーは緩慢な動作で顔だけ振り返った。ぼやけた視界が映すのは声から想像した通り若い男性で。
柔らかそうな金茶の髪と深みのある琥珀色の瞳が印象的な、端正な顔がこちらを覗いていた。
比較的カジュアルなジャケットにカッターシャツ、細身のスラックスという気取らない服装だが、姿勢とスタイルがいいからかどこか品の良さを感じさせる。
これはさぞかし女性にモテるだろうな、というような美丈夫。そして雰囲気からもいかにも女性慣れしていることが窺える。
「もしもーし、お嬢さん? 大丈夫……ではなさそうだけど、大丈夫?」
こちらが失礼なことを考えている間も、彼は一定の距離は保ったまま心配そうに声を掛けてくれる。どうやら親切心からの行動のようだ。確かに年若い女が路地裏で一人泣いていれば悪い連中に目を付けてくださいと言っているようなものだろう。
ミリーは未だに不明瞭な視界のまま、ただただ親切な青年を見上げる。
「もしかして耳が聞こえないとか……えっと、どうしたもんかなぁ」
こちらの反応が鈍いからだろう。困ったように眉を下げながら軽く頭を掻いた青年は、おもむろに着ていたジャケットを脱ぐと、
「えっと……今からこれ、掛けさせてもらうから。怖がらないでくれるとありがたい」
と言って、ふわりとミリーの肩に羽織らせるようにジャケットを掛けた――温かい。
春先といえど日もだいぶ落ちてきたため、外はかなり冷え込んできている。薄手のワンピースでは肌寒かったのだと、そこでミリーはようやく気が付いた。
「……あったかい」
ぽつりと声が漏れる。泣きすぎていたため掠れたみっともない音だったが、青年はミリーの声を聞いた途端にあからさまにホッと空気を弛緩させた。
「あー、良かった! ちゃんと喋れるね」
表情を柔らかく崩した青年が、次いでミリーに手を差し伸べる。
「怪我とかしてない? 立てる?」
ミリーは差し出された手をじっと見つめた後、コクリと頷いてゆっくりと立ち上がった。ただし、その手を取ることなく。何故ならミリーの両手は己の涙でぐちゃぐちゃだったから。紳士的な青年の手を自分の涙で汚すわけにはいかなかったのだ。
「あの……すみません、ちょっと待ってください……」
ミリーはようやくポケットからハンカチを取り出すと自分の手と顔を拭った。そうしたところで泣き腫らした顔はさぞかし醜いだろうが、何もしないよりはマシだろう。特に念入りに手を拭いた後で、ポケットにハンカチを戻し、代わりに肩に掛けて貰ったジャケットを手に取る。
「ぐすっ……あの、これ、お返しします。ありがとうございました……」
そう言って差し出しても、何故か青年は苦笑を浮かべるだけでジャケットを引き取ろうとはしない。思わず首を傾げれば、
「その格好じゃ寒いでしょ? いいから着てて。可愛い女の子を冷えさせるのは俺の主義に反するからさ」
とんでもなく気障ったらしい台詞が飛び出してきた。
「そもそも君みたいな可愛い子がこんな路地裏に居ちゃ危ないからね? この辺はまだ治安も良い方だけど、暗がりに乗じて悪さする連中がいないわけじゃないし」
「……あ、えと……そうですよね……ごめんなさい」
「いや、こっちこそごめん。別に謝らせたいわけじゃないんだ。……明らかに落ち込んでたみたいだから、俺が勝手に心配しただけだし」
きっとこの青年は底抜けにいい人なのだろう。
ミリーは初対面にもかかわらず紳士的で親身になってくれる青年に尊敬の念を覚える。
「とにかく! ジャケットはそのまま羽織ってて! それと一人にするのは心配だから、とりあえず騎士団まで案内するよ。それなら君も安心――」
「それはだめっ!!」
「!?」
思わず大声を出してしまったミリーに青年が目を丸くする。
彼の対応に問題はない。困った時は騎士団へ。そんなの常識だ。
だけど今のミリーにとって騎士団だけは絶対にお世話になりたくない選択肢だった。万が一にでもルイと顔を合わせでもしたら……そう考えるだけで血の気がどんどん引いていく。
「えっと……君、もしかしてお尋ね者の人?」
「っ!? ち、違います!!」
「じゃあ何で騎士団は駄目なの?」
青年の問いがもっとも過ぎてミリーは返答に窮する。
しかしそこへさらに問題をややこしくしかねない人物が飛び込んできた。
「おい、そこ! こんなところで何をしてるんだ!」
「っ……その声……コナーさん!?」
「え、知り合い!?」
青年の肩越しに見えたコナーにミリーはパチパチと目を瞬かせる。
だが自分の顔がとても人に見せられるようなものではないと気づき、慌てて俯き顔を隠した。
思えばこれがいけなかった。
「お前……なにミリーちゃん泣かせてんだクソがぁッ!!」
「え……ええええ俺!? ご、誤解! 誤解なんですけどー!?!?」
かくしてコナーによる壮絶な勘違いによる叫びと、青年の悲痛な叫びが路地裏に木霊した。