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安物買いの銭失い。
値段の安いものにはそれなりの理由があって安いのだから、つまり質が良くないのだから、買っても気に入らなかったり使ってもすぐに壊れてしまったりして、結局長持ちせずかえって損をしてしまうこと。よく使う格言。まさに俺たち夫婦にぴったりの言葉だ。
毎朝のスーパーのチラシに血眼になって一円、二円の違いに一喜一憂する吝嗇家を嘲る人がいるだろう。謳い文句に踊らされて要りもしないものであっても次から次へと注文してしまう浪費家を蔑む人もいるだろう。しかし俺たちは嘲りも蔑みもしない。なぜなら彼らの心情は痛いほど理解できるからだ。
新婚の俺達夫婦は似たもの同士。二人とも安物には本当に目がない性分で、昔からその場のインスピレーションに忠実に行動しては、ただただ押入れに存分の肥しを与えてきた。嗚呼、失敗した。そう思う度に次からはもっと高くて良いものを買おうと心に誓うのだが、いざ簾のように並ぶ値札を目の前にすると自然と鼻が利いて大特価物を見つけてしまう。しかも二人が一緒にいると相乗効果が生まれるのか価格の下方修正はとどまるところを知らない。
今回の新居選びも、少しでも家賃の低いものを低いものをと様々な妥協を積み重ねたあげく、見かねた感じの仲介業者さんのフォローがあって何とかこのサクラビルに決めたのだが、結局入居三ヶ月の今、俺たち夫婦は再度の引越しの準備をしている。
当初の理想は高かった。
二人だけの甘い新婚生活をスタートさせる記念すべき愛の棲家なのだからと意気込んで互いに仲介業者が営業スマイルを引きつらせるぐらいに次から次へと希望を出し合った。実際、俺たち夫婦を担当してくれた岡本さんは途中で青ざめて俺たち夫婦の口を手で塞ごうとしたほどだった。
新築、3LDK、フローリング、オートロック、大きな下駄箱つきの広い玄関、南向きで日当たり良好、ウォークインクローゼット、ちょっとした家庭菜園ができる広いベランダ、駅・コンビニ・スーパーの近く、車の騒音なし、アイランド型キッチン、オール電化、ウォシュレット付トイレ、床暖房、浴室暖房、二人でゆっくり浸かれる大きなバスタブ、駐車場完備、光通信、ペット可……。今思えば恐ろしく世間知らずだった。
俺も俺の奥さんもそれまで一人暮らしの経験がなかった。生まれてこの方ずっと両親兄弟と一つ屋根の下で暮らしてきた。幼いころは兄や妹と同じ部屋。俺は勉強机が兄弟に一つという時代もあった。
下腹を押さえてトイレに駆け込もうとしても先客が待っていたり、たかがテレビのチャンネル争いで生傷が絶えなかったり、自分の部屋から一歩出れば犬も食わない両親の夫婦喧嘩に出会ったり。家族同士といっても個性ある人間の集団である以上色々ままならないことばかりなのだ。
だから二人にとって一人暮らしは憧れの世界だった。見たいテレビを見て、寝たいときに寝る。食べたいときに食べ、トイレを我慢せずに使い、好きなときに風呂に入る。その風呂に入れる入浴剤も自分で選ぶ。そう言えば泡のお風呂に入ってみたいというのが奥さんの夢だったはずだ。俺も奥さんもずっと一人暮らしを夢想して生きてきた。玄関ドアのこちら側は全て自分だけの世界だと想像を膨らませるだけで思わず目眩がしそうになった。一人暮らしの友人が「料理が面倒だ」とか「朝起きるのがつらい」などといった一人きりでの生活の苦労について語るとき、俺も奥さんもその友人が直視出来ないほど眩しく見えたものだった。生活を苦しめるという家賃なるものを毎月滞りなく払って行く事にさえ恍惚とせずにはいられなかった。
