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妖 ~あやかし~  作者: 津神 龍亜
京都妖怪地図
2/9

起・事の起りは

「おい、三沢。火浦見かけなかったか?」

 さほど大きくない教室の扉を開けるなり、遠藤は中に居る三沢に声を掛けた。その声につられ、周囲に居た全員が戸口の方に振向く。

「うんにゃ、またいつもみたいに、お前んとこの教授の研究室じゃ無いのか?」

「その沼田教授の依頼で、俺は火浦を探してんだ。おい、もし奴を見かけたら、至急教授の研究室来るように伝えてくれ。じゃ、邪魔したな」


 言うなり、遠藤は慌ただしく立去った。再び閉ざされたドアを見ながら、誰とも無くつぶやく。

「慌ただしい奴」

「あいつ、人間が律儀に出来てるから」

 どことなくかみ合わない言葉を返してから三沢は、溜息をついた。

「でもまぁ火浦さんてば、わからん人だよなぁ。あの人、自分の専攻であるはずの数学科の研究室に居る時間より、畑違いの文学科の沼田さんの研究室に居る時間の方が、どう考えても遙かに長いよな」

「何が気に入られたのか、懐かれてるもんな、沼田教授に。構内で火浦の事見かけると、問答無用で自分の研究室に引っ張ってっちまうんだぜ」

 その言葉は妙に、呆れの色を濃く帯びている。


「転部試験受けろ受けろってうるさいようだし」

「いや、無理だろ、それは。火浦ってば、ねっから理系の頭してるぜ。しかも、文学とまず相容れない数学向きの」

「凄げぇんだよな、あいつの文学の知識。平家物語と源氏物語ってのは、両方とも戦記物だと思ってた、って自分で言ってたぜ」

「結構色々読んでるくせに、タイトルと中身は一致しないわ、年代の記憶はとてつもなくいい加減だわ、教養としてのその手の知識が、丸っきり欠落してんだよな」

 言ってる内容の割には、言葉には火浦に対する好意がある。

「その火浦さんを、あの教授は一体何に使ってるんだか。ともあれ、あれだけ重宝されてんだ。これであの人が一般教養の文学の単位貰えなかったら、やっぱ嘘だと思うぜ」

 皆は力強く、三沢の言葉にうなずく。と、噂をすれば影。タイミング良く、火浦がその場に顔を出した。


「あっ、火浦さん」

「おう」

 視線と身振で挨拶を交し合う。

 180cmは余裕で越えてそうな長身に、痩身だが貧弱では無い肉付。身なりには無頓着そうだが、不思議とこざっぱりとした印象で、長くもなく短くもない自然な髪型は、悪く言うとボサボサで・・・、だが、それでもだらしなく見える訳ではない。不思議な存在感のある、どこか人目を引きつける青年である。

 火浦が席に着くのを見計らって、三沢はその隣に席を移した。


「また、沼田教授が探してるそうですよ、火浦さんのこと。さっき遠藤が来て、至急研究室に来て欲しいって伝言してきました」

「そうか」

 うなずいた火浦だが、動く気配は無い。

「行かなくて良いんですか? 至急ってましたけど」


 のぞき込むようにしてくる三沢に、火浦は改めて、その野性的だが端正な顔を向けた。

 時の深淵を宿すがごとき瞳でジッと見られ、三沢は柄にも無くドギマギとする。「三沢」

 火浦はゆっくりと、その名を呼んだ。

「俺は数学科の学生で、ここには授業を受ける為に出てきた。それがなんで、畑違いの文学科の教授の呼出しで、授業を受ける権利を放棄せにゃならんのだ。俺はこの授業が終るまで、絶対にここを離れんぞ」

 その断固たる一言で沼田教授は、90分間の待ちぼうけを食わされたのだ。






 うっそうと生茂る竹林の中に、背景に溶け込むかのように、その幽玄かつひなびた家は建っていた。風にそよぐ竹の葉が、サヤサヤと衣擦れにも似た音を立てている。


 小倉山のふもと、人里から少々離れた所にひっそりとたたずむ、いかにも由緒ありげだが、どこか黄昏れた雰囲気を持つそれを、火浦はうさん臭そうに眺めやった。

「本当にここなんですか」

 手元の紙片に目を落しながら、沼田教授も少々心許なげな返事を返す。

「所番地は合っておるはずだぞ」

「そりゃまぁ、この近辺、他に建物は無いですが」

 たとえGPSが有ろうとも、地図に載ってない存在に対しては無力である。


「なに、聞いてみればわかる事だ」

 眉間にしわを寄せ、なおも紙を見つめていた沼田は、ついに居直ったようにそれをたたんでスタスタと歩き始める。その背中を見ながら火浦は、得体の知れない不安感に駆られていた。


 沼田教授の押しに負け、付合いでここまで来てしまったことを、深く後悔する。『あの話が合った時、何が何でも断りゃよかった』


 この時火浦は、自分の運命の歯車が回り始める音を耳にしていた。






「やぁやぁ良く来てくれた、火浦君。さっきから待ちかねておった所じゃよ」

 迷惑げな表情になど気がついた様子も無く、沼田教授は火浦に椅子を勧めた。そのままいそいそと、手ずからお茶を入れ始める。


「ところで君、来週の末に何か予定はあるかね」

 背を向けて、湯の音をトポトポとさせながらされた突然の問いに、戸惑いながらも火浦は返事をした。

「いえ、取立ててありませんが」

「それは良かった」


 ふくいくたる香りを漂わせる、いかにも上等そうなお茶を手に、沼田は振り返った。

 自らも椅子を引寄せて腰を下ろしながら、お茶か昼飯にでも誘うかのノリで言葉を続ける。

「ちょっと京都まで付合ってくれ給え。いや、あちらに在野の研究者でなかなか面白い人間が居てねぇ。前々から、一度会ってみたいと思っていたのだが、やっと連絡が取れたんじゃ」

 茶を口元まで運んだ火浦の手が、ピタリと止る。


「・・・あの、俺は数学科の学生で、ここの研究室の人間じゃ無いんですが」

「なに、ここの人間なんぞ何の役にもたたん」

 室内には他の学生や院生もいるのだが、その連中のことなど頭から無視して言い放つ。

「今時の学生は頭でっかちで、古典を『カビの生えた文学』『研究の対象』としか見ておらん。その点君は、古典を肌で知っている希有な人間だからな」

 憤慨したように言う沼田の顔が、途中で急に笑み崩れる。そのえもいわれぬ不気味さに、火浦は居心地悪げに身じろぎした。


「ですが、いつも言ってるように、俺は品詞がどうの、懸り言葉がどうのと言われてもわかりません。何もそんな人間を連れて行かずとも・・・」

 身を乗出して来る沼田教授の迫力に気圧されて、火浦の語尾は消え入りそうになる。そんなことなどお構いなしに、沼田は更に強引に迫った。

「品詞の分解などと言う無味乾燥なことは、暇な奴らと統計学者に任せておけば良い。それよりも、書かれた時代の感性で作品を読めるという君の特技の方が、遙かに貴重だ。我々は、古典籍を資料として扱う歴史学者や、日本語の変遷を探る言語学者じゃ無いんだ。日記は日記として、大衆文学は大衆文学として読む。これが何より肝心なのだよ。で、来てくれるね、火浦君」

「・・・わかりました」


 思えば、押しの強さに負けてその一言についうなずいてしまったのが、総ての始りだったのだ。


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