手紙とお見舞い【1】
情けなくも失恋して怪我をして熱を出して倒れてから、丸三日。
すっかり熱も下がったミリーだが手足の怪我は完治まで最低でも十日は掛かるとのことで、復帰後は大人しく店番をしていた。
両親にも酷く心配を掛けてしまい申し訳ない。
だが、熱で寝込んでいる間にだいぶ気持ちの整理は出来た気がする。
(よし! 迷惑かけた分も今日からまた頑張らないとね!)
そんな気合いのもと朝の忙しい時間帯を抜けて、今は少し客足も落ち着いた頃合い。昼の混雑に備えて早めの昼食を取りレシピ帳を眺めつつ新作の構想を練っていると、近所に住む顔見知りの女性がドアベルを鳴らした。
「いらっしゃいませ!」
「あら、今日の店番はミリーなのね?」
「そうですよー! ちなみに今日はライ麦パンとチーズパンがおすすめです!」
「じゃあそれを二つずつと……今日の焼き菓子はもう売り切れ?」
「あー、焼き菓子はしばらくお休みなんですよ。たぶん再来週からはいつも通り置かれると思います」
「あらまぁ残念。ここの焼き菓子、うちの子どもたちからもすっごく評判良いのよー」
「それは嬉しいです! またよろしくお願いしますね!」
お会計を済ませ、女性の背を見送る。ちなみに今日だけで似たような会話を三度は体験した。最近は店番を主に母が担っていてミリーは窯の方に専念していたために気づかなかったが、どうやら想像以上に自分の焼き菓子は評判を呼んでいるようだ。
(嬉しいなぁ……怪我が治ったら精一杯美味しく作らないとっ!)
医者の診断により来週末までは怪我の治療に専念するよう言い含められている。
確かにまだ動かすと僅かに痛みを感じるので、生地を捏ねたりなどの重労働が厳しいのは事実。
(でもここのところ毎日お菓子作ってたから、正直ちょっと落ち着かないんだよね……)
アーサーがいつ訪ねてきてもいいように毎日焼き菓子を作っていたミリーとしては、この状況に少し物足りなさを感じる。だけどここで怪我を悪化させる方が愚かだと流石に理解しているので、医者の言いつけはきっちりと守っていた。
ところでアーサーと言えば、熱を出した翌日には立派な見舞いの品が家に届いた。
柔らかな匂いの可愛らしい花束と果物の詰め合わせ。そして直筆のメッセージカード。
『直接お見舞いには行けないけど、ゆっくり休んで早く元気になって』
そう丁寧な筆致で書かれていたカードは、ミリーの宝物箱にそっと仕舞われている。
花束は部屋に飾ってあるし果物は家族で美味しくいただいた。
(本当に何から何まで気を遣われてるよね。おかげでお礼がぜんぜん追い付かない……)
ミリーがここまで早く精神的に復帰出来ているのも、間違いなくアーサーの存在が大きい。
彼に話を聞いて貰って、ボロボロ泣いて。自分が失恋したことを認めることが出来て。
そうやって今、妙にすっきりしているのは間違いなくアーサーのおかげだ。感謝するほかない。
(やはりここはとびきりの新作を用意しないと! 今までの傾向からするとアーサー様はお酒とか風味が強めのものが好きみたいだから……レーズンサンドとか、シフォンケーキも良いかも?)