三ヶ月前、婚姻という法的手続きを経ることによって俺たちが得たのは念願の「一人暮らし」ではなく「二人暮らし」だったが、積年の夢だった自分だけの城というものをようやく手に入れることができた。若い夫婦はこれから生活を送る新居に光り輝くベールに覆われた理想郷を夢見ていた。
現実を知ったのは希望を出し尽くしたときに返ってきた家賃の相場を聞いたときだった。今ではその値段は覚えてもいない。きっと忘れなければ先に進めないような額だったのだろう。あまりの驚きに二人ともまさに魂消て開いた口が塞がらなかった。放心状態から醒めたときには自分のあまりの世間知らずさに耳まで赤らめ、お互いに顔を見つめ合ってはにかんだのだった。
意を決した夫婦が繰り出したのは専売特許の妥協の嵐だった。二人がそろえば怖いものなどない。価格はどんどん下方修正されていった。
築年数など関係ない。部屋数は二の次。台所の設備など水と火さえ出れば何でも良くなり、コンビニの存在など気にしていられなくなった。駅まで自転車で行ける範囲なら文句はない。せめて風呂ぐらいは一人で入りたいと思えばバスタブなど小さくて構わない。ウォシュレットトイレが汲みとり式に変わっても耐えられないものではない。
希望条件にも切りがなかったが、妥協も延々と続く新婚夫婦に岡本さんがたじたじとなりつつ勧めてくれたのがサクラビルだった。あれはどうかこれはどうかと新居選びに疲れてきていた夫婦が捨て犬のようなすがりつく眼差しで見上げたとき彼は掛けている眼鏡のレンズを鈍く光らせ自信に満ち溢れたスマイルと流暢な口調でこのマンションの説明をしてくれた。
築年数は二十年と古いですが頑丈な鉄筋コンクリートの3階建て。夫婦二人だけならとりあえず6畳と4畳半の2DKの間取りで十分でしょう。駅から徒歩8分という最高の立地。高台にあるので見晴らしは絶景。幹線道路からは外れているので車の騒音の心配はありません。広めのベランダは東向きですが朝方の日当たりは抜群。トイレとお風呂は別々ですからどちらもゆっくり使っていただけますよ。そしてこの内容で家賃はなんと、たったの……。
俺たち夫婦は動物園のサルが餌に飛びつくように脇目も振らず即座に食いついた。サクラビルはまさに俺たち夫婦のためにあるマンションのように思えた。売り込み言葉の響きを聞けば思わずうっとりとするほどで文句の付けようがない。ことは急げと岡本さんの運転する車でその日のうちにサクラビルを見に行った。
岡本さんの言ったことは全て間違ってはいなかった。
2DKの間取りなら窮屈感はない。実際に歩いてみたわけではないから分からないが岡本さんの説明では駅はそう遠くはなさそうだ。そして何よりそこからは自分たちが生活している街並みが思うままに一望できるのだ。見渡す限り視界を遮るものが何もなく、西の果てに太陽が没していく赤い景色があまりにも雄大だった。
「地平線が見える」
空と大地の境を見つけた俺は柄にもなく感動してそうつぶやいてしまった。それはビルが乱立する都会で暮らす俺たちには新鮮な体験だった。同じ姿勢での作業に疲れたときに思い切り伸びをするのが気持ちいいように、地の果てに向かって視線を存分に飛ばせるという爽快さは胸がすく思いだった。
夜になればロマンチックな夜景が楽しめますよと言った岡本さんの言葉に今度は奥さんの方が柔らかく目を細めた。
少々外壁にコケが生えようが階段の手すりに錆が浮いていようが目に止まらなかった。これ以上の物件はないに違いない。俺たち夫婦は何かに急き立てられるようにその日のうちに契約を済ませてしまった。
高校時代に歌手を目指して四六時中狂ったようにギターを掻き鳴らしていた俺は音楽が好きでハードロックからクラシックまで幅広いジャンルのCDを集めていた。奥さんは幼い頃から本の虫だったらしく今でも欠かさず週に一度古本屋に行っては一冊百円ほどの文庫を抱えきれないほどたんまりと買い込んでくる。二人はこの部屋に引っ越してきてまずCDと文庫本を解き放った。
