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妖 ~あやかし~  作者: 津神 龍亜
京都妖怪地図
9/9

後日談-そして時は動き出す-

 それはまさに、『ひねもすのたり春の海』を地で行く光景だった。いや、場所を考えさえしなければ、なのだろうが。まだ肌寒さを感じる空気の中、朝っぱらのうららかな日差しが肌に心地よい。


 ここは京都府警、捜査1課の部屋。人影のまばらな、だだっ広い部屋に島を作って並んだ机の一つで、梅小路は大きくあくびをした。分厚い肩をすくめ、コキコキと音を鳴らす。

 と、それを見て、ちょうど部屋に入ってきた野口が、いぶかしげに尋ねかけてきた。

「おや、どうなさったんですか警部。勤務明けでお帰りになったとばかり思ってましたが」

「ん、ああ、監察医の小泉女史から電話があってな。あン人が来るのを待ってんだ」


 勤務明けで疲れた顔に浮いた無精髭を、ごしごしとこする。見るに見かねて野口は、自分の机から探し出した髭剃りを、梅小路に放った。

「女性に会うんですから、せめてその髭は剃るのが、身だしなみってものです。いくらしとやかさと無縁の人とはいえ、女史はあれでも妙齢の女性です。で、何の用なんですか?」

「知らん」


 ばりばりと音を立てて無精髭を剃りながら、梅小路は続ける。

「言うだけ言ったら、さっさと切っちまいやがった」

「あの人らしいですねぇ」

「頭も切れる、勘も良い、仕事は出来る。女医なんぞにしとくのは惜しい人ではあるんだが、どうもあの人は、人使いが荒くていかん」

「警部にそれを言われるようじゃ、おしまいですね。ま、確かにあれじゃ、いくら美人だと言っても、男は怖がって近付かないでしょうが」


 いい加減煮詰っているコーヒー・サーバーから、野口はカップにコーヒーを注ぎ分ける。差出されたそれを受取りながら、梅小路はぼそっとつぶやいた。

「旧家の一人娘だってのに、いまだに婿の来手が無いのは、絶対にそのせいだぞ」

「ま、ご当人も結婚する気は無いようですしね」

「良い事だ。世の中にこれ以上、不幸な男を増やして貰っては困る」

 実は当人もそれなりの旧家の出で、見合いで結婚した女医の女房と別居中だという梅小路の言葉には、実に切実な響きがあった。


 二人して、眠気覚しのコーヒーを、砂糖もミルクも無しにすする。煮詰ったそれがおいしかろうはずも無く、一口飲む度に口がへの字に曲る所からしても、味の想像が付いてしまう。

 コーヒーを飲み終ったカップを、梅小路が半ば八つ当りのようにゴミ箱に放り込んだちょうどその時、部屋のドアが開き、部屋の雰囲気とは場違いな女性が姿を現した。梅小路の姿を認めて彼女は、ニコッと笑いかける。


「ごめんなさいね、いきなりで。お忙しかったかしら?」

「気にせんでください。ここんところ大きなヤマも無いんで、うちの班も結構暇ですから」

 先ほどまでの話もなんのその、いたって愛想良く返事した梅小路は、女史の後ろに続く小柄な人影に気づいた。


「その人は・・・」

 どことなく見覚えのあるその姿に、記憶の中を引っかき回す。ようやくその人物が何者か思い出した梅小路は、ハタと膝を叩いた。

「あんたはあの時の」

 初老の男は、深々と礼をする。


「その節はお世話になりました」

「いや、まぁその、先生も災難でしたな」

 記憶にあったより更に一回り小さくなってしまったような沼田の姿に、梅小路は掛ける言葉を失った。

 肩が落ちた沼田の姿は、哀愁すら漂わせている。


「私は今だ信じられんのです、彼が、火浦君が・・・」

 絶句して立ち尽す沼田に手近な椅子を勧めながら、梅小路は慰めの言葉を口にした。

「私も信じられませんよ。いや、頑固ではありましたが、ごく普通の青年に思えたんですがねぇ」

「悪い夢だと思いたいのです。研究室に足を踏み入れる度に、何事も無かったかのごとくに彼が座っていて、『先生、どうかなさったんですか』と言ってくれるのでは無かろうかと・・・」

「わかります、履歴学歴は愚か、戸籍の類いまで一切、デタラメだったんですからねぇ。とてもそういうタイプの人間には見えませんでしたが」


 果してこの2人は、互いの話が全くかみ合ってない事に気がついているのだろうかと、居合せた野口は老婆心ながら心配してしまった。事のついでに、気になっていた事を尋ねてみる。

「ちょいとよろしいですか、警部」

「ん?」

「あの、どういうお知合いなんですか、小泉女史とそちらの先生」

 野口の言葉に梅小路もまた、そういやそうだと言いたげな表情をする。それを見て、庶務の女性事務官が入れてくれたお茶を飲んでいた小泉は、ニッコリと笑った。


「ほら、鞍馬山の変死事件、あれが気になって『化野(あだしの)の鬼』の事を調べてたのよね。その時に、説話や古い日記文学に詳しい方、という事で、とある人物に紹介されたの」