そんな風に日々お礼に悩みながらも店番をこなし、怪我が治ることを心待ちにしていた日のこと。
早朝からミリー宛に一通の手紙が届いた。普段滅多に手紙を貰うことはないので不思議に思って宛名を見れば、そこに書かれた名前に思わず目を剥いてしまう。
それから恐る恐る封を切り、緊張しながらゆっくりと便箋を広げた。
『ミリーへ
来週七日の午後、会って話がしたい
色々と説明しなければいけないこともあるし
俺からミリーに聞きたいこともたくさんある
自宅まで迎えに行くから必ず待っていて欲しい
――ルイより』
ミリーは三回ほど文章を読んだ後で、大きなため息をついてしまった。
(……気が重い)
率直に言えば、ミリーはルイに会いたくなかった。
少なくとも今はまだ顔を合わせて冷静に幼馴染として振舞える自信がない。
失恋したとはいえ、ルイへの気持ちが完全に消えたわけではないのだ。もし会えば頑張って蓋をしようとしている恋愛感情が再び揺さぶられ更なる痛みを伴うかもしれない。
とはいえ、あのルイがわざわざ事前に手紙を寄越してきたのだ。よほど重要な話があるのだろう。それなのに逃げることは誠意に欠ける。ただでさえ、この間は体調不良であったとはいえ失礼な態度を取ってしまったのだ。それに――
(手紙だからかな……ルイが妙に切実な感じに思えるのは)
ルイから手紙を貰ったのはもちろん初めてのこと。だからかもしれないが、文面や筆致からはなんとなく必死さが伝わってくる。
「来週の七日ってことは……四日後か」
偶然か意図的かは分からないが、その日は店の定休日。今のところ特に予定もない。
「……仕方がない、逃げずに会おう」
ミリーは覚悟を決めた。どうせいつかは向き合わなければならないのだ。それにルイが自分に話したいことの中身が気になるのも本音である。
「彼女が出来た報告だったら嫌だなぁ……」
そう呟きつつ、その可能性が一番高いことをミリー自身は予測している。
次点は騎士団で大勢の前で泣かせたことに対するお詫び、といったところだろうか。
(それに私に聞きたいことって何だろう……?)
パッと思いつくのはアーサーのことだが、ルイからしたら特に気になるようなことでもない筈。だとするとルイの実家絡みか、はたまた恋愛相談なんて可能性もあるかもしれない。
(……うん、これ以上考えるのはやめとこう!)
どうせ四日後には結論が出るのだ。
悩むだけ無駄だと判断したミリーは開店の準備を始めることにした。
その日の夜のことだった。忙しい筈のアーサーが閉店間際に店に顔を出してくれたのは。
ミリーが笑顔で迎えると彼も心から嬉しそうな顔をしてくれる。
「夜分遅くにすまないな。体調や怪我の具合はどう?」
「もう全然大丈夫です! ……と言いたいところですが、怪我の方はまだ完治してなくて」
「そうか……何か困ったことがあったら遠慮なく言ってくれ。力になるから」
もう十分貰ってますよ、とミリーは苦笑する。
「それなのに今はお菓子が作れなくて……わざわざ来てくれたのにすみません」
「……え? もしかして俺が此処に来た理由、もしかしてお菓子買いに来たと思ってる?」
「? 違うんですか?」
「違うに決まってるじゃないか! ……ほんの少し時間が取れたから、どうしても顔が見たくなって寄っただけだよ……」
「そ……っ、そう、ですか……ありがとうございます……」
何となく気恥ずかしくなったミリーはつっかえながらもお礼を言う。しかしアーサーからの返事はない。それを不思議に思って上目遣い気味に仰げば、綺麗な顔とバッチリ目が合った。
そこで気づく。アーサーの顔が明らかに赤みを帯びていることに。心なしか普段落ち着いている彼がなんだかソワソワしているようにも感じる。
「あの、アーサー様? もしかして具合が悪かったり……?」
「――いいや、別に具合は悪くないし色んな意味で俺は正常だよ。むしろ正常過ぎて色々コントロール出来ていない気もするけど」
「……?」
彼の言いたいことが今一つ分からず首を傾げると、アーサーはしばし葛藤するように額に手を当てて目を閉じる。何かを考えているようだ。そうして数十秒ほど沈黙した後に彼はゆっくり目を開くと、今度はいたく真剣な面持ちでミリーに向き合った。その雰囲気にミリーの背筋も自然と伸びる。
「……本当は、今ここで言うのはどうかと自分でも思うんだけど――変に誤解されたくないから先にハッキリ伝えておくよ」
一拍置いてから、アーサーは少し困ったような、でもどこか満たされたような顔で――言った。
「俺、ミリーのことが好きみたいなんだ。その……恋愛的な意味合いで」