しかし俺は今、6畳の部屋の隅でそのCDの群れをダンボールに詰め込んでいる。その中からなんとなく選んだメンデルスゾーンを聞きながら。
熱く重厚なメロディとヴァイオリン特有の細く切ない響きがもたらす計算ずくのアンマッチがあまりに耳に心地よくて思わず目を閉じ身体を揺らして陶酔してしまう。隣の4畳半で文庫本を仕舞っている奥さんにこの良さがわかるだろうか。
彼女の作業はさっきから一向にはかどっていない。覗き見ると本棚からダンボールまでのほんの一メートルの移動の間に文庫本の表紙が彼女の心を捉えて離さないようだ。どうしても一冊手にするごとにパラパラとページを繰らないと気がすまないらしい。ポテトチップスをそばに置いたらもうお終いだ。
今日中にある程度荷物の梱包を終わらせてしまい明日は朝からレンタルのトラックに積み込む予定なのだが、その梱包は大方俺の仕事になるだろう。まだまだ整理すべき荷物が部屋中に山ほどあるのを見て俺はため息をついた。
しかし奥さんを責めることは出来ない。彼女の気持ちは良く分かる。俺もジャケットの写真に懐かしさを掻き立てられてCDの整理が全くはかどっていないのだ。
ああ、このCDは俺たち夫婦がまだ付き合いだす前に俺が奥さんに貸してあげたものだ。不意に当時の互いに互いの好意に気付きつつも決定的な一言が言い出せずじまいの咽喉が痒くなるようなもどかしさや付き合い初めの頃に特有の全身が火照るような高揚感が胸に蘇ってきて俺は矢も盾もたまらず隣の部屋の奥さんに這いよりその背中に抱きついてしまった。そのまま後ろに引き倒す。なすがままの彼女の着ているものを一枚一枚はがしながら俺は考えた。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。ついこの間、荷物を全てダンボールから出して並べつくしたところだったのに。
事の始まりは引越してきた日の翌日だった。
坂道がきついのだ。一日の仕事を終え、疲れた身体を引きずるようにして歩き、ようやく我が部屋までこの角を曲がったらあと少しだというところまで来たときに俺の目の前に現れたのはだらだらと際限なく続く上り坂だった。サクラビルはその坂道の頂上付近にあった。俺は思わず座り込みたくなった。角度を数字で見ればたいした事のない坂なのかもしれないが厳しい肉体労働をしてきた後の俺の足腰には未開の秘境に続く峻峭たる山道に違いなかった。それでも愛する妻が待つ我が家に帰るには前に進むしかない。最後の力を振り絞りやっとの思いでドアにたどり着き奥さんの顔を見たときには思わず瞼を熱くしてすがりついてしまった。
高台にあるので見晴らしは絶景と岡本さんは言った。あのときは車で来たので何の苦痛もなくその眺望を堪能したが、若い夫婦にはまだ車がない。明日からの毎日の帰り道を想像すると俺はもう二度と部屋から出る気がしなくなった。確かに岡本さんの言葉は間違っていなかったが、もう少し言葉の意味の裏返しも視野に入れておくべきだった。部屋探しというのは奥の深いものだとそのとき初めて痛感した。
嫌なところが一つでもあると他のところもどんどん気に入らなくなってくる。それは男と女の間柄のことだけではない。この坂道の苦しさを知って以降この部屋、この建物には次から次へと問題点が見つかった。
道路からの騒音がないというのも間違いではなかった。確かに夜間の車の通りは全く気にならない。