「化野の鬼、ですか・・・?」

「そ。で、どうしても一度、こちらにご挨拶にうかがいたいとおっしゃるものだから、ご案内したの」


「で、何かわかりましたかなその『化野の鬼』とやらのことは」

 梅小路の眉が、ヒョイッと上がる。そんな物が存在して居ては迷惑だと思いながら、頭から否定する訳にも行かない事情があり、言葉が曖昧になる。なにより、あの一連の事件は、そんな物でも無ければ起せないような事件だった。


「知合いに、この手の事を専門に研究しているのが居てね、それに聞いてみたのよ。そうしたら、『化野の鬼』に関しては、平安後期の頭の頃まで文献でさかのぼれるはずだって言うのよね。ただ、自分はあの時代の事はあまり詳しくないからといって、こちらの先生を紹介してくれたの」

「私も、このご婦人から話を聞いて、思い当る物がありましてな。資料としての信頼度が落ちるとされていて、あまり引用されることの無い上に、原本が散逸して写本の、しかも断片しか残っていない文献なのですが、平安時代の末期に、当時民間に流布していた噂話を集めて作られた、霊異伝というものがありましてな。その中に、『化野の鬼』について書かれた部分が、幾つかあるのですよ」


 いかにも学者然とした沼田の、淡々と話す言葉に、思わず梅小路と野口は身を乗出す。

「天候を自由に操るとか、雲に乗って空を飛ぶとか、色々と記述があるのですが、その中に、大変な美男の姿で都に現れ、評判の美女ばかり狙ってその生気を吸取る、という部分がありましてな。それによると、犠牲者の中には、衰弱死したり白蝋化したりした者も居たとか」


 その言葉に、梅小路の目つきが変る。

「で、先生。その正体については、書かれてましたか?」

「いえ、残念ながら。ただ、他の本で面白い記述を見つけました。平安中期末のとある公卿の日記なのですが、ある日の欄に『左大臣雅実卿の息 尊少将改め尊参議、一夜にして鬼と変じ、光と化して化野の方へと消ゆ。あな恐ろしや』とあるのです。これは結構都で話題になった話らしく、他にも何人かが同様の事を書いておりました」

「またそれはうさん臭い事を・・・」


「いえいえ、当時の公卿の日記というのは、儀式の手控えなどの用途で、何かあったら提出する為のものですからな。他人に読まれる事前提で書かれておりますので、そうそう怪しい内容は書かんはずなのですよ」

「ほう、で、その尊参議とやらが『鬼』と化した理由というのも、わかりましたかな」

 いかにも、与太話に相づちを打つのりで、梅小路は尋ね返す。

「尊参議というのは通り名で、本名は源雅通なのですが、どうやら、詩歌管弦に優れ、蹴鞠の上手で毛並も上々、という事から、先行き有望な公達として、娘の婿にと言う話が引きも切らなかったようでしてな」


 沼田の言葉の後を、スッと小泉女史が引取る。

「中でも熱心だったのが、時の右大将 藤原の頼実。ところが、少将には恋人が居てね、右大将家の姫君には鼻もひっかけなかったそうなの。で、頭にきた右大将が、そいつさえいなければとばかりに、少将の最愛の人をバッサリとやっちゃったのよ」

「少将?」

「少将が参議に昇進したのは、『鬼』に変じるきっかけとなった事件の直前なのよ。だから、この話をするに当っては便宜上、少将と呼ばせて貰うわ」

「ふむ、なんか面倒くさい話ですな。にしても、邪魔者は消せ、ですか。今も昔も、やる事は変りませんな」


「違う所といったら、今の人間は鬼になるほどの根性は無いという事かしらね。なんせ、右大将家はその後、当の右大将を初め、変死者や病人が続出して、程なくして絶えちゃったそうだから」

「そりゃまた何というか。でも、それだけ思われてたんだから、その殺された恋人ってのも、果報者ですよね」

 どうやらこの野口という男、商売柄に似合わず結構ロマンチックな所もあるらしい。

「けど、だったらどうして、その人を奥さんにしなかったんでしょうか。身分低かったんですかね」


「確かに身分も低かったようだけど、それ以前な問題がねぇ・・・。少将の最愛の人ってば、どうやら男だったみたいなのよねぇ」

 一瞬、全員が沈黙する。それを破った梅小路の越えは、苦々しげだった。

「なんだ、そいつは化物になる前から変態だったのか」

「変態は無いでしょ。別に、あの頃はさしたるタブーじゃ無かったんだから。特に、貴族社会においては」

「けどなぁ」


 梅小路は露骨に、顔をしかめる。と、先ほどからオブザーバーをしていた沼田が、唐突に話を先に進めた。

「歳は若いながら、漢詩、笛、蹴鞠に関しては、当時のうるさ方の公卿達も認めるほどの上手だったとかで、下人に身をやつしては居るものの、実は名のある方の血を引く者では無かろうかという意見も根強かったようですな」

