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聖女と悪魔  作者: 後悔の亡霊
1/3

聖女の話 上

一話が大変長くなっておりますので、お読みになる際は気をつけて。

本には、何者かが息づいている。作者でも、読者でも、誰かの思い入れでもなんでもない。それは、書き綴られた物語の命である。本当に実在したか、はたまた現実ではない物語なのかもしれない。しかし、強い力を持った本は「禁書」または「禁術書」と言われ、何者かが本に封印されている。

国中の禁書は一箇所に集められ、忍び込もうなどということも出来ぬほどの厳重な警戒態勢を敷かれ、、神が創り出したと言われるその封印方法により封印された者も中から突破出来ない。国の宝物庫と同じくらい、況やそれ以上の厳重な体制が敷かれていた。



聖女マリア・ルクーブルは実の妹によって禁書所持、武器の流通、国家反逆の嫌疑をかけられていた。

国への尽力を認められ、その才能を認められ、聖女と呼ばれる姉を見て妹がどう思うか。素晴らしい姉を持ったと喜ぶに違いない。そう思う者もいるだろう。しかし、聖人君子を快く思わない者がいるように、彼女の妹もまた姉を妬んでいた。

聖女に次ぐ、しかしながら二番手だからと評価を怠り、その上姉と比べ続けた両親にも非があるだろう。

もちろん、これは全くのでっち上げであり聖女は至って潔白であったが、民衆は風が吹けばそちらへたなびく阿呆であった。妹だけでなく幾人もの聖女へ恨みを持つ者たちが集い、策謀を張り巡らせたのだ。


裁判の結果、余りに魔力がありすぎるマリア・ルクーブルは危険人物として、地下の禁書保管書庫で厳重な封印をされた。聖女としての名声は呆気なく失墜した。


さて、マリア・ルクーブルは真っ暗な空間に封印されていた。魔力のある者は悪魔、天使、人、奇跡、種類を問わずに禁術書に封印され、今やマリアもその一冊となっていた。


自分の中に溢れる才能と魔力、スキルを最大限まで活用し、この封印を何とか解こうと尽力している。妹や両親の事も心配に思ったが、それよりも国内で増加しつつある魔物達がマリアには恐ろしかった。魔物達はマリアの敵では無かったが、マリアなき今、王国だけの戦力で増えつつある彼等を抑え込むことなど出来ないだろう、と。


幸いにもその空間では唯一思考が許されていたので、マリアは幾重にも試行錯誤を繰り返し、新たな魔法を考えては片っ端から試していった。

手応えは感じてもやはり封印はビクともせず、一体どれほどの時間が経ったかも分からなくなった。昼も来ず、夜も来ない。そんな中ずっと独りで気が狂いそうになりながらも、封印突破という目標だけを頼りに正気を保っていた。


気が遠くなるような時間の末、本来誰も入り込めないはずの封印空間の思考の中に漆黒の影が現れた。

真っ暗闇の中でもひときわ暗く、この地の奥底の、全く光の届かない所から来た何者かに思えた。

影は特徴的な角があり、山羊の上半身をしているらしかったが、その下半身はうねり、魚か蛇か、分からぬものとして周囲へ輪郭をぼかしていた。

聖女として魔法を極めてきたマリアは、彼等に会ったこと等無かったが、それでも目の前の影から迸る奇妙な魔力からそれが悪魔である事を理解した。


「どうして悪魔なんかが私の封印空間に居るのですか。禁書への封印は中から破ることも出来なければ、外から侵入する事も不可能なはず」


マリアはその悪魔の目を見つける事が出来なかったが、悪魔がこちらをじっと見ているのを感じていた。


「オイラよォ」悪魔が言った。「オイラ、神様から何の才能も貰えなかったからこんな封印破るのに六百年もかかっちまったんだ。その分あんたはすげぇよ。人間だってのに、あと三十年もありゃ封印壊せそうに見えるぜ」


マリアは焦った。一体どれ程時間が経ったか把握出来ていないというのに、ここから後三十年もかかるというのだ。あんな状態で三十年もしたら……考えるだけでも恐ろしい。

それに、神の創った封印術を破れるような悪魔が野放しになったら、王国はひとたまりもないであろうことくらい明々白々であった。

そんなマリアを見透かすように悪魔は言った。その声は欲しい餌が目の前にある犬のように獰猛に、ともすれば涎が飛んできそうな様子だった。


「でもなぁ、あんた今すぐにでもここから出なきゃいけないんだろう?オイラ、優しいからさ。この封印も壊してやるよ」


「悪魔は対価を求めるもの。一体、私に何を求めるというのですか」


「そうさねぇ。お前は特別だ。血だよ。お前さんの血が欲しい。あぁ、全部じゃなくても良いんだ。死なない程度。でも、それじゃやっぱり足りないからお前さんの血縁者からも血を貰いたいなぁ。オイラはそれで十分だ」