しかしもっと身近なところに音源はあった。部屋と部屋との間の壁が薄く隣室の音が手にとるように聞こえてくるのだ。隣の202号の大学生風の住人は毎朝目覚まし代わりにタイマー予約でCDをかけているらしく決まった時間に結構なボリュームの音楽がかかる。こっちが夜遅くまで奥さんと愛を紡ぎあい気だるい遅寝を楽しむためにわざわざ目覚ましを解除しておくのにも関わらず、朝も早くから壁越しにハードロックの重低音が聞こえてきてはたまらない。
左隣の205号も性質が悪い。そこの住人はどういう仕事をしているのかさっぱり分からないが毎日深夜までパソコンのキーボードを叩いている。ときおり気に入らないことがあるらしく、何かを打ち付けたり、苦悩の罵声を吐いたりするのがこちらの耳に入ってくる。タイプの音も気になるがそれ以上にそのうめき声が何だか気味が悪い。三十がらみの男性であるということ以外全く生態が知れないのだが、そのうちニュースで凶悪犯として顔がテレビで流れるかもしれないと想像し身の危険すら感じてしまう。
隣の部屋の音が漏れ聞こえてくるということはこちらの音声も隣に知れ渡っている事になる。そう考えると何とも落ち着かない。夫婦間の喧嘩などあまりにたわいなく恥ずかしいので絶対に他人に聞かれたくないし、夜毎奏でる奥さんの切ない声は誰にも聞かせたくない。当の本人はその点についてはあっけらかんとしたもので、逆に「壁の向こうで誰かが耳をそばだてて聞いていると思うとちょっぴり身体が熱くなる」などと平気な顔で言っているが、夫の俺にしてみたらたまったものではない。想像のしすぎかもしれないが夜な夜な奥さんとの愛の語らいに耳をそばだてている隣の得体の知れない男が興奮して俺が外にいる間に押し入ってきたらと思うとおちおち仕事もしていられないのだ。
どこかの部屋から幼い子供の泣き声と叱りつける母親のヒステリックなわめきが毎日のように聞こえてくるのも気になる。ひどいときには子供をベランダに出して閉じ込めてしまうらしく子供が「お母さん、ごめんなさい!お母さん、ごめんなさいっ!」と泣き叫んでいるのを耳にする。他人の家庭に口出しするつもりはさらさらないが、ベランダで泣いている子供を想像すると聞いているこっちが悲しくなってくる。少なくともこれから子作りに励もうと考えている夫婦にとっては良い影響などありはしない。「私も母親になったらあんなにヒステリックになるのかしら」と不安げな奥さんを見たときに俺は再度の引越しということを初めて考えた。
気に入らないところはまだまだ止まらない。
広いベランダが東向きで日当たりの良さは文句の付けようがないが、ついてないときは本当についてないものだ。新しいマンションがサクラビルの東側に建つことになったのだ。それも十階建て。この部屋に引っ越してきたときに妙に広い更地があるなと思ってはいたのだが岡本さんが「駐車場になるようです」と言っていたので、まさかマンションが建つとは考えもしなかった。マンション建築予定の看板が立ったときに慌てて岡本さんに問い合わせてみたら「予定が変更になって十階建てのマンションが建つようです」と言われてしまった。岡本さんは本当に申し訳なさそうに謝ってくれたし、あくまで予定は未定であり決定ではないのだから変更は仕方ないとは思うがそれでもやっぱりやりきれない。十階建てのマンションが建ってしまったら二階にあるこの部屋のベランダから太陽は拝めるのだろうか。先日建築会社の人が「工事中は色々ご迷惑をおかけします」とデパートの包装紙で包んだタオルセットを持ってきたが、太陽が当たらないではこのタオルを洗っても乾かないじゃないか、と恨み言の一つも言いたくなる。
