夜会での集い【アーサー視点】
約三ヶ月にも及ぶ社交シーズンが、ようやく終わりを迎えようとしていた。
オルブライト商会の顔役を務めるアーサーも部下と共に目まぐるしい日々を駆け抜け、王都で催される大規模な夜会は本日で遂に打ち止め。後日に多少の商談は残ってはいるものの一段落なのは間違いない。
白地に金と濃い茶色が差し色となっている正装に身を包むアーサーは、周囲の視線を浴びつつ重要人物への挨拶回りを丁寧に済ませると大広間を出て、王宮内の談話室へと足を運んだ。
扉を開ければ既に先客が雁首揃えて待っているのを視認して、思わず苦笑いを浮かべる。
「……これは、もしかしなくても根掘り葉掘り訊かれる流れなのかな?」
「流石、我らのアーサーは察しが良くて助かるね?」
ニヤリと口角を上げたのはミリーが倒れた日に商談をしていた侯爵家の令息だ。名はバーニー。
彼の他にもその場には二人ほど席を埋めていた。カールとダレン。どちらも伯爵令息で、バーニー含め全員がアーサーの学生時代からの友人で特に親しくしている面子である。
ちなみにこの談話室は四人の貸し切り状態だ。おそらくバーニーが事前に手配したのだろう。
この中でもっとも身分の低いアーサーが気兼ねなく話せるようにという配慮だ。
「ともかくまずはお疲れ様だよ、アーサー。仕事の方は一息つけたかい?」
「ああ、おかげさまで。カールやダレンの母君や姉君には宣伝協力、大変感謝するよ」
言いながら、アーサーは空いている席に腰を下ろす。すかさずバーニーがワイングラスを勧めてくるので遠慮なく貰うことにした。疲れた身体に冷えた白ワインが心地いい。
「別に協力ってほどのことはしてないけどな。アーサーのところの商会は信用出来るから重宝してるってだけだ」
生真面目なダレンの言葉に、カールがすかさず軽い調子で乗っかる。
「そうそう。最近じゃ太々しく詐欺まがいの品を売りつけようとする輩も居るからねぇ。その点、アーサーのところはセンスも品質も良いし?」
「今年流行した薔薇香水も君のところのだろう? 僕は香水全般得意じゃないんだけど、あの香水は近くで嗅いでも気分悪くならないしとても良いね。おかげでダンスの苦痛が緩和されたよ」
三人から口々に賞賛の声が上がるのを、アーサーは面映ゆい気持ちで聞いていた。
自分の功績など僅かなもので商品のアイディアや品質は従業員たちの努力によるところが大きい。アーサーはなるべくそれを需要がありそうなところに宣伝し、契約を結んで利益を得るのが役目だ。
広告塔としての自分にはそれなりに価値はあると思っているが、こうも手放しに褒められるのは少々決まりが悪い。
それにこれはおそらくこの後の話題に移る前の儀式みたいなものだ。
商会を褒めて協力してるんだから、こちらが尋ねることには正直に話せという類の。
そして予想通り、機嫌よくワインを飲むバーニーが「ところで」と話題の転換を図った。
「二人には先にこの間の出来事については軽く話をしておいたよ。ということで、あの日の君はいったい誰のために僕との茶会を退席したのか――教えてくれるよね?」
「……そんなに面白い話でもないと思うが?」
「いやいや、それを決めるのはオレらだから! あのアーサーが仕事中に私用を優先するなんてさぁ、普通ならあり得ないことだろ?」
「私も純粋に気になるな。しかも、女絡みかと尋ねたら否定しなかったとも聞いたが?」
お調子者のカールはともかく、このメンバーの中では堅物なダレンまでもが興味を隠さず目を向けてくるとは、とアーサーは肩を竦めて笑った。
「本当に大した話じゃないよ。俺が一方的に片思いをしているってだけ」
そうアーサーが口にした瞬間、残りの全員が呆気に取られたように固まった。カールなどグラスを傾けすぎて零しそうになっている。中身がほぼ飲み終わっていて幸いした。
しばしの沈黙の後、最初に我に返ったのはバーニーだった。
「え、ちょっと本当に!? 君が! 片思いだって!?」
「そうだが……そんなに意外か?」
「意外も何も、君に落とせない女が存在するのか!? よほど高位貴族のご令嬢か、もしくは王族……もしや未亡人!? それとも既に婚約者や夫が居る女性とか――」
あまりにも非現実的な言い草にアーサーは蟀谷を揉みながら憮然と返す。
「いや、まったく違うから。……平民の子なんだ。下町のパン屋の娘さん」
「はあ!? ……パ、パパ、パン屋の娘、だと……っ!?」
「とても可愛らしい子だよ」
最近会えていないミリーの顔を脳裏に浮かべると、アーサーの表情が無意識にふにゃりとほころぶ。大仕事は終わり気心の知れた面子が相手。おまけにいい具合に酒も入ってきてるので、いつもより気分が高揚して饒舌になっているかもしれない。
