思いがけない人生相談【1】
ルイの訪問から二週間後。ミリーはようやく厨房に立つことが許された。
予定よりも完治までに時間は掛かってしまったので、手も足も痛まず自由に動かせることにある種の感動を覚える。
ミリーは早速、朝からお店に出す用の焼き菓子を作り始めた。今日はリハビリも兼ねてシンプルなクッキーとマドレーヌ。問題なければ明日からはもっと種類を増やす予定である。
一心不乱に菓子作りに没頭するミリーに対して、同じく厨房で作業する両親は何も言わなかった。
しかし彼らは気づいている筈だ。自分達の娘と幼馴染の少年の間で何か大きな変化があったことを。
――あの日、ミリーの両親が帰宅する音により、ミリーはルイの腕から解放された。
彼は顔を俯かせて「また来る」とだけ言うと、ミリーの両親への挨拶もそこそこに出て行っていった。残されたミリーはそのまましばらくボーっと立ち尽くしていたのだが、異変を察知した母の心配の声で現実へと引き戻された。
何かあったのかと聞いてくる母に曖昧な表情を返すことしか出来ず、目線を泳がせるように何気なくテーブルを見れば、二人分のお茶セットと、ルイが置いていった紙袋が目に入った。
現在、その紙袋はミリーの自室のクローゼットの奥底で未開封のまま眠っている。開ける気には到底なれなかった。
あれからミリーは事あるごとにルイのことを考えてしまうようになった。
しかしそれは以前のような恋しい気持ちから来るものではない。ただ次に会った時に自分はルイにどういう態度を取ればいいのか答えが出せず、思い悩んでいるのだ。
彼の望み通りにするならば簡単だろうが、それは今のミリーには出来ない。
かといって真正面からルイを拒絶する勇気もない。なんとも中途半端な自分にほとほと嫌気が差す。
(……いけない、集中しないと)
ミリーは雑念を振り払うように深呼吸すると、窯から取り出したクッキーの焼き上がりを確認する。問題はなさそうなので粗熱を冷ますために網の上にクッキーを広げた。そして中から一枚、口に運ぶ。
焼きたて特有のまだ柔らかさが残る食感とバターの風味が口の中いっぱいに広がる。売り物としては完全に冷めたものを提供するが、ミリーはこの焼きたてクッキーがとても好きだった。
(アーサー様も好きな気がするなぁ、これ)
お菓子からの連想で美貌の青年の姿を思い出し、ミリーは自分に対して苦笑を浮かべる。アーサーと最後に会ったのは十日ほど前。ミリーの経過を気にして見舞いに来てくれた彼は、社交シーズンの大詰めを迎えたために「しばらくは立ち寄ることも出来そうにない」と心底残念そうにしていた。
ミリーも商売人の端くれなので、忙しいことは良いことだと思うしアーサーを純粋に応援している。ただ、彼としばらく会えないことを寂しいと感じる自分がいるのも確かだった。
その感情の源泉が恋愛感情によるものなのかは正直なところ分からない。
ミリーは今、自分の気持ちを正確に把握出来ている自信がまるでなかった。だから寂しいという気持ちと同時に、僅かに安堵の念を覚えたのも事実だった。とにかく今はじっくり考える時間が欲しかった。
ちなみにアーサーからは、無事に復帰したらそのことを知らせて欲しいと言われている。なので今日の夕方にでも手紙を出しに行くつもりだ。ついでに、タイミングをみてオルブライト商会にもお礼に行こうと考えている。散々迷惑を掛けたので。
「……お母さん、味見して貰っていい?」
「はいよ。……うん、美味しく出来てる。いいんじゃない?」
「良かった。じゃあ冷めたものから袋詰めしちゃうね」
こうして手をひたすら動かしていると気が紛れる。現実逃避だということは分かっているが、それでもお菓子作りが出来ることはミリーにとって癒しであり救いだった。
そうして午前中は厨房でひたすら作業をし、昼食を挟んで午後。
母から「少し気分転換でもして来たら?」と提案され、ミリーは町に出ることにした。
足を怪我していたため、こうしてゆっくり町を歩くのも久しぶりだ。だんだんと暖かいというより暑さを感じるような気候になっていて、夏も近いのだと実感する。
ミリーはとりあえず手紙を出すために郵便屋へと向かった。手紙はもちろんアーサー宛で、怪我が完治し復帰したことと、これまでのお礼、そして近々商会にお詫びの品を持って伺うことを簡単にしたためた。
特に迷うことなく手紙を出し終えると、ミリーは少しぶらぶらと町を散策した。
と言ってもこの辺りは特に大きな変化はない。ミリーが生まれた時から存在するお店が大半を占めている。ミリーはこの町で生まれ育った。たくさんの思い出があり、そしてその大半は隣にいつもルイが居た。
(……あの頃は、悩みなんて全然なかったなぁ)
小休憩が出来る広場まで足を運んだミリーは、木陰のベンチに腰を下ろす。
子供の頃、身体を動かすことが大好きだったルイは広場に来ると同年代の子たちと遊ぶことが多かった。ミリーはそれをこのベンチで眺めながら、時折交ざったり、一人で本を読んだりしていた。
運動があまり得意ではないミリーはよく男の子たちから揶揄われていたが、その度にルイが不機嫌そうにしながらミリーを引っ張り、男の子たちから守ってくれた。
その姿は、ミリーにとっては絵本に出てくるお姫様を守る騎士様そのものだった。
(そうだ……私は、私のことを守ってくれて、引っ張ってくれるルイが好きだったんだ……)
自分にはない強さが眩しかった。その背中が頼もしくて、ずっと後ろをついて行こうと思った。
そうやって恋心を育てていったのだ。
(じゃあ、今は……? 今の私は、ルイのことをどう思っているんだろう……?)
木漏れ日の隙間から覗く青空を仰ぎながら、ミリーが思考をさらに深く巡らせようとした時――
「あれ……ミリーちゃん?」
前方から自分を呼ぶ声がして、思考が強制的に中断する。
慌てて視線を正面に戻すとそこに居たのは、
「……コナーさん」
そう、ルイの騎士団での先輩に当たる青年だった。どうやら非番らしい彼は私服姿で、いつものように人好きのする笑みを浮かべている。
「こんなところで会うなんて奇遇だね! 実は今日、このあとミリーちゃんの家のパン屋さんに行こうと思ってたんだ」
「え、そうなんですか!? でもどうして……」
「ああ、実は彼女がミリーちゃんちのパンを食べたいって言うから、デートがてらにね」
そう言って、コナーは視線を自分の背後へと向ける。つられてミリーも同じく視線を動かせば、コナーの背に隠れるようにして一人の女性がこちらを窺っていた。
「ミリーちゃん、紹介するよ。こちらは俺の恋人のローナ」
「はじめまして……えっと、ミリーさん?」
可愛らしく笑みを浮かべて挨拶をしてくるローナに、ミリーは目を瞬かせた。
(この人……あの時ルイと一緒に居た人だ……!)
あまりにも思いがけない遭遇に、ミリーはしばし言葉を失ってしまった。