しかもその広いベランダに何故かしら鳩が寄ってくる。この鳩は害がなければ愛らしいとパン屑でも与えたい気持ちにもなるのだろうが、ベランダに糞をして汚しまくるから羽をむしって丸焼きにしたくなるほど憎らしい。干した布団に糞を落とされては動物愛護の精神もあったものではない。木の枝や針金などを集めて作られた巣らしきものをエアコンの室外機のそばに見つけたときは思わず背筋が寒くなった。鳩の雛の面倒など真っ平ごめんだ。
築年数もかなり重要な要素だと知った。このサクラビルは築年数が二十年になる。二十年も時を刻めばそれなりに古くなって当然だ。外観も内装もそれなりに年代を感じさせる。しかし重要なのは見た目ではない。二十年という年月が変えるのは外から目に見えるものだけではないのだ。
現代社会は二十年前と比べてはるかに便利になった。電化製品の多様化、情報機器の発展。部屋の中でできる事が実に増えた。特別な事をやろうと思っていたわけではない。ただ人並みに文化的な暮らしがしたかっただけなのだ。しかし二十年前の人並みと今の人並みは全く違うということをここで暮らすようになって痛感した。
食べ物を買ったら冷蔵庫に入れる。料理をするには電子レンジは不可欠だ。暑くなったら冷房、寒いときには暖房が当たり前。テレビを買ったらビデオも必要だ。コンポで音楽も聞きたい。時代はパソコンでインターネット。ネットオークションで掘り出し物を見つけるのが俺の趣味だ。
しかしこの部屋にはコンセントの絶対数が少なかった。従って危険とは知りつつたこ足配線にしてしまう。それでも限界があって、携帯電話の充電をするためにビデオデッキのプラグを抜いたり、炊飯中は電子レンジが使えなかったりという事態に陥ってしまう。
さあ外は寒いから暖房付けて音楽を聞きながらインターネットだ。今日はホットプレートで焼肉よ。……とは当然いかなくなる。ブレーカーが落ちる。熱を出すというのは非常に電力を食うようだ。この部屋は電力が足りない。我が家では焼肉が非常に危険な作業になってしまった。
つまり部屋の中にいくら文化的な機器を持ち込んでも部屋自体が二十年前では不具合が生じてしまうのだ。何を贅沢な事を、と言われるかもしれない。もちろん俺だってこれぐらいの手間を厭うからマンションを変えたいと言っているわけではない。奥さんも文句を言わずに順番を考えて効率よく料理をしてくれている。
しかし、とうとう俺たち夫婦はこの部屋を出る事を決心した。その決心を固めさせたのは水だった。
人間の身体は七割が水でできているという。それだけ人間にとって水は重要なのだ。しかしこの部屋の蛇口から出てくる水は質が悪い。臭いも強ければ味もまずい。
俺は朝目が覚めたらコップ一杯の水を飲むのが幼い頃からの習慣だ。冷水が寝ぼけた食道を通って胃にたどり着くと一日の始まりが来たと全身にスイッチが入る。その毎朝の儀式をこのまずい水で執り行うのは大変気分が悪い。その日一日どうも身体の切れが悪い気がする。だから俺はミネラルウォーターを買うようにした。不経済なことだとは思うが身体に大切な水だからこそ少しぐらい金を掛けても良いと思うことにした。しかし料理や風呂には水道水を使う。そこまでミネラルウォーターに頼っていてはいくらかかるか分からない。昨今都会の水は飲料用には適していないと言われたりもするが周りの人に聞いてみても料理にまでミネラルウォーターを使う人はいなかった。よって不承不承甘んじて水道水をそのまま使っていた。
異変に気がついたのは二十日ほど前だ。俺の目の周りや口角の辺りに湿疹ができているのだ。痒みも伴っている。
