19.カミラ先生の嬉しい知らせ
伝説の武器を鞘から出して、ファンヌがキッチンに台を用意してもらってお野菜を切っている。キュウリもトマトもすぱすぱとよく切れる。
「さすが、でんせつのぶき……」
「わたくしのほうちょうなの!」
何故包丁なのかは分からないが、確かな切れ味はあった。
屋敷に戻ってお昼寝から起きると、晩ご飯の準備を手伝い始めたファンヌ。おやつの時間にはもう遅かったので、晩御飯を早めにしようとしていたら、菜切り包丁を抱えてキッチンに立っていたのだ。
キュウリとトマトを切って、キャベツも粗い千切りにしたファンヌは満足そうだった。
伝説の武器ってそういう使い方をするものだったっけ?
サラダと、パンと、鶏肉にパン粉をはたいてソテーしたものを食べて、夕食後にゆっくりとお茶をする。そのときにカミラ先生から発表があった。
「オリヴェルとイデオンくんとファンヌちゃんとヨアキムくんに、一番に教えたかったのです。実は、赤ちゃんが出来ました」
「叔母上、おめでとうございます」
拍手をしてファンヌとヨアキムくんも祝っているし、私もお祝いの気持ちでいっぱいだったが、やはりという気持ちはあった。鋭いファンヌはそういう事態を見抜いていて、自分がルンダール領を守らなければいけないと勝手に思い込んでしまったのだろう。
ファンヌには困ってしまうが、カミラ先生の妊娠は純粋に嬉しい。
「あかちゃん。わたくし、おねえたんになるのかしら?」
「よー、にぃたん?」
「二人とも、お姉ちゃんとお兄ちゃんですよ」
ヨアキムくんとファンヌと一緒に私まで抱き締められて、そういえば最近カミラ先生はファンヌとヨアキムくんを抱き上げていないことに気付いていた。お腹が大きくなるとますます抱き上げられないだろう。
そろそろ私もお兄ちゃんに抱っこされるのを我慢して、ファンヌやヨアキムくんに譲らなければいけないときが来たのだろうか。二人の兄なのだから幼い妹弟に譲るのは当然だと分かっていても、涙が出てきそうで、私は先にお布団に逃げ込んだ。
「イデオン、お風呂に入ろうか?」
「おにいちゃん……」
追いかけて来てくれたお兄ちゃんが、お風呂に誘ってくれる。お屋敷ではリーサさんにお風呂に入れてもらっているヨアキムくんとファンヌだが、この別荘ではヨアキムくんがビョルンさん、ファンヌがカミラ先生に入れてもらっていた。
「ファンヌとはいらなくていいの?」
「どうして、ファンヌと?」
「だって、カミラせんせいのおなかには、あかちゃんがいるんだよ?」
私の不安を感じ取ったように、お兄ちゃんは私を抱き上げてくれた。ぎゅっと逞しい胸に抱かれると、涙が零れて来てしまう。
「もう、おにいちゃんとおふろにはいったり、だっこされたりしちゃいけないのかと、おもったの」
「そんな寂しいことは言わないで。イデオンが大きくなって嫌って言うまで、僕は抱っこしたいし、お風呂にも入れたいよ。まだイデオンは6歳なんだからね」
まだ6歳といわれるが、世間ではもう6歳なのだ。もっと小さい頃からダンくんは弟のミカルくんの面倒を見ていたし、その状況が良いとは思わないから保育所が作られるのだが、他の子だって自分の弟や妹の面倒はもう見る年なのだ。
「わたしばかりあまえてないかな」
「僕はイデオンに甘えられるの好きなんだけどな」
「え? あまえて、いいの?」
驚いて涙に濡れた目を見開いてお兄ちゃんを見ると、青い目を細めて私を見つめている。お兄ちゃんの青い目には、薄茶色の髪のファンヌによく似た私の姿が映っていた。
まだまだ小さな体の子どもの私。
「イデオンが甘えてくれたら、僕はイデオンの特別だと思える。イデオンは叔母上にもビョルンさんにも甘えないでしょう?」
「うん……」
そういえば、私が甘えるのはお兄ちゃんだけだった。抱っこして欲しいのも、一緒にお風呂に入って髪を洗って欲しいのも、お兄ちゃんだけだ。他の誰かではいけないことを、特別という。
お兄ちゃんは私に甘えられるのが嫌ではないと言ってくれている。それどころか、甘えられるのが好きだと言ってくれている。
バスルームに入って頭を洗ってもらって、お兄ちゃんも頭と体を洗って湯船に入ると、ざぁっとお湯が溢れた。膝を付き合わせて座っていると、お兄ちゃんが私の額に額を合わせる。
間近から見るお兄ちゃんの目は青く穏やかだった。
