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妖 ~あやかし~  作者: 津神 龍亜
京都妖怪地図
5/9

転・目撃

 それは確かに壮観な一団だった。細いの太いの、低いの高いの、各種取混ぜた初老から高齢の男性が5人と、ちょっとワイルドでスラリと背が高くキリッと整った青年の組合わせが、人目を引かないはずが無い。

 しかも、その格好の良い青年が、前を行く千鳥足で元気に浮れ回る同行のじーさま方に目をやっては、密かに溜息をついているとあっては、なおさらである。


「元気な人たちだ」

 周囲に聞えないようにそっとつぶやいた彼の名は、火浦小次郎。そう、彼はまたしても、沼田教授に引きずり出されてきたのだ。


 京都で開かれた『学会』に、無理矢理付合わせられ---無関係だ、学会員じゃ無い、参加してもそんな所でされるような小難しい話俺にはわからない、との火浦の抗議は、一切聞入れて貰えなかった。いや、沼田教授の耳に入っていたかも、妖しい物である---、あげく、学会が終ったあと沼田が、論争仲間、もとい、飲み仲間だという4人のお仲間と夜のちまたに繰出したのにまで、しょうことなしに付合う羽目に陥ったのだ。


 それにしても、元気な連中である。既に名誉教授に退いた人間なども居て、いい加減皆が皆かなりの良い歳であるはずなのだが、既に4軒からの店をはしごしているにもかかわらず、一向に飲み疲れた様子も無い。

 古典や歴史などの『過去』を対象とする学問をする研究者は、どれだけ生きられたかが勝負。途中途中の論文は必須としても、長生きをして文献や資料をあさりまくり、その集大成として著作だのを物す以上、早く死んだ研究者に線香花火のきらめき以上の価値は無いのである。となりゃもう、『良い研究者』の条件は、『丈夫で長持ち』これに尽きるでは無いか。

 この飄々として見える5人とて、その例外では無かったようだ。


「さぁさ、もう一軒」

「今日は飲み明しますぞ」

 色年増の女将の居る小料理屋を皮切に、既に4軒もはしごしているというのに、ますます意気盛んになるばかりである。


 しかも、店を移る度に、年若い女の子の多い猥雑(わいざつ)な店になり、先ほどまで居た店などは、あろうまいことかキャバレーだったのだ。席に侍るおねーさんのこぼれんばかりの胸元を指先でつついては、わざとらしくキャッとか言う声を聞いて悦に入る程度の、他愛も無い連中とはいえ、ほとんどじーさま方のおもり役と化している火浦からしてみれば、どっぷりと疲れる話である。


「さてと、次はどこに行きますかな」

「ピチピチとした若い女の子の居る店に限りますぞ。若い子というのは、老いた身には回春剤ですからな」

 そして今なお、更にもって疲れそうな会話が、耳に入ってくる。ほとほと疲れ果てた火浦は、めまいすら感じる物があった。果していつまで付合わさせられるのかという、不安感もある。なんと言っても、本当に朝方まで飲んで居かねない勢いなのだ。


 ついに耐えかねて火浦は、前を行く5人の元気なご老体達に切出した。

「すみませんが沼田教授、もう時間が時間ですし、俺は先に宿に帰らせていただきます」

 が、足を止めた老教授連から返ってきたのは、揃いも揃って、良い若いモンが何を言出すのかね、とでも言いたげな視線だった。


 沼田が口を開くより先に、他の教授達が口を突っ込んでくる。

「いやまぁ、そんな事を言わんと」

「なに、まだ宵の口では無いかね」

「若いモンがそんな事でだらしのない。わしらが若い頃は、斗酒(としゅ)なお辞せず。飲屋から学校に通った物だよ」

「まぁ、せめて後一軒だけでも付合いなさい」

 今日初めて会った面々だというのに、彼らはすっかり火浦の事が気に入ってしまっているようだ。


 さすがは、子供と老人のアイドルとささやかれる火浦小次郎である。ただ、彼らが粘るのには、別な理由もあったようで・・・。

「いやなんせ、お前さんが居るのと居ないのとでは、若いおなごの態度が違うからのぅ」

「儂らだけで店に入ったのでは、あやつら寄ってもこん」

「ばーさんはもう、家ので見飽きてしもうてなぁ」

「遊びを知らんと、人間がちいそうなるぞ。遊びは芸の肥しと言うが、なに、芸も学問も同じ事だ」

 火浦の事を取囲むようにして、口々に勝手な事を言いつのって下さる。これではまるで、火浦は集蛾灯では無いか。

 それに、だ。そりゃ文学を理解するのに遊び心は必要だろうが、いかんせん、火浦が籍を置いているのは数学科、ちょいと事情が違うのである。


「いや、でも、やはりさすがにちょっと・・・」

 言葉になっていない言葉で、なおも渋る。

 相手が曲りなりにも目上の人間である以上、スッパリとお断りをしてしまう訳にもいかず、かと言って、このまま彼らの御遊興にお付合いするには、既にそれだけの気力も体力も無い。洒脱(しゃだつ)な老教授達とは異なり、彼はいたってまじめな人間なのだ。