俺はすぐに近所の皮膚科に行ったが原因はわからないと言われた。とかく皮膚病は原因不明な事が多いらしいが俺の場合も血液を調べても何の異常も見当たらなかった。医師に何か心当たりはと尋ねられて俺はピンときた。水が悪いのだ。そう言えば風呂上りの頬に今まで感じた事のない肌のツッパリ感やかさつきを覚える。実家にいたときには感じた事のない違和感だった。奥さんに聞いてみると「最近髪がぱさつくようになった」と言う。自慢のストレートヘアーの手触りが良くないようだ。俺たち夫婦は試しに近くの銭湯に行ってみることにした。結果は案の定だった。風呂上りの肌に何の違和感もない。奥さんも髪の手触りが良さそうだ。俺は犯人を捜し当てた。
サクラビルは道路内の配水管から引き込んだ水道水を一度屋上の高架水槽にポンプで上げ、そこから重力で各部屋に水を供給している。銭湯と同じ水道水を使っているのに俺の部屋の水がまずいのはどうやら屋上の高架水槽や各部屋に繋がっている給水の管に原因があるようだった。
役所に聞いたりして調べてみるとどうしても高架水槽を使っているマンションは水の質が悪くなりやすいのだそうだ。しっかり清掃していないと高架水槽には猫や鼠などの死骸が浮いていたりすることもあるらしい。しかも高架水槽の清掃は役所への報告義務がなく大家任せというのが実情なのだ。
果たしてサクラビルの高架水槽は清掃がしっかり行われているのか疑問だった。もしかしたら俺たちは毎日鼠の死骸ジュースを飲んでいるのかもしれない。しかしそれを大家に尋ねるには少なからず勇気がいる。認めたくはないが俺は小心者だった。どうせ出て行くなら波風立てずに出て行きたい。奥さんも転居に同意してくれた。俺たちはこの三ヶ月間を良い経験ととらえすぐさま新しい引越し先を探し始めた。よく考えれば安さに惹かれてこのマンションにしたが夫婦共働きの今の生活水準から考えればもう少し高い家賃でも十分やっていけるのだ。今回のように引越しを繰り返すのは敷金礼金の無駄遣い以外の何ものでもない。
メンデルスゾーンのヴァイオリンが聞こえなくなっても当然荷造りは一向に進んでいない。半裸でうとうとまどろんでいた俺は窓に目を向けた。もう日は暮れている。今日の夜は出前で済ませることにしよう。
俺はすっかり眠り込んでいる奥さんを起こさないように服を着て出前してくれそうな近くのそば屋やラーメン屋を電話帳で探しながらふと考えた。他の住人は出て行くつもりはないのだろうか。このマンションは十五部屋あるが半分以上は埋まっている。みんな自分の部屋に文句はないのだろうか。隣の202号の大学生ぐらいには早く引っ越すように忠告してやろうか。
そう言えばこうやって引っ越す段になっても彼の名前は知らないままだ。待てよ。隣どころかマンションの住人誰一人として名前を知らない気がする。よくよく考えると一つ屋根の下に暮らしながら挨拶もほとんどしたことがないではないか。
次のマンションでもそんな薄ら寒い近所付き合いをしていくのだろうか。そう考えるとどうも物寂しい気持ちになってしまう。面倒なことなのかもしれないが、それでも壁一枚向こうに住んでいる人の名前も知らないのは異常なことのように思えてくる。
早く郊外に一軒家を持とう。一軒家なら壁の向こうにこんなに気を使わなくても済むのだ。それには金が要る。そう思うとやっぱり普段の買い物は何でも安いものが良い。おっ、このラーメン屋は安そうだ。
「もしもし、ラーメンと餃子を二人前ずつお願いしたいんですけど。え?今日は二割引?じゃあラーメンはチャーシュー麺にしてください。あとチャーハンと青菜炒めも付けて」
届いた出前を目の前にして俺はやっぱり後悔していた。
チャーシューは脂身ばっかりだ。チャーハンも妙にべたべたしている。餃子も青菜炒めもとても美味いとは言えない。良く考えたら奥さんは小食だからこんなには食べきれない。少しぐらい高くても美味しいものを出す店にするべきだった。安さに釣られて何でもかんでも頼むんじゃなかった。やっぱりこの性格は全然変わってはいないようだ。