「イデオンが僕にだけは甘えてくれるから、僕はつらい時期もイデオンがいると思って乗り越えられた。僕にとってイデオンは命の恩人なんだよ」
「そんなすごいことはしてないよ」
「そこにいるだけで、明日も生きようって思える。それだけでも凄いことだよ」
私の存在が、小さな頃からお兄ちゃんの生きていく希望になっていた。それを聞けば、6歳になってもお兄ちゃんに甘えて良いのかと思ってしまう。
特にお風呂は二人だけの内緒話ができる場所で、私にとっては大事な時間だった。
「カミラせんせいのあかちゃんがうまれても、おにいちゃんはかわらない?」
「それはそうだよ。イデオンは特別」
カミラ先生に赤ちゃんが生まれれば、お兄ちゃんにとっては血の繋がった従弟妹ができることになる。私とお兄ちゃんに血の繋がりはないから、特別だと言われてもやはり隔たりがあるのではないかと思わずにはいられない。
胸に灯った小さな不安もお兄ちゃんは吹き消してくれる。
お風呂から出てベッドに倒れ込むと、急激に眠気が襲ってきた。今日は色んなことがありすぎた。
疲れて寝てしまう私の前髪を上げて額にキスをして、お兄ちゃんもベッドに横になったようだった。
外の騒がしさで目を覚ますと、時刻はすっかり朝になっていた。オースルンド領に来てからちょっとお寝坊になっていたけれど、薬草畑の世話をするときにはもっと早く起きていたのだから起きてもおかしくはない時間なのだが、こんな時間に何が起きたのだろう。
起き上がって着替える私の視界には、着替えて部屋から出て行こうとするファンヌとヨアキムくんの姿があった。ヨアキムくんは靴下が自分でまだ上手に履けないので、裸足で駆けて行こうとしている。
「ヨアキムくん、まって。ファンヌも、まって」
ヨアキムくんを膝に乗せて靴下を履かせてあげて、ファンヌのボタンを掛け違えたワンピースも直してあげていると、お兄ちゃんが部屋の外から顔を出した。
「ドラゴンさんが来てるよ」
「ドラゴンさん、わたくしにあいにきたのね!」
大喜びで外に駆け出すファンヌを私とヨアキムくんとお兄ちゃんが追いかける。
ドラゴンは確かに来ていた。
庭の草花を踏み潰して、尻尾が庭からはみ出そうになっているのはもう仕方がないのだが、問題はその口に咥えたものだった。
びちびちとまだ生きているそれは、羽のある竜型の魔物、ワイバーンではないだろうか。魔物など捕まえて来られても、どうしようもない。
「ですから、どうして生きているワイバーンを一匹丸々持ってくるという発想になるのですか!?」
『我が守護するものは、幼く小さい。ワイバーンの肉には栄養がある。大きく育てねば』
「育てるにしても、生きているワイバーンは受け取れません!」
カミラ先生とドラゴンが激しく言い争いをしている。
お腹に赤ちゃんがいるのに、カミラ先生は大丈夫なのだろうか。ドラゴンが咥えたワイバーンはぷらんと吊り下げられて、びちびちと活きが良くもがいていた。
「わたくし、やります!」
「ファンヌー!?」
抜き払った菜切り包丁の刃が、料理をしたときとは全く違って、ファンヌの身長を超えるくらい大きくなっている。それを軽々と持って、ファンヌは跳躍した。
タイミングを合わせてワイバーンを放すドラゴンと、ワイバーンに切り付けるファンヌ。血しぶきが飛び散って、ワイバーンの喉笛がぱっくりと切られた。
「ファンヌちゃんー!?」
「しとめましたわ!」
血まみれで誇らしげに掲げる菜切り包丁は、もう既に元の子ども用包丁の大きさに戻っていた。しかし、庭にはワイバーンの死体が血塗れて倒れているし、ドラゴンが草花を踏み荒らしている。
「あのドラゴンに常識というものを教えなければいけませんね」
「カミラ様、無理をなさらず」
「私がやらねば、誰がやるのですか!」
沈痛な面持ちで言ったカミラ先生に、ビョルンさんが蒼白になって止めるが、カミラ先生は止まらない。
「ワイバーンは必要ありません! お引き取りください!」
『そういうわけにはいかぬ。幼子が仕留めたのだ、美味しく調理せねば』
「もう二度とワイバーンはいりませんからね!」
『幼子が育たぬではないか』
「守ってくださるのはありがたいですが、ルンダールのお屋敷は薬草を育てている畑があります。今回のように気軽に飛んでこられて降りられても困ります」
説教をするカミラ先生の勢いに、ドラゴンがどこか