これほどの悪魔が死なない程度の血だけ十分だと言ったのが信じられず、マリアは聞き返した。


「血?血液だけですか?魂や体を奪うものではないのですか」


「あぁ、それ以上でもそれ以下でもない。言ったろ、オイラは優しいって。それに、あの魂はもう持ってるんだ…」


悪魔の言葉は何かを慈しむような、懐かしがるような声色だった。


「そうだ、封印を解いてやった後、オイラの存在が怖いって思ってるろう?何かを対価をくれるなら、オイラはお前に付き従ってやってもいい。なんでも言うことをきくぜ?」


「やっぱり魂が欲しいのですね。封印を破る契約は出来ますが、魂は渡せません」


「つれないこと言うなよ、魂じゃなくていい。髪でも、目でも、お前の美しさでも、はたまたお前さんに濡れ衣を着せた妹の『生』でもいい」


どうやら悪魔はマリアに執心のようで、ならばとマリアは髪を対価に悪魔と契約した。本当にこんな対価で大丈夫なのか、どこかに落とし穴があって自分は貶められているのでは無いかという疑念が渦巻いていた。


「契約成立だ。対価を払うのは生きてる間だったらいつだって良い。けど、オイラはあんまり待てない性分でね。早くしてくれると助かるよ」


そう言うと悪魔の影は上へ上へと昇っていき、一瞬遅れて世界が揺れたように感じると、マリアの腕や足、顔に冷たい感触があたった。それは禁術書保管書庫の、石畳の触感であった。冷たい石に体温を奪われそうになったので、マリアは慌てて立ち上がった。一切の明かりが無く真っ暗闇だったので、マリアはすぐさま魔法を唱えた。


「トーチ」


光の松明が浮かび上がり、部屋全体の様子が浮かび上がる。風が一切ないのでもっと狭い部屋かと思っていたが、本棚がどこまでも伸びており、魔力が澱んでいた。奥から闇の化身が這い出してきそうな迫力に、マリアは顔を背けた。


足元にはマリアを封印したものと思われる禁書が、頁を撒き散らして破れていた。五つ隣の本棚から、似たような感じでマリアのよりも大きい本が一冊バラけている。


ふと、視界の隅に一人の女が立っていることに気付き、マリアは警戒した。せっかく復活出来たというのに警備の者が居たのか。

どう言い訳しようかと目を回すマリアに女は近づいた。影の中からぬっと顔が浮かび上がる。美しく、可憐で、質素な服を着ていたものの、その周囲に滲む魔力は独特のものだった。


「オイラだよ、オイラ。今しがた封印を解いてやったんだ、感謝しろよな」


女だったのかという一瞬の驚きの後、しばしの安堵を感じ、そうすると今度はよくも驚かせやがったなという理不尽な怒りが込み上げてきた。


「対価を支払うのですから、当然の仕事でしょう」


それを聞いた悪魔は顔を顰め、「やっぱりそんなもんだよな」と呟いた。




禁書庫を護っていた大柄のホムンクルスを、マリアは抵抗も許さずに首をはねた。


「なんだい、今の魔法。最近の魔法は物騒さね」


悪魔は楽しそうに、しかし、顔に陰りを見せながら哄笑した。


「黙りなさい。ひとまず王城から抜け出すまでは」


悪魔は意地悪そうににやけ、マリアの後ろをずっと歩いていた。

外も真夜中だったのに安堵し、マリアは警備の穴をつき、聖女だった頃に身につけた土地感により呆気なく王城を脱出した。


マリアが封印されてから何年が経っているかは分からないが、彼女の顔は有名である。何とか顔を隠せる程大きなフードのある服を買わなければいけなかったが、その時には顔がバレてしまう。

聖女時代のマリアは余りに有名過ぎ、今になって昔の自分を疎ましく思った。


「じゃあ、オイラが買ってきてやろうか。金子くらい、いくらでも作り出せるし。それに、契約がある以上このまま逃げ出せねぇし」


「……ありがとう」


「なんだ、感謝もできないやつだと思ってたけど、できたのか」


「はぁ?人をなんだと思ってるのよ」


久しぶりに誰かと話した感覚は新鮮で、少し自分を制することが出来ずに変な物言いになってしまい、マリアは顔を赤くした。

しかし、落ち着いてよく見ると悪魔の顔はマリアによく似ていた。ほっそりとしてよく通っている鼻筋、大きな瞳、ふっくらと小さく結ばれた唇。目と髪の色が違うだけにも思われるほど、鏡の中のマリアにそっくりであった。