一方、アーサーの発言や表情がよほど信じられないのか、未だに彼らは鳩が豆鉄砲を食ったような顔を続けている。誰も何も言わないので、アーサーは思わず半目になって訊いた。
「……君たち、俺のことをどういう目で見ていたんだ? 俺だって普通の男なんだから片思いのひとつくらいするのは当たり前だろう」
するとようやく解凍されたカールがドン引きしながら言う。
「本気で言ってんのかよアーサー……学生時代からこっち、お前を巡って数多くの令嬢どもが相争ってたのを忘れたのか?」
「あー……」
学生時代も今も、アーサーには恋人や婚約者といった特定の親しい女性は存在しなかった。家業柄、昔からとにかく人脈形成を第一に生きて来たアーサーなので、誰かひとり特別な存在を作るのは大変都合が悪かったのだ。加えて実家の教育方針の中に『すべての女性に常に紳士的であれ』というものがあり、アーサーはそれを忠実に守っている。
結果として、アーサー自身は節度を持って接していても女性の方が勘違いしてトラブルを起こしたり、アーサー自身のあずかり知らぬところで女同士の争いが勃発することが絶えなかった。
学生時代は特に顕著で、告白されるのは日常茶飯事。女性から襲われそうになったことも両手の指では足りない。中には男性からの真剣なアプローチもあったほどだ。
優れた容姿を持つ者が多い貴族の中でも際立って美しい外見に、紳士的でスマートな振る舞い。理知的で社交性にも富んでいる。
これでモテない方が嘘だろう。アーサー自身も別にそれを否定する気はない。事実だからだ。
(しかしいくらモテたところで、ミリーに好かれなければ意味ないんだけどなぁ……)
アーサーがぼんやりとそんなことを考えていると、ダリルが若干遠慮がちに口を開いた。
「……しかしアーサー、君だっていずれは貴族の女性と結婚するのだろう?」
その言葉に他の二人もハッと息を呑む。そう、普通に考えればアーサーの立場上、平民の少女と交際することはともかく、結婚するというのはなかなか難しい話だ。
「私は……てっきり君が特定の相手を作らないのは、いずれ政略結婚する相手が不快に思わないよう取り計らってるのだとばかり思っていた」
ダリルの言うとおりだった。アーサーはほんの数カ月前までは親が決めた相手と結婚して、実家や商会に貢献すると自分でも信じて疑ってなかった。
「まぁ、僕らはだいたい政略結婚だしね……それが、よりにもよって平民相手とはやるなぁ」
「あのー……一応聞くけどさ? 遊び目的とかじゃないんだよな?」
「当たり前だろう」
きっぱり言って、アーサーはコトンとワイングラスをテーブルに置いた。
「立場上、色々と障害があるのは理解してる。そもそも俺の片思いなんだ。今はゆっくり彼女との距離を縮められたらと思ってる」
以前に想いを告げた際にも、彼女は非常に消極的だった。というよりも、しばらく恋愛から遠ざかりたいと本人が公言していたくらいだ。アーサーに対して恋愛感情を抱いていることもなく、精々がいいお友達といったところだろう。
そんな彼女の心に付け込むような真似はあまりしたくはない。だからゆっくり、彼女が恋愛に前向きになれるのを待ちながら、少しずつアプローチをしていく。そういう方針だった。
「アーサーにアプローチされたら、大抵の女は即落ちだと思うけどなぁオレ」
「いや、むしろアーサーの立場を思えば女性側の方が委縮することもあるだろう」
「……まぁどっちにしても、アーサーの中で彼女を諦めるって選択肢は――」
「ない」
初恋なんだ、とアーサーは恥ずかしげもなく暴露する。
「今まで家のために尽くしてきたし、それなりに貢献もしてきた。だからまぁ、ひとつくらいは勝手をしても赦されるだろう」
というよりも、赦されるように立ち回るのがアーサーという人間だ。
そのための布石はもう置き始めている。そう、まさに今、この場でも。
「……驚いたな。そこまで本気とは思ってなかったよ。けど、恋に真剣なアーサーは新鮮で面白いね」
「正直、アーサーが我々の中で一番恋愛感情とは無縁の男だと思っていた。だが、実際は出会っていなかっただけなんだな。君自身が好きになれる女性に」
「こうなってくるとめちゃくちゃ相手の子、見てみたいよなぁ! あ、オレは応援するぜ? 学生時代はアーサーのおかげで色々と助かったし!」
想像よりも遥かに好意的な反応の中、アーサーは一度目を伏せると、
「いつか君たちにも紹介できることを祈るよ……なぁ、もし俺の初恋が叶ったら――」
今後、必要になるかもしれない手札を増やすために友人たちへと真摯に語り掛けた。