 と、その火浦の渋り様を見て何を勘違いしたか、それまで黙っていた沼田が、少々ずれた助け船を出してきた。身振で他の教授達を制しながら、意味ありげな口ぶりで言う。

「いやいや、そう言わず。若い者には若い者の楽しみがある。わしらのような年寄が邪魔をしては、かわいそうというもんですぞ」

「いえ、そう言う訳じゃありません。俺はただ、疲れたので先に帰らせて欲しい、と・・・」

 そういう取られ方をするとは一切思っていなかった火浦は、さすがに慌てた。が、その否定の言葉はどうやら、無視されてしまったらしい。


「おう、そりゃ済まん事をした」

「歳を取ると、気が回らん様になってのう」

「いやぁ、野暮な事をしてしまったのぅ。まぁ、頑張れよ」

「では、我々だけで行きますかな」

「いざ、煩悩の命ずるままに!」

 口々に勝手な事を言い、励ますかのようにポンポンと背を叩いて行く。火浦が呆れて見送るなか、これでこの件は終ったとばかりに、元気なご老人達の背中は、再びネオンの海へと呑込まれて行った。


「元気な人達だ・・・」

 火浦の口からは、再度同じつぶやきが漏れる。溜息をつき、理解の範疇(はんちゅう)の外だと言いたげに首を横に振りながらホテルに向って歩き始めたその足は、だが数歩も行かないうちにピタリと止った。


 内心の驚きが、思わず口をついて出る。

「あれは、まさか・・・」

 今し方、人混みの向こうにチラリと見えた人影。あれは確かに、人間離れした玲瓏(れいろう)な面差しと言い、背に流れるみごとな黒髪と言い、間違いなく、先頃この京都で知り合った、秋津という青年だった。


 いや、それだけだったら火浦も驚く事は無かっただろう。いかに黴臭い本の中に埋れて暮す研究者とて、二十代半ばの青年であってみれば、街中の盛り場で見かけてもおかしくはない。

 が、あの落着いた和服の似合う青年が、ラフな黒のジャケットに黒のスボンという黒ずくめのなりをして、夜だというのに黒とも見まごう濃い色のサングラスを掛けている姿は、衝撃的なまでに違和感があったのだ。


 人違いでは無いのかと内心思いながらも、なんとなく気になって火浦は、無意識にその後を追い始めていた。

 前方の人混みの中に、印象的な黒ずくめの長身が見え隠れしている。

 不思議なのは、それだけ人目に立つ人間で有りながら、道行く人が誰1人、振り返るどころか目を止めたふうもないところなのだ。

 が、今の火浦にはそれを疑問に思う余裕は無かった。


 しばらくすると、周囲の人影がだんだんとまばらになり始めた。なんとなく気になって、前を行く秋津 --らしき人物-- との間隔を開ける。

と、その前方の人影が、急に視界から消えてしまった。

「チッ」

 しまったという思いで、その姿を見失った地点に急ぐ。見回せば、すでにここは繁華街の外れなのであろう。周囲にひとけは無い。


 火浦はしばらくその場に立ち尽して、秋津の姿を探し求めた。が、前後に人影は無く、周囲の薄暗い脇道にも、人の気配は無い。


 と、思い詰めたような表情が、フッと歪んだ。自嘲の色を濃く帯びた苦いつぶやきが、自分に言い聞かすかのようにこぼれる。

「俺はなぜ、あの男のことを追っているんだろうな」


 たかだか、数ヵ月前沼田教授のお供で訪れ、足をくじいた自分のことを二日間介抱してくれたというだけの関係。『格好に違和感を感じた』と言ったって、以前会った時は古典研究者という仕事柄、ある種の仕事着として和装をしていたのかもしれないではないか。

 平素はTシャツにジーパン姿という可能性だって有るのだ。いや、相手の歳を考えれば、その方が返って自然である。


 あの男だって、ごく普通に学校に通い、ごく普通に少年期、青年期を送ってきた、ごく普通の人間で有るはずなのだ。会いに出かける恋人や、遊び仲間の友人だって、当然居ることだろう。

 確かに、不思議と印象深い、気になる存在ではあったが、親しくも無い自分がこうやって後をつけ回しているのは、お節介どころか立派なプライバシーの侵害、覗き趣味という物だ。

 内心の苦い笑いを頬にのぼせて火浦は、その場を立去ろうとした。


 が、ちょうどその時、遙か前方の薄暗い路地から、1人の男が姿を現した。

 その闇になお浮ぶ白皙の面と、スラリとした背にゆったりと流れる黒髪を目にした瞬間、つぶやいた言葉も何のその、火浦の脚は無意識のうちに駆け出す。


 男が姿を現した場所まで来た時、既にその姿は周囲の闇に溶け込んでいた。訳のわからない口惜しさに、拳をギュッと握りしめる。

 ふと気になって、秋津と思われるその姿が現れた小路、その闇に閉ざされた中を透かし見た火浦は、白っぽい何かが落ちているような気がした。


 闇の中、用心しつつ手で探るようにして歩み入る。

 人が2人、体を横にしてかろうじて擦れ違えるか、というような小路の中、ほの白い影にたどり着いた火浦は、手を差伸べて息を呑んだ。まるで服を着たマネキンのごとく堅く冷たい手触りだが、それは紛れもなく人である。

 介抱しようとして抱え起し、既に息が無い事に気がついた火浦は叫んだ。


「だ、誰か警察を!」

 明りの下に連れ出した女の顔は、まるで蝋人形のようだった。

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