結・化野に棲む九百歳のサギ被害者
「・・・まさかあなた」
「いや、俺は奴じゃねぇ」
慌てて火浦は、秋津の言葉を否定した。
「昔々の話だ。その、ある日海岸で子亀を見つけてな、こんなもんでも腹の足しになるかと拾ったら、沖の方から泳ぎ寄ってきたとんでもない巨大な亀が俺の足元まで這ってきて、目に涙を浮べて必死で頭を下げるんだ。で、かわいそうになってな、拾った子亀を大亀の隣に置いてやったら、何度も頭を下げ、こちらを振り返りながら海に帰っていった訳だ。で、良い事をしたかなと思ってたら、その晩、甲羅背負った白髪のじーさんが枕元に立ってな、『本日は孫をお返しくださいまして、誠にありがとうございました。ささやかではございますが、お礼などさせていただきとうございます』と言うんだ。まぁ、是非にと言われたもんでじーさんについて行ったら、連れて行かれた先がかの竜宮城って訳でな」
「お定りの、鯛やヒラメの舞踊りで300年というわけですか」
切り返してくる秋津の声は、実に冷たい。対して火浦の口調には、恐縮がにじみ出ていた。
「いや、遊び暮すってのにはどうしても馴染めなくって俺は、一カ月ちょいしか居なかったから、10年かそこらだったけどな」
「で、玉手箱を貰いになってお戻りになられたと」
「それなんだが、俺はどうも物に執着が持てない人間だもんで、ついうっかりと竜宮城に置忘れて来ちまってなぁ。惜しい事をしたという話をした相手ってのが、浦島子の奴だった、ってわけだ」
「・・・待ってください。じゃ貴方、あの男より更に年上、って事じゃ無いですか」
「ま、そういうことになるな」
秋津は再び、ボソリとつぶやいた。
「サギだ。どう考えても貴方、最低でも私より六百歳は年上じゃありませんか」
居心地悪げに、火浦は顔を背ける。
「幾度生れ変わろうとも共にあろうというあの誓いは、嘘だったのですね。貴方は私をだましたんだ」
「いや、騙したわけじゃねぇぞ」
「いいえ、騙したんです。死なない貴方が生れ変わる訳無いじゃ無いですか。それを承知の上で、貴方はあの誓いの言葉を口にしたんだ」
「いや、そりゃ確かにそうだが、でも、そうしたいというあの気持は、決して嘘偽りじゃなかったぞ」
秋津のしろーい視線にたじろぎながらも、憤然として言いつのる。
が、相手は、そんな事で収るようなかわいい性格の持主では無かった。なんといっても、かの院政期直前の、衣の陰で足を引っ張り合う陰険姑息極まりない公家社会を生きていた男なのだ。
「どうだか」
「そりゃ、ちょいと無理があるな、とは思ってたけどよ」
いぜんとして続く冷やかなその言い方に、火浦はまたしても口ごもってしまう。とはいえ、いくら相手が秋津でも、いつまでもやられっぱなしで居る火浦ではなかった。このままでは立つ瀬が無いとばかりに、必死で反撃に出る。
「でも、おまえさっきから『サギ』だの『騙した』だのと勝手な事を言ってるが、お前だって、バレない限りは自分から歳の事言出せなかったろうが」
「そりゃまぁ、誰だってバケモノ扱されたくは無いですから」
「俺だって同じだ。しかもあの時代にンなこと言出した日にゃ、もののけ扱されて陰陽師やボウズ呼ばれるのが落ちだぜ」
「良くって神仏か仙人、最悪の場合は、貴方自身が不老不死の仙薬ですか」
「わかってんだろうが。そりゃ、俺だっていつかは打ち明けなきゃいけない、とは思ってたぜ。見た目変らなすぎて不審がられて、ある日逃出すとかはしたくなかったしな。けど、その前にあれが起っちまったんだから、しかたがないだろうが」
「その点に関しては、まぁ、了解いたしましょう。でも、もう一つ恨み言を言わせていただきたいのは、後生までも共にと誓っておきながら、たかだか20数年たっていたというだけで、私の事を探してもくださらなかったその薄情さです」
「だからぁ、ンな年月経った後でいきなり、全然歳を取ってない人間が現れたら、まずかろうとゆーとるだろうが」
