それぞれの変化の兆し【2】
(……今日も来なかったなぁ)
店のドアや窓の鍵がきちんと施錠されているかを確認した後、ミリーはふぅと溜め息を吐いた。
(残して置いた分のチーズケーキ、どうしよう)
最後にアーサーが店を訪れてから既に八日が経とうとしていた。
本人もしばらく来られないと言っていたし、別に約束をしているわけでもないのに。
どうしても彼の分だけは別で取っておいてしまう自分にミリーは自然と苦笑いを浮かべてしまう。
おかげで夜に甘いものを食べることが増えて、結果的に少し太ってしまったような気がする。自業自得ではあるが、今度アーサーが来たら文句の一つでも言ってやりたい気分だった。
今日もひとり夜にチーズケーキか……と胃を重くしかけた時、ふいにミリーは妙案を思いつく。
「……そうだ! おすそ分けに行こう!」
よし、と決めるとさっそくミリーは両親に声を掛けて手早く準備をすると勝手口から表へと出た。向かう先は数軒先の雑貨屋――つまりルイの実家である。
「こんばんはー! おばさーん、いますかー?」
「おやまぁ! ミリーじゃないか、こんな遅くにどうしたんだい?」
雑貨屋の裏口から声を掛けると、すぐにルイの母親が顔を出す。思えばここに来たのはあの苦い思いをした日が最後だった。久しぶりに見るルイの母にミリーは持ってきた紙袋を掲げながらニコリと笑う。
「これ、良かったら食べて欲しくて。私が作ったチーズケーキなんだけど」
「え? そんないいもの貰っちまって良いのかい?」
「もちろん! おじさんの分もあるから二人で食べてね!」
ルイの母親はミリーから受け取った紙袋を大事そうに抱えながら「ありがとう」と破顔した。こんなに喜んで貰えるならもっと早く持ってくるべきだったなと、ミリーは少々反省する。
夜にあまり長居しても迷惑だろうとミリーは早々に引き上げようとしたが、ルイの母親の方がそんなこちらの背中を引き留めた。
「最近、あまりうちに寄ってくれなかったから心配してたんだよ……ルイとはちゃんと会えてるのかい?」
「あっ……いえ、それは――」
ミリーは少し口ごもったが、隠してもしょうがないと考え直して軽く事情を説明した。すると、何故かルイの母親がこれでもかというほどの渋面を作り吼える。
「あのバカ息子が~~~~!!!!」
「お、おばさん!? ちょ、声大きいですってば!!」
ご近所の噂話は風よりも早い。ただでさえアーサーという常連客のことでミリーはご近所から注目されているのだ。これ以上の噂話の的になるのはごめん被りたかった。
「ああ、ごめんよ……ったく、あのバカ、ミリーちゃんが優しいからって調子に乗って……っ!」
「怒らないで、おばさん。ルイが言ってることは正論だし私も納得はしているから」
それは半分は本当で、半分は嘘だった。ルイの言うことは間違いなく正しい。けれど訓練所に居た見学の少女たちを思い浮かべると、なぜあの場所に自分だけ居てはいけないのか、ミリーとしてはどうしてもモヤモヤが残ってしまう。
「というかルイってば、おばさんたちのところにも全然顔出してないの?」
「顔出すもなにも、もうかれこれ半年は見てないよ。まぁこっちもバカ息子の顔なんて今は見たくもないけどねぇ!」
どうやら相当お冠のようだ。ミリーは帰省時に説教されることが確定したルイに申し訳ない気持ちになりながらも特に擁護はしなかった。というか、言葉を尽くしたところでルイの母親の怒りはおそらく解かれないだろう。
(実際、あまりご両親に心配を掛けるべきじゃないしね……いくら忙しくても一日くらいなら帰って来られる筈だし、それが無理でも手紙を出したりは出来る筈だから)
つまりはルイの怠慢である。それを庇う理由は今のミリーにはない。
「とにかく! あのバカが帰ってきたらミリーちゃんのとこにもちゃんと顔出して詫びるように言っておくから!」
「おばさんには悪いけど……それは遠慮したいかな。そういうのは強制されてするものじゃないと思うし……」
「ミリーちゃん……そうだね、ごめんよ」
ミリーに対してもルイからの接触はあの日より一切ない。つまりルイにとってはミリーなどその程度の存在なのだろう。特別な幼馴染だと思っていたのはやはり自分だけだったのだ。この二ヶ月の間、ミリーはそのことをゆっくりと理解し、悲しい気持ちに少しずつではあるが折り合いを付けつつあった。
なんだかしんみりしてしまい、ミリーは慌てて笑顔を作る。
「じゃあ、私はこれで! おじさんにもよろしく伝えてね! あと、またお菓子作ったら持ってきてもいい?」
「……ああ、もちろん! ミリーちゃんならいつでも大歓迎だよ!」
こちらの意図を察したのかルイの母親も努めて笑顔で返してくれる。それにホッとしながら、ミリーは足早にその場を立ち去った。
(それにしてもルイ、そんなに忙しいのかな……身体、壊してないと良いけど……)
自分に彼を心配する権利はないかもしれないが、それでも気にはなってしまう。ルイにとってミリーは取るに足らない存在かもしれないが、ミリーにとっては未だに大事な幼馴染で好きな人だから。
(忙しいと言えばアーサー様もだよね……今週は会えずじまいだったし)
アーサーに関してはまた以前のように商会を訪ねて焼き菓子を差し入れてもいいかもしれない。
以前にこっそり差し入れをしたところ、アーサー本人だけでなく従業員の方たちにも非常に喜ばれたので。
(明後日はお店もお休みだし……うん、色々と作って持っていっちゃおう!)
ルイのことで落ち込んでもこうして前向きに気持ちが切り替えられるのは、アーサーとの出会いのおかげだ。そのことに感謝しながら、ミリーは頭の中のレシピ帳から何を作って持っていくか考え始めた。
――そして二日後。
大量の焼き菓子の詰め合わせを大きなバッグに忍ばせたミリーは意気揚々と馬車に乗り、オルブライト商会の王都支店へと向かった。
今日は天気もいいし少し散歩でもしようかと、商会からほどほど距離がある乗合所で降りる。石畳を軽やかに歩けば、段々と日差しが強くなってきていることを肌で感じて、本格的な夏の到来をどこか予感させた。
向かう先であるオルブライト商会の王都支店は王都内でも一等地と呼べる商業地区にある。必然的にその周辺も様々な商店や工房が軒を連ねていて、見ているだけでも心が躍った。
特に可愛らしい雑貨やアクセサリーを扱うような店は、入る勇気こそないものの窓越しに覗くだけでも楽しい。
だからその可愛らしい外観のお店を見つけた時、ミリーはウキウキした気分でそっと窓に近寄ったのだ。けれど、その目に飛び込んできた光景に、一瞬にして頭が真っ白になる。
ショーケースが並ぶ店内でアクセサリーを選んでいたのは、一組の男女。
一人は可愛らしい雰囲気の、ミリーよりいくつか年上と思しき女性。
そして、もう一人は――
(……ルイ)
ミリーの大好きな幼馴染の少年だった。