貴種流離譚(きしゅりゅうりたん)ですわね、まるで」

「あれはいつの世も、人の心をくすぐりますからなぁ」

 二人してわかり合っているのを少々白い目で見ながら、野口は声を掛けた。


「ところで、その2人の馴初めってのはわかってるんですか?」

「ええ、多分そうだろうというあたりは。少将の友人で六位の蔵人(くろうど)をしていた藤原相光という人物の日記に、紫野で花見がてら蹴鞠をしていた時に、尊少将が蹴り損ねた鞠が、たまたま通りかかった下人、別な所の記述では流れの民となっておりますが、それを直撃した、ということが、いかにも珍しい事があるものだという語調で書かれております。あの蹴鞠の鞠で人間を昏倒させたというのですから、想像を絶しておりますな」


「でもまぁ、この後は我々の想像なんだけどもね、時代を考えると、そのまま打ち棄てておいても誰からも苦情は出なかったでしょうが、さすがに少将も気がとがめたんでしょうね。屋敷に連れ帰らせ、洗い立てたのと対面してみれば、目鼻立ち整い思いがけぬ拾い物。しかも、漢詩の教養もあれば、歌舞音曲のたしなみもある。手元に置いている内にズルズルと深みに・・・、というパターンだと思うの」

「そらまた何というか。ただまぁ、男同士ということさえ除けば、確かに良く有るパターンではありますな」


「で、その相手が殺され、恋うるあまり少将は鬼と化したと。でも、恨みの相手の右大将家はさっさと滅ぼした訳でしょ。なんでいまだにうろついてんですかね」

「さぁ、もしかすると、死んだ恋人が再びこの世に生れ変わってくるのを、ひたすら待続けているのかもしれないわね」

 あまりにロマンチックな、そして傍迷惑な小泉女史の言葉に、梅小路と野口が絶句する。


 と、そこへ、沼田が静かに口を挟んだ。

「それ、なのですがね」

 言葉を切り、物思わしげな視線を足元にさまよわせる。

「お笑いくださって結構なのですが、私にはどうも、生れ変わりか、生別れたまま会えずに来たのかはわかりませんが、その尊少将の恋人というのが、火浦君の事のように思えてならんのですよ。元々、理系の学生で有りながら、古文漢文を原文のままさしたる苦も無く読み降ろし、学校で教わる日本史とはかなり異なった、一風変った歴史観を持っている、毛色の変った青年でした。しかも、彼が失踪したその日、化野に現れ、一天俄に掻き曇った京の空を、東の方に消えた怪光というのが、尊少将が鬼と化した時の記述とそっくりなのです」


「ということは、化野の不審な空家の主、秋津某という得体の知れない男が、『化野の鬼』だと?」

「ではないかと思うのです。今にして思えば、あの青年の姿形は、人ならぬ物の美しさでした」

 溜息は、だから記憶の中のあの青年への賛美なのだろう。その姿に、梅小路は思わず苦笑を禁じ得なかった。

「ということは、化野の鬼は最愛の人と再会したわけですかな」

「ではなかろうかと、私は思うのです」


「だとすると、止りますかね、悪さの方は」

「止ってくれにゃ困る。これ以上、訳のわからん迷宮入の事件を起されたら、かなわんからな」

「止るのではなくて? なんといっても、鬼になるほどに想った人が、傍らに居るのですもの。今頃はどこか都会の片隅で、ひっそりと仲睦まじく暮しているのではないかしら」


 不思議と微笑ましい光景が、脳裏に浮ぶ。と、部屋に入ってきた時とは打って変わった、明るい表情で沼田がつぶやいた。

「私はどうも、またいつか彼らに会えるという気がしてならんのです。それも、ごく普通の人間としての彼らに」

 沼田につられて、3人は東の空に視線をやる。


「結構、喫茶店の雇われマスターとかしてたりしてね」

「客は女性ばかりじゃないんですか」

「いや、意外と、男も多いかもしれんぞ。しかも常連の」

 それは何となく真実であるような気が、彼らにはしていた。






「お疲れ様、火浦さん」

 大都会の片隅にひっそりとたたずむ、小さなオアシス。落着いた雰囲気にしっとりと包まれた喫茶店の、カウンターの中で前掛を外しながら、秋津は火浦に優しげな声を掛けた。

「おう、今日も忙しかったな」

「キリマンジャロ、豆が最後まで持たないかと思いましたよ。ん、どうかしましたか?」

 火浦がしげしげと自分の事を眺めているのに気がついた秋津は、怪訝そうな顔をする。それを見て火浦は、最初は立派に今浦島だったのにとでも言いたげに、いたずらっぽそうにニッと笑った。

「いや、お前もしっかり、今の生活に馴染んだなと思ってな」

「私にとっては、貴方の居る所が、『今』なのです。貴方となら、どんな事でも出来ますよ」

 すべての物をとろかすような笑みと共に秋津は火浦の耳元で甘くささやいた。


そう、時は再び、恋人達を包んでゆっくりと歩き始めたのだ。


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