涙
ルイからの返事の手紙はすぐに来た。
指定されたのは五日後の午後だったので、両親に休暇の許可を取ったミリーは当日少し早めに騎士団の門を叩いた。約三ヶ月ぶりの来訪にどこか懐かしさを覚える。
列に並び所定の手続きを取ると、ミリーは待合室ではなく応接用の椅子と机が設えられた面会個室へと通された。どうやらルイが事前に予約を取っていてくれたらしい。そこから更に数分待つと、ノック音と共にルイが入室してきた。業務の合間に抜けてきているからか、彼は騎士団の制服姿だった。入団当初は服に着られている感が否めなかったが今ではすっかり板についている。
「……勤務中に時間作って貰ってごめんね」
「いや……大丈夫。むしろ、そっちから来てくれるとは思ってなかった」
向かい側の椅子に腰かけたルイの表情は僅かに緊張を孕んでいた。きっと自分も似たような表情をしていることだろう。先延ばしにしても意味はない。ミリーはグッと膝の上の拳を握りながら口火を切った。
「今日はね、ルイに私の素直な気持ちを伝えに来たの。だからまずは私の話を聞いてくれる?」
「……ああ」
ルイが迷うことなく頷き返してきたので、ミリーは一呼吸置いた後にゆっくりと話し始めた。
「三ヵ月前にルイに迷惑だって拒絶された時ね、私すごく傷ついた。ずっと両思いだと信じてたのに、彼女じゃないってみんなの前で言われて、勘違いしていたのが恥ずかしくて……惨めだった。その後でルイが綺麗な女の人と一緒に居るところを見かけて……ルイに恋人が出来たんだって、失恋しちゃったんだって痛感して。本当に辛くて苦しかった」
そこで一度区切り、ミリーは改めて真正面に座るルイへと真っ直ぐ視線を向ける。
「それから私は一人でじっくり考えて……ルイへの恋を完全にやめるって決めたんだ」
瞬間、ルイの表情が苦痛に歪む。きっと今、彼は酷く傷ついているのだろう。
それが分かってもミリーは発言を決して撤回しなかった。そんなこちらの意思が伝わったのか、ルイが焦燥感に満ちた声を上げる。
「っ……コナー先輩の彼女とのことは誤解だって説明しただろ? 俺に恋人はいない。俺が好きなのはガキの頃からずっとお前だけだって……!」
「うん、確かに誤解は解けたよ。でもやめた理由はそっちじゃないから」
「……なら、何が原因なんだ? 言ってくれればいくらでも直すから――」
必死に縋ってくるその言葉にも、ミリーは冷静に目を伏せて首を横に振った。
「……気づいたんだ、私。自分でも思っている以上にルイの態度に腹が立ったんだって。傷つけられて、泣いて、落ち込んで、嫌われたかもしれないって悩んで。きっと自分が悪かったんだって思い込もうとして我慢したけど、そうやってまでルイのことを好きでいるのに――正直、疲れたんだ」
盲目的に慕っていた頃、この気持ちには底がないと信じていた。けれど、それは夢見る子供の幻想だった。
冷たくされれば悲しいし、理不尽に募られれば怒りも湧いてくる。
そんな当たり前のことを我慢しようとしていた自分に気づいたからこそ、この決断に至った。
「私はもう、ルイのことが好きじゃない。恋をしていない。今日はそれを分かって貰うために来たの」
目を逸らすことなく、声も震えることなく、ミリーは厳かに告げる。
一方、ルイは身体を震わせながらミリーの言葉を聞いていた。その表情は先日抱きしめてきた時か、それ以上に辛く苦しそうで。
どうしたって罪悪感は湧いてくる。けれど、この感情から逃げることも同時にやめた。傷つけても、嫌われても、ミリーはもう自分の心に嘘はつかない。
「……私の言いたいことは、それだけ。もう騎士団にも来ないし、私からルイへは接触しないから」
なるべく冷たく聞こえるように言い放ち、ミリーは席を立とうとする。
するとルイの方が先に立ち上がり、唯一の出入り口であるドアの前に立った。そのまま彼は縋るような眼差しをこちらへと向けながら必死に言い募る。
「なあ、もう本当に無理なのか? 確かにこの間のことは俺が悪い。それはちゃんと分かってる。見栄を張って傷つけたことも、お前の気持ちをないがしろにしたことも、心から反省してるんだ……もう二度と同じ過ちは繰り返さないって誓う。だから、俺にもう一度だけ機会をくれ……! 次は絶対に間違えないから!!」
頼むよ……と、ルイは片手で顔を覆いながら項垂れる。
その態度でミリーはルイが本当に自分を好きでいてくれていたのだと強く実感した。
けれどミリーが返せる言葉は他にない。
「――ごめん。それは出来ない」
だからそこを通して、とミリーは端的に告げる。
三ヵ月前の自分なら確実にルイのことを許していたと思う。だからか、ここまでしても折れなかったミリーに対して、ルイが愕然とした表情を向けてくる。きっと彼も思ったことだろう。ミリーは最後には赦してくれると。
だってずっと、そうだったから。
「……ルイ」
これ以上この場に留まることは互いにとって良くない。ミリーが再度、道を開けるように促すと、ルイの目からスッと涙が流れた。
ミリーがルイの泣き顔を最後に見たのは、おそらく十年以上前のことだ。流石に動揺してしまい思わず息を呑む。
そんな中、綺麗な顔に幾筋もの涙痕を作りながらルイは言う。
「……そうやって俺のことを捨てて、お前は別の男のところに行くのか? この間会った奴のところに……」
アーサーのことを指しているのだとすぐに気づいた。ミリーはその問いに対して真剣に思案し、
「……先のことは分からないけど、今は誰とも恋愛する気はないよ」
と返した。紛れもない本心だった。少なくとも、今の自分に恋愛をするような精神的余裕はない。
アーサーからは長期戦宣言をされたし、いつか彼のことを恋愛的な意味で好きになる可能性は大いにある。けれど――
「言ったよね。私は恋愛すること自体に疲れたの……しばらくは仕事に集中しようと思ってるから」
両親にも散々心配を掛けたし、何より今、ミリーは仕事がとても楽しい。
もっともっと腕を磨いていきたい。新しいレシピも試したいし、販売量も増やしていきたい。
もともと器用な性質ではないのだ。やるからにはひとつのことに全力で。それがミリーの結論だった。
ミリーの言葉を受け、ルイは泣き顔を晒しながらしばし立ち尽くしていたが、やがて服の袖で強引に顔を拭った。それから彼は一言も発することなく、ただ静かにドアの前から退く。
ミリーは改めて立ち上がると迷いなくドアノブへと手を掛けて、無言で部屋を後にした。
(――さようなら、ルイ)
扉を閉めながら心の中で呟いた瞬間、ミリーの瞳から一粒、涙が零れ落ちる。
それを冷静に拭うと顔を上げて意識的に胸を張り、ミリーは帰路への道を進み出した。




