彼の言い分【3】
「っ……分かる訳ないでしょ、そんなこと!!!!!」
十六年という人生で此処まで声を張り上げたことはない。
そう断言出来るほどに、ミリーは憤っていた。
キッと睨みつけた先には困惑を通り越して驚愕しているルイの姿がある。それがまた腹立たしくて、ミリーは勢いのまま激しく捲し立てる。
「だってルイは迷惑だって言った! 彼女じゃないってみんなの前で言った!! なのに今更そんなこと言うなんて……信じられるわけないじゃない!!!」
言いながら、これが半ば理不尽な八つ当たりであることは自覚していた。けれど止まらなかった。一度堰を切ったら、自分の意思ではコントロール出来なかった。それぐらい気持ちが昂っていた。
「確かに……私はずっとルイのこと好きだった! ルイも私のこと好きだって信じてた! けど、あの日のことでそれは勘違いだって思い知らされた。だって何も決定的なことは言われてなかったから。私たちの間には約束も何もない。ただなんとなくの関係しかなかったんだって、気づいた……気づいちゃったんだよ……っ!」
そこでミリーは奥歯をグッと噛みしめる。
急に涙腺が緩むのを感じたから、意地でも泣いて堪るかと踏ん張るためだった。今、絶対にルイの前でだけは無様に泣きたくない。その一心で。
結果的にミリーの乱れた息遣いだけが室内を支配する。
そんな中で、不意にゆらりとルイが立ち上がった。
彼の表情は今まで見たことがないほどに動揺を露わにしていた。まるで叱られた直後の子どものようだ。さらにルイは何度かこちらに手を伸ばしかけて、それを止めてを繰り返している。彼自身どうしたらいいのか分からなくなっているのが傍目にも伝わってきた。
そこでほんの少し、ミリーに冷静さが戻ってくる。
威嚇する猫のような呼吸も治まり、代わりにルイへの罪悪感が押し寄せてくる。
(こんなこと……言うつもりなかったのに……)
衝動的に動いてしまった自分を恥じながら、ミリーも立ち上がった。ルイと目線を合わせるために。そしてなるべく感情を出さないようにしながらごく淡々と告げた。
「……ごめん、言い過ぎた」
ルイからの返事はない。だからミリーはそのまま言葉を重ねる。
「今のは完全な八つ当たり。私だって、ルイにちゃんと告白しなかったんだもん……だから本当はルイを責める資格なんてないんだ」
もし、十五歳に戻れたら。騎士団に入団する前のルイに好きだと告白出来ていたら。
ルイがミリーの気持ちを受け入れて正式に恋人関係だと胸を張って言える間になっていたら――きっとこんな風に拗れることはなかったのに。
と、そこでルイがハッとしたように表情を変えた。
彼はあからさまに焦りを浮かべながら、ミリーに対して恐る恐る口を開く。
「なぁ……なんで、過去形なんだ……?」
指摘されて初めて気づく。確かに、自分は先ほど「好きだった」と言った。「好きだ」ではなく。
それは僅かな違いのように思えるが、その実、無視出来ない断絶があった。
(……そうか。私の中でルイに対する気持ちは――どこか変わっちゃったんだ)
純粋に、ルイだけが大好きだった頃の自分はもういないのだ。
それは子供が大人になるように。残酷に。けれどどうしようもなく。
「ミリー、なんとか言えよ……ッ!」
こちらを問い詰めてくる声が耳に痛い。
それを真正面から受け止め、ミリーは拳をぎゅっと握った。
「私、ルイが好きだった。けど……もう昔みたいにルイのことだけ考えてた自分には戻れない」
「は、え……な、なんで……っ!?」
「なんでだろう……自分でもよく分からないの。でも、前みたいにルイとずっと一緒に居るって想像が、今は出来なくなってる……」
ミリーの世界は狭かった。家族とルイと、近所の人たちと。そのくらいで完結していた。
大事なのは家族とルイだけだった。それで満足していたし疑問に思うことも特になかった。
けれど今は違う。少なくとも昔みたいにルイに尽くしてルイだけを盲目的に慕い続けることは無理だった。心のどこかで、また傷つけられるかもしれないという怯えが拭えない。
あの頃は当たり前のように想像出来ていたルイとの幸せな未来が――上手く描けなくなってしまった。
それが今のミリーの正直な気持ちだった。
「なんだよ、それ……そんなんで、納得出来るわけねぇだろ!?」
瞬間、ルイが弾かれたように動いた。彼は一息に距離を詰めると、そのままミリーを強く抱きしめてくる。あまりのことに驚きすぎて声も出なかった。しかしすぐに我に返ったミリーは咄嗟にルイの腕から逃れようともがく。その態度が気に食わないのか、ルイはこちらを封じ込めるように腕の力をより強くした。
同い年とはいえ、相手は男性でしかも騎士。力の差は歴然で、ミリーの身体など簡単にいいようにされてしまう。肉体では勝てないことを悟ったミリーは痛む身体に眉を顰めながら抗議の声を上げた。
「ルイ、やめて! なんでこんなことするの!! 離してよ!!!」
「――嫌だ」
「っ~~~いったい何がしたいの!? こんなことされて、私がどう思うか考えてくれないの!?」
あまりにも自分本位なルイの言動に、ミリーは怒りを通り越して悲しみが湧いてきた。
同時に、いいようにされてしまう自分の無力さに情けなさとやるせなさが込み上げてくる。やがて抵抗する気力が徐々に失われていき、ミリーは身体の力を抜いてただただその場に立ち尽くした。すると、そのタイミングでルイは縋りつくようにミリーの首筋に顔を埋めてくる。吐息が項に掛かり、ビクンと反射的に身体が跳ねた。その直後、
「……頼むから」
哀願するような響きがミリーの耳朶を打つ。
「過去になんてしないで」
それは十六年間共に過ごしてきた中で初めて聞く種類の声音だった。
身体はこんなにも力強く拘束してくるのに、その声はどこまでも弱々しい。
「…………好きだ。お前が好きだ。ずっと前から、生まれた時から、好きなんだ」
思わず息を呑む。誤解しようのない告白の言葉の数々。過去のミリーが欲しくて欲しくて堪らなかったもの。それが今、耳元にこれでもかと落とされる。
しかも普段のルイからはまったく想像のつかないような脆弱さと切実さを孕んでいて。どうしようもなく胸が騒めいてしまう。
「ルイ、私は……」
「お前のためなら、嫌なところ全部直す。いつ騎士団に来たっていい。恋人だって誰にでも紹介する。寮から出られたら結婚して、それから……全部お前の言うとおりにするから――」
――だから、俺のことを好きだと言ってくれ。
その身につまされるほどの懇願に、ミリーは応えることは出来ず……けれど突き放すことも出来なくて。
両親が帰ってくるまでの間、ミリーは身体の痛みに耐えながら黙ってルイに抱きしめられていた。
それでも最後まで、自分から彼を抱きしめ返すことはしなかった。




