ジャージ
緑山凛香は味噌汁の匂いにつられるように目を覚ましたが、すぐには身体を起こさずに、幾度か瞼を開閉させて、最後の仕上げと言わんばかりにぎゅっと押さえつけて、カッと勢いよく開き、えいやっと気合の言葉を発しながら上半身を起こし、足をベッドから下ろして立ち上がった。
今日もいい天気だ。
カーテンを開けて窓越しに日光を浴びること、十分。
部屋の中央の壁にかけられていたジャージを取って、着替える前にまじまじと見る。
弟である珊瑚がアイロンをかけてくれているおかげで皺ひとつないジャージ。
烏天狗の神路のようにスーツならいざ知らず、ジャージだからいいのにと何度言っても、服はアイロンをかけた方が着心地がいいからと言って聞かない。
心苦しいが家事は全般任せているのだ。
少しでも楽にやってほしいと思うのだが、珊瑚はなんでもきっちしこなしてしまう。
部屋や玄関、風呂、庭掃除、洗濯、アイロンがけ、服をハンガーにかけて各部屋に運ぶ、買い物、ご飯作り、食器洗い、食器拭き、食器直し、庭づくり、その他もろもろ。
その合間に神路の仕事の手伝いでパソコンとにらめっこ。
こちとら薬草探しに奔走するだけ。
(………お姉ちゃんなのに)
小さい頃、両親に捨てられた時も泣いてばっかり。
その前から泣いてばっかり。
今も陰でこっそり泣いてばっかり。
(お姉ちゃんなのに)
姉ならば家事全般は率先すべきなのに何をやらせてもごっちゃごっちゃパリンバリン。
洗う時だけなのだ。
ご飯を食べている時は普通に持てるし。
ご飯を食べている時は。
ぐりゅるるるるる。
盛大な腹の音に押されるように、丁寧にジャージを着て、扉を開けて、階段を豪快に下りる。
「おはよう。珊瑚」
「おはよう」
「おはようございます」
「おーう」
階段のすぐそば、廊下越しにある暖簾をくぐり台所兼食事場に入った凛香は、台所に立つ珊瑚、テーブルに新聞を広げて読む神路と、見慣れた朝の光景に加わっている異色の姿を見て首を傾げた。
「え?なんで起きてんだ?」
「味噌汁のにおいにつられて」
「いつもは起きないじゃん」
「今日だけ特別」
「いつも起きろ。珊瑚より早く起きて朝食を作れ」
神路に睨まれた九尾の妖狐である梨響はテーブルに片頬をつけた状態で、むりでーすとだらけた口調で言った。
「このごくつぶしが」
「しんがーい。パチンコで稼いだ金をおさめてまーす」
「パチンコをするくらいなら俺の手伝いをしろ」
「えーやだー。そんなかたっくるしいスーツ着てー。あっちこっち保護するやつに連れ回されるんだろー。むりー。むりむり。なあー。そう思うだろー。凛香」
「やってみればいいじゃん」
「ジャージ仲間になんてご無体な」
よよよと泣き崩れる梨響に呆れる神路と凛香。
冷たい視線を向けられた梨響は喜朗、立花と祖父母の名を呼んだかと思えば、空に向かってこいつらひどいと言い始めた。
梨響、神路は霊を呼び寄せることができるらしく、また、珊瑚も祖父母限定でできて、家事や庭づくりの相談をしているらしい。
(俺だってじいちゃんばあちゃんに会いたいのになー)
じんわりと涙が浮かび上がった凛香は、まずいと目をかっぴらいて席に座り、珊瑚に朝食をねだって、涙を強引に引っ込ませたのであった。
(2021.12.16)






