結・化野に棲む九百歳の・・・
数時間後、火浦の姿は小倉山の山腹、昼なお暗い竹林の中に立つ、秋津の家の内にあった。
化野と呼ばれる一帯の内でも、観光コースからは遙かに離れたこの辺りには、さすがに他に人影も無い。
硬い表情で訪れた火浦の事を、何も聞かずに請じ入れた秋津は、無言のまま客間に通した。先日とは微妙に異なった、だがやはり落着いた色合の着物と袴が、異様なまでにしっくりとしている。
突然の来訪に戸惑うどころか、むしろ喜ばしげな色さえ浮べて、秋津は香り高い茶を勧めた。
「またこんなに早くお目にかかれるとは、思ってもおりませんでした。こちらへは、どんな御用でおみえに?」
らしくも無く返事の無いのをいぶかしみ、小首を傾げる。
「火浦さん?」
返ってきた言葉は、意外な物だった。口を開いた火浦は、秋津と目を合せようとしない。
「昨晩12時過ぎ、俺はお前を市内で見かけた。格好も今とは全然違ったし、途中で見失っちまったが、あれは紛れもなくお前だった」
聞いていた秋津の顔が、スッとこわばる。
ようやく顔を上げた火浦は、今度は秋津の目を真っ直ぐに見据えて言葉を継いだ。
「あの女の死体、あれは一体どういうことなんだ」
みるみるうちに、秋津の顔から血の気が失せていく。
「見て、しまわれたのですね、私が何をしたか」
「お前が何をしたかを見た訳じゃねぇ。俺が見たのは、その結果としての女の死体だけだ」
火浦の声が震えている。哀しげな表情を浮べて秋津は、まるで血を吐くような、うめき声のようにも聞える声でつぶやいた。
「同じです。他の誰に知られようとも、あなたにだけは、あのような浅ましい姿気づかれたくなかった」
ゆらぁりと立上がり、火浦の前に片膝をつく。思わず身が逃げに掛る火浦の目をひたと見詰めながら、頬に手を差し伸べ、哀しげにささやきかける。
「思い出して下さい、火浦さん。いえ、火浦の君。世のそしりを受けようとも、共にあろうと誓ったあの日の事を。あれから千歳を経ようかという今もなお、私は貴方の話された言葉の一つ、聞かせて下さった笛の一音に至るまで覚えているというのに、貴方はすべてを忘れてしまったというのですか。あれほど、幾度生れ代ろうとも、共にあろうとお誓いしましたのに」
その狂おしいまでの眼差しに、火浦はついっと視線をそらしてしまった。うつむいたまま、ポツリとつぶやく。
「・・・尊少将、なのかお前は」
「思い出してくださったのですね」
その言葉を聞いた途端、顔一杯に喜色を浮べ、秋津と呼ばれていた男は火浦の事を、両の腕でヒシと抱き寄せた。首筋に顔を埋め、声を震わせて『やっと思い出してくださったのですね』と繰り返す。
だがなぜか、火浦の声には困惑があった。
「忘れてた訳じゃ無い。ただ、まさかお前が生きているかもしれないなんて、夢にも考えてなかったから。お前と会っても、それがお前かもしれないなんて、考えて見もしなかったんだ」
「良いのです、もう。貴方は私が誰か思い出してくださった。それだけで十分です。貴方を失ったあの日から、いつの日にか必ず、再びこの世に生れ出でられた貴方とお会い出来る日が来ると思って、ひたすらに待ち続けていたのですから」
うっとりとした表情で、愛しい人の頬を指先でたどる。が、なぜか火浦は、視線を外してうつむいてしまった。
「死んだ、わけじゃねぇ」
「えっ?」
「確かにあの時俺は、お前を婿にしたがった右大将家の連中に、邪魔者は消せとばかりに追われて崖から川に落ちたがな、斬りかかられて怪我こそしたものの、それ自体は、さして命に別状があるような物じゃ無かった」
「じゃぁ、なぜ」
問いかける秋津の声は、震えている。
「川に流されていく間に頭打ってな、それが元で、記憶喪失って奴になっちまったんだ。少しずつ思い出して、ようやく記憶が全部戻って来た頃には、えらい時間が経っちまってて、あの頃の平均寿命からして、お前がまだ生きてる可能性は決して高くなかったし、だいたい、20何年間も行方不明だった人間がひょっこり姿を現しても、迷惑だろうと思ってなぁ」
「ちょ、ちょっと待ってください。貴方、貴方まさか、貴方が生れ代ってくるのをひたすら待っていた私をよそに、貴方もまたずっとそのまま生きていたとかおっしゃるんじゃないでしょうね!?」
悲鳴に近い秋津の声に、火浦はすまなそうにうなずいた。
「じゃお聞きしますけど、私は貴方を失ったと思えばこそ、人ならぬ身となって、こうやって今日まで生きてました。ではあなたは、どうして生きてらっしゃるのですか。まさか、私と出会う以前から、ずっと生きてらしたとか・・・」
ばつが悪そうに顔を上げようとしない火浦の様子から、それが真実だと見て取った秋津は、愕然とした。
「あなた、一体おいくつなんですか」
震え声の問いかけに、言いにくそうに返事が返る。
「最低限、お前よりかは年上だ」
その言葉にすべてを察して秋津は、呆然とつぶやいた。
「詐欺だ」
「悪かったとは思ってる」
「私は、後生までも貴方と共にと思っていたのに」
「すまなかった」
「で、本当のお年はお幾つなんですか」
秋津の語調は、既にかなりの険を帯びている。
「おまえ、浦島子って知ってるか?」