「そんなこと、神隠しと言えば通るでしょうが。あの頃はその手の事件、ちっとも珍しく無かったんですから」
「いや、そうとも思ったけどな、歳食ったおまえというのも、あんまり見たくなかったし、おまえン所の家柄であの歳なら、そろそろ大納言か、上手くいってりゃ大臣。良い所の姫さんの1人や2人嫁に貰って、子供も何人か居て、中には入内したのも居て、とか考えたら、やっぱ悪くてなぁ」
実にすまなそうにこれを言われては、返す言葉が無い。しかも、容姿より何よりその性格に惚れて、来世までと誓う気になった相手なのだ。ほとんど病気の域に入りそうなこの気の回しすぎも、それを考えれば許してしまうしか無いでな無いか。まぁ、気を回すあまり実際何が起きたかは全く確認してくれて居なそうなのは、色々と言いたい所ではあるが。
「ああ、もう結構です。玉手箱すら竜宮城に忘れておいでになる方に、私に対する執着を持っててくださるよう期待する方が馬鹿だったんです。一体、貴方に執着というものはおありになるのですか?」
「執着、なぁ・・・。昔っから、あんまり無い方だったな。長い事生きてるもんで、要りそうに無い事は片っ端から忘れる事にしてるし。いや、俺としては、おまえの方こそよくもまぁ、そこまで執着出来るもんだと感心してるんだが」
「ほっといてください。私の執着はすべて、唯1人貴方の上にのみ有るのですから」
挙句の果てに化物になってりゃ世話無いぜ、とは、さすがの火浦も口にしなかった。彼の方だって、何者にも執着を持たなかったがゆえの化物と、言おうと思えば言えるのだ。これはもう、どっちもどっちと言うべきだろう。
言うだけ言った秋津は、火浦の手を取り肩を軽く抱き寄せながら、一方ではこれみよがしに大きく『ハーア』と溜息をつく。
「なんでこんな情の薄い方に惚れてしまったのでしょうか。貴方のお姿を一目見た瞬間、私は貴方の事をわかりましたのに。貴方の方は、私がお願いするまで、私の事を思い出してくださらないんですから」
「いや、そりゃお前を見た瞬間、尊少将の事をふと思い出して、『他人の空似ってのも本当にあるんだな』と思った俺も悪いとは思うぞ。けど、一言言わして貰うがな、俺はあの頃、直衣着て烏帽子被ったお前しか見た事無かったんだぜ。あの当時、成人した人間が冠の類いを外すのは、滅多に無い洗髪の時だけだったから、俺はお前の今みたいな垂れ髪はおろか、烏帽子の中で結ってたはずのまげすら、ろくに見た事が無かったんだからな」
「そりゃまぁ、床の中ですら烏帽子は着けたままでしたから。でも、あの頃はまだ、後の後白河帝の御世とは違って我々公家も、白粉つけたり墨で眉描いたりはしてませんでしたよ」
その言葉に、火浦は見るだに嫌そうな表情をして見せた。
「馬鹿野郎、ンなことしてたら、死んでも俺は貴様に近寄らなかったぞ。だいたい、俺には厚化粧した人間の顔は、男でも女でも、ほぼ区別が付かん」
「まぁ、貴方は自然派でいらっしゃいましたからね。最初にお会いした時は、水干はヨレヨレ、烏帽子もつけずに後ろで一つに引っ括った髪はボサボサ。人か隠仁・悪鬼の類か、しばらく考えてしまったくらいですから」
「わぁーるかったなぁ。流れの民の間じゃ、あれでもかなり上等な格好だったんだぞ。大体、そのヨレヨレ・ボサボサに手を出した物好きは、一体どこの誰なんだよ」
むくれて見せる顔の下で、ノドが笑っている。それを見ながら秋津は、ニッと人の悪い笑みを浮べた。
「すみませんねぇ、物好きで。だって貴方、湯を使わせて着替させたら、ガラリと一変なさるんですもの。しかも、笛は名手だし、蹴鞠の上手で漢詩の心得もあると来ては、クラリと来ても仕方ないじゃないですか」
「だから物好きな奴だってるんだろうが。笛も蹴鞠も漢詩も、皆男しかやらないものじゃないか。箏の上手や和歌の上手とは訳が違うぜ」
このままでは自分が不利だと感じた秋津は、さっと話を変える。