「というか、あなた私の容姿を真似してるんだったら結局は良くないんじゃないかしら」


マリアが尋ねると、悪魔はあからさまに嫌そうな顔をした。


「この顔はお前の顔じゃねぇよ。昔の人間の顔だ。だから別にいいだろ」


そう言うや否や悪魔は歩き去ってしまった。悪魔を待っている間、マリアは色々なことを考えた。

短い時間ながらも悪魔が見せる不可解な表情。悪魔なのに、対価が軽すぎること。「お前は特別だ」と言ったその真意。悪魔の顔と私の顔が似ている事。これからどうしようかということ。そして―――悪魔の気分を害してしまったんじゃないかという罪悪感。


かぶりをふって、なんであんな奴に感情移入をしているのだ仮にも私は聖女だと言うのに悪魔の力に頼るなど、と自分を叱責した。


路地の隙間でぼんやりと悪魔を待っていると、自分の存在が闇夜に溶けていくように感じた。







夜中だというのに魔物が襲撃をかけていた。老兵ロードは流石に荷が重過ぎると笑った。

彼はもう三十年も騎士団長として騎士団をまとめてきた。しかし、新聖女アルカの命により騎士団長は振り回され、最善を尽くしたといえど若人達は倒れていった。

次期騎士団長と期待された若者も、狼の魔人と戦い倒れた。

騎士団は疲労困憊で、とはいえ聖女もいっぱいいっぱいであり、治療もまともに受けられずに戦場に出る事が多くなっている。


大元を叩こうにも、こうも頻繁に王都を攻められればこちらから攻撃するのもままならない。


眼前に広がる魔物の群れは憎き狼の魔人と、その配下であった。騎士団が最盛期の時でも苦戦は免れられぬ強敵。

今、ロードはいかにダメージを与えるかという事しか考えていなかった。最悪、騎士団が全滅しても、手負いならあの聖女でもトドメをさせる。もっとも、それ以降の国防など考えるだけ無駄だろうとロードは嘲った。


あの聖女を封印してしまったのは惜しい事だ。禁書を使えば或いは―――しかし、禁書は諸刃の剣。他者の力は他者の力に過ぎず、ともすれば封印が解け、新たな脅威が生まれることとなる。


ロードはこの戦が最後になるだろうと腹を括り、先陣をきった。


「街中へは一歩たりとも入らせんぞ!突撃!」


ロードに続いて騎士達が狼の群れに突っ込む。首に、手に、脚に食らいつこうとする狼共を剣で切り払いながら大将へと進軍する。途中及ばなかった騎士はそのまま集られ、鎧の隙間という隙間から肉を全て引きずり出され、戦場には叫び声と鉄っぽい臭いが充満した。

今狼の群れに飲み込まれた赤髪の青年は、妹が生まれたばかりだと喜んでいた。

一瞬の油断を突かれ、押し倒されそうになったロードを庇い血を撒いた男は兵役が終わればパン屋を開くつもりなのだと笑っていた。

倒れた騎士達には、それぞれがそれぞれの人生があった。しかし、それが潰えていくのを嘆く暇などなく老兵は吼えた。


その様子を狼の魔人はじっと見ていた。目の前に老兵が辿り着いて始めて、楽しそうに顔を歪ませた。


「人間にしては年老いている方だと見えるが、こんな奴が一番動きが良いとはな。お前がこの軍の将か」


「我が名はロード・ルージャ。この国の守護者にして騎士団団長なり。ここでお前を討つ」


そう言うや、ロードは剣を両手に持ち替え力の限り叩きつけた。魔人は後ろに半歩下がり避けたが、鼻先を斬られ苦痛に顔を歪ませた。

ロードは身を無理に捻り次々と全体重をかけた一撃を繰り出していく。


「なるほど、お前が若ければ俺ではここを落とせなかったろうに。だが、戦場にたらればは無い」


魔人の爪がロードに向かう。ロードはそれを思いっきり弾き返し、爪を折る勢いで叩きつけた。しかし、ヒビが入るに留り、逆に吹き飛ばされてしまう。すぐさま集まってくる狼を切り伏せながら立ち上がり、再び魔人に目を向ける。


