焦りと不安と【ルイ視点】
騎士団寮の自室に辿り着いて最初にしたことは、手にしていた小さな紙袋をベッドの上へと放り投げることだった。それでもギリギリ理性が働いて叩きつけるような真似はしない。
それでも心情としては激しい苛立ちを何かにぶつけたくて仕方がなかった。
約二ヶ月ぶりに会った幼馴染のミリー。
誰よりも大切な彼女に拒絶される日が来るなんて、ルイは想像したこともなかった。
だっていつもミリーは自分の隣で笑っていたから。自分がどんなに理不尽な物言いをしても、我が儘を言っても、無理やり連れ回しても。それを当然のことのように受け入れてくれる。だって彼女はルイのことが好きだから。ルイを一番に想ってくれているから。
だからルイはミリーの前でだけは心から安らげる。他の誰かでは無理だ。彼女だけがルイにとっての拠り所であり、特別なのだ。それは彼女も理解してくれていた筈だ。
言葉にしなくても、自分たちは互いに惹かれ合っている。そしていずれは結婚して、平凡だが幸せな家庭を築いていくのだろう。
それが自分たちの当たり前であり、一生変わることのない強固な絆だと信じていた。
なのに、どうしてこんなことになっているのか。
ルイは部屋の明かりも付けずにベッドの縁にドカッと座り込んだ。そして己の掌をぼんやりと見る。
伸ばしたこの手の先に見えた彼女の表情は、十六年間で初めて見る自分への怯えだった。未だに瞼に焼き付いて離れないその悪夢のような光景に、開いていた手を強く握り奥歯を噛みしめる。
叶うのならば今すぐにでも会いに行って話がしたい。
しかし騎士としての規律がそれを許さない。はたして次の休暇はいつだっただろう。普段は大して気にもしていないからすぐには思い出せなかった。
(……クソッ、騎士団に来るななんて言わなければ良かった)
あの時はそれが最善だと思っていたが、今になって後悔が押し寄せてくる。
(というか、あの男はいったい何者なんだ……いつ、どこで知り合ったんだよ……)
自分の知らない男の腕で抱き上げられていたミリーは、その男のことを心から信頼しているように見えた。その事実がルイの心情を搔き乱す。今まで彼女に懸想をする男は何人も見てきた。その度に先回りして牽制し、彼女から遠ざけた。
地元周辺の男どもはそんなルイのミリーに対する執着を痛いほど理解しているから、もう簡単に手を出されることはないと踏んでいた。それが慢心だったのだと今なら分かる。
(こんなことなら……先に告白しておくべきだった)
一人前の騎士になってから正式にプロポーズしようだなんていうのは、格好つけたい自分の見栄でしかなかった。ルイとしてはミリーとの関係は既に家族公認の恋人同士のようなものだと思っていたのも大きい。
言葉に出さずとも約束している気になっていた。冷静に考えれば傲慢にもほどがある。
考えれば考えるほどに焦燥感が募っていく。ミリーを誰にも取られたくない。あんな男になど、絶対に渡したくない。
項垂れ、噛みしめていた奥歯がギリッと音を立てる。
ちょうどその時だった。ルイの部屋の扉がノックされたのは。
鍵を掛けていなかったことが災いし、ノックした人物はこちらの返事を待つこともなく無遠慮に扉を開けてきた。
「うわ暗っ!? なんだよルイ、居るなら明かりくらい付けろよ……!」
「……コナー先輩。何か用ですか」
「用も何も、お前今日ミリーちゃんに会って来たんだよな? どうだった? ちゃんと仲直り出来たか?」
こちらの了承を得るまでもなくランプに明かりを灯しながらコナーが尋ねてくる。
それに対してルイは大きく息をつくと、
「アイツ、体調崩したみたいで碌に話も出来ませんでした」
と投げやりに答えた。途端にコナーの表情は気まずそうに曇る。
「そうだったのか……それは残念だったな。ミリーちゃんの具合は大丈夫なのか?」
「……ええ、おそらくは」
「そうか。しかしせっかくプレゼントまで用意してたのになぁ」
渡せなかったのか、とコナーはベッドに放られていた小さな紙袋へと視線を向ける。それは王都で最近若い世代向けに評判になっているジュエリーショップの紙袋だった。中身は深い藍色の宝石が目を惹くペンダント。ルイが今日、久しぶりに会うミリーにと購入した物である。
「ローナも感心してたんだぞ? お前がめちゃくちゃ熱心にプレゼント選びしてたこと」
ローナとはコナーの恋人のことだ。今日の昼頃、ジュエリーショップの店内でルイは彼女と少し雑談を交わした。それをぼんやりと思い出す。
「先輩たちは揃いの指輪を買いに来たんでしたっけ?」
「おうよ! 見てくれよ、かなり良い感じだろ?」
そう言ってコナーは自らの右手薬指に嵌る青銀色のシンプルな指輪をルイの方へと向ける。ペアリングということで男女ともにつけやすいデザインのそれは確かにコナーの手にもしっくりと馴染んでいた。
「ローナもめちゃくちゃ気に入ってくれたし、あの店を選んでマジで良かったわ!」
「……ええ、良かったですね」
「なんだよお前にしてはやけに素直だな……まぁ、お前だってミリーちゃんへのプレゼントは次の機会に渡せばいいんだし、そんなに気落ちするなよ!」
悪意のないコナーの言葉が胸に突き刺さる。次の機会が今はあまりにも遠い。その事実にルイが再び溜め息を吐きそうになっていると、その横でコナーが不意にぽつりと呟いた。
「ってことは、今日見たあれはやっぱりミリーちゃんじゃなかったんだな……」
コナー本人としてはただの独り言だったのかもしれない。
だが妙に引っ掛かりを覚えたルイは咄嗟に顔を上げ、コナーを仰ぎ見た。
「先輩、今日ミリーを見かけたんですか?」
「ん? いや、見かけたというか、ミリーちゃんっぽい子の後姿を見たってだけだが」
「場所は? 何処でですか? 時間は?」
「なんだよ妙に食いつくな……場所はジュエリーショップのある大通りのとこで、時間は昼。そうそう、俺が店内に入ろうとした時にちょうど見かけたんだよな。でもかなり遠目だったし、一応名前も呼んでみたけど振り返らなかったし……やっぱり他人の空似だったんだと思うわ」
「……なんでそう思うんですか」
「は? だって今日ミリーちゃん体調崩してたんだろ? なら地元から離れた大通りに居るはずないだろうが」
お前がそう言ったんだろ、とコナーが訝し気な顔をするのに対し、ルイはしばし沈黙した。
嫌な予感がしていた。何か早急に手を打たなければならないと、そんな焦りも同時に生まれた。
だから、ルイは思い切って口を開いた。
「……先輩、お願いがあるんですが」
「お、珍しい! なんだよ?」
「なるべく早く次の休暇が欲しいんです。協力してくれませんか」