「弱い。聖女はもっと強いのか。だが、騎士団長がこんなのではたかが知れよう。俺では適わなくても、狼共に襲わせれば押し切れるに違いない」


狼の魔人は戦闘中だと言うのに、次の敵の事を考え笑う。魔人はこの国は落とせるという強い確信を持っていた。


暗闇のせいでロードは目測を誤り、頭の端と耳とを魔人の爪に刈り取られた。その衝撃は凄まじく、体が捻って地面にぶつかり、数センチ程跳ねた。


血を吐き、少ししか傷を負っていない魔人を睨みつけた。魔人は勝利を確信し、勿体ぶりながら爪を振り下ろした。





甲高い音が鳴り、ロードは自分の命がまだ続いている事に困惑した。一瞬遅れて痛みが和らぎ傷が塞がっていく。


この暖かい感覚は―――


「ロード様、大丈夫ですか!」


灰色のフードを深々と被った少女が駆け寄ってきた。「危険だ逃げろ」等とロードは言わない。目の前少女こそが魔法障壁で自分を助け、回復魔法をかけてくれた人だと理解したからだ。

しかし、かけられた回復魔法に、どことなく懐かしさを感じ取ったロードは戸惑いながら尋ねた。


「君は――」


「あ、ぇ、えーっと、名乗る程の者ではありません。旅の冒険者です」


その質問には疑問が残るが、先程から攻撃の手を止めていた魔人と狼に視線を向き直し、ロードはぎょっとした。


暗く光る鎖によって、全てが絡め取られていたのだ。


後ろを振り向くと見知らぬ女が一人、地に膝をつき胸の前で両手の指を結んで祈るように魔法を詠唱していた。


「安心してください、彼女は私の仲間です。今のうちに片付けましょう」


ローブの少女はアルカを思わせるような大規模な炎魔法で狼達を焼き払い、見たことも聞いた事もない魔法により、動けない狼の魔人の首を一撃で跳ね飛ばした。


あまりに一瞬の事で、ロードは初めて魔法を見た子供のような間の抜けた顔をしていた。


狼達に生き残りがなくなったのを確認し、ローブの少女が合図をすると鎖は夜闇の奥へ引き下がっていった。


「ありがとう、君達は」


「すみません、今は他の生き残りの方の治療が優先です」


そういうと女は駆け出して行った。鎖を出していたと思われる女を見ると、魔人の前に跪き、先程と同じ姿勢で何かを祈っていた。

ロードは確認を取るためにもその女に話しかけた。


「ありがとう、助かった。何をしているんだい?」


「ん、こいつの武勲が、報われるように祈ってた」


振り向いた女は美しく、質素ではあるが刺繍が端に施された、聖職者のような装いをしていた。海のように青い瞳と絹のように真っ白な髪が彼女の神聖さをより引き立て、ロードは在りし日のマリアを思い出した。

口をついて「マリア様なのですか」と尋ねそうになったが、法廷にて何も言えなかった自分がが今更何をと自嘲した。それに、髪も目の色も違うし、マリアなら魔物に祈るような背信者のような事をしない。


邪教崇拝者か。厄介なやつだとロードは少し肩を落とした。しかしながら、命の恩人であることには違いなく、とても嬉しそうに微笑んでみせた。


「そうか、だが、本当に助かったよ。君達は何者だね?先程の少女は冒険者と名乗っていたが、これほどの魔法を使う冒険者で無名だと言うのは聞いたことが無い。それに、彼女は私の名前を知っていた」


女はゆっくりと立ち上がり、膝についた魔人の血を払った。


「知らねぇよ。あいつ、冒険者じゃねぇし。けど、もしかしたら明日登録しようとしてたんじゃねぇの。それに、あんたこの国の守護者なんだろ?皆名前くらい知ってるさ」


「仲間じゃないのか」


「仲間…なのかね…いや、ビジネスパートナーってやつかな。報酬をくれるからご主人に付き従ってるだけだ」


「君は宗教者じゃないのかね」


真なる宗教者は対価を求めない。それは、邪教崇拝者だとしてもだ。彼女の行動や装いは宗教者のそれであり、違和感を覚えたロードはそう尋ねずにはいられなかった。


「別にオイラは宗教者じゃねぇよ。ただの…阿呆さね」


女はその美しい顔に似合わず、手を頭の横で3回まわし、ぱっと開いた。


掴み所がなく、暖簾でも押しているような気分になった。口調も随分と容姿に似合わず、何者なのか全く予想がつかない。

考え込んでいるロードに、女が話しかけた。


「…なぁ、オイラ馬鹿だからわかんねぇんだけどよ、なんでお前は魔物を嫌悪するんだ?オイラのご主人も魔物を見たらすぐ飛んでいって、あんな惨い殺し方をしたんだ。なんでなんだ?」


女は天衣無縫に疑問に思ったようで、何も知らぬ少女のように首を傾げた。


「家族を、仲間を殺されたのだ。奴ら我らを殺し、奪い、そしてそれには何の意味もないのだ。その理不尽に憤り、嫌悪し、復讐しようと企むのは人の常であろう」


すると女は魔人の首を拾い上げた。


「オイラ、人の考えている事が分かるんだァ。でもよ、なんでそう考えるのかが分かんねぇんだ。この魔人もな、家族が居るんだ」


「は?」


「そうだねぇ、兄が一人、息子が2人、娘が一人。妻は……さっきの炎で死んだ」


「何を言っている」


「親玉が別にいて、そいつからいい報酬を貰ってるから、家族が裕福に暮らせるように前線で戦っていた。こいつの親父は人間に殺されたって事もあって、こいつ自身人間を恨んでいたようだぜ」


女は純新無垢に、しかしその口の笑みは私の信念を飲み込もうとするかのように開いた。


「守護者ロードは敵にも情けをかける立派な人間だとご主人は言ってた。じゃあさ、家族がいて、そのために体を張って最前線で戦って、使命のために必死に頑張ってたこいつとお前、何が違うんだ?教えてくれよ。容姿か?優劣か?それとも若干の価値観の相違か?」


捲し立てるように女は目を大きくして質問を繋げる。その瞳は真っ直ぐに心を見つめられているような気分にさせた。

何か途方もない重量の物で頭をがつんと打ち付けられたような感覚に、半ばよろめくようにしてロードは半歩後ずさった。


女は狼の魔人の、どんよりと開かれた眼の瞼をそっと下ろした。

その顔は子供をあやしているかのような穏やかな顔だった。

得体の知れぬ何かがロードを四方八方から襲い、耐えかね、しかしその目は女から離れられなかった。

或いはそれは、何かの呪いかのように―――



「おまたせしてすみません。ロード様。先を急いでいるのですが……報告書を書かねばならないのですよね」


先程の少女が声をかけてくれ、ロードの意識は現実に戻った。途端、肉の焼け焦げる臭いと魔物や騎士の血の匂いが入り交じった悪臭が鼻をついた。



「あ、あぁ。話が早くて助かるよ。先程、冒険者だと言っていたが身分証明書はあるか?」


「あぁ…持って、無いです。でも、明日冒険者として登録しようと思っていたので口をついてそう言ってしまったのです!信じてください」


「まぁ…構わんよ。命の恩人だ。多少のことには目を瞑ろう。さて、君達はどこから来た?何者だ?何故我らに加勢してくれた?」


ロードの質問は基本的な事であったが、そこを考えてきていなかったマリアには、難しい質問であった。絞り出すようにしてマリアは言った。


「遠く、そう、ナルメリルアの国から旅をしているのです。今までは冒険者では無かったのですが、路銀が尽きてしまい、王都で登録をしようと思ったのです。そしたら何やら魔物と戦っていたので加勢したのです」


「そうか、謝礼は――」


「結構ですよ。私達は好き好んで加勢したのですから。それに、今この国はそれどころでは無いはずです」


「かたじけない」


話が一旦途切れ、ロードはやはり聞き覚えがあるその声に目星をつけた。


「すみません、旅の方。あなたは…いや、信じ難いが……マリア様では無いでしょうか?そう言えば名前を聞いていませんでした。しかし、あの回復魔法。人を見たらすぐ助けに入る行動力。そして、あの出鱈目な威力の魔法。二人と居るはずがありません。マリア様なのでしょう?」


ロードは目尻の皺をくっとよせ、今にも泣き出しそうな顔で言った。体を震わせ、フードに手をかけようとし―――


マリアはさっと引き下がった。


「確かに私の名前はマリアですが、あなたの知っているマリアとは別人でしょう。急ぎの用があるのです。すみませんが、私はこれで。行くよ」


そう言うとマリアは悪魔の腕を掴み、乱暴に歩き去っていった。しかしながらロードはあの少女はマリアだと確信し、心の中を懐かしみと希望でいっぱいにしていた。

その日、ロードは久しぶりに良い夢を朝までたっぷり楽しむことが出来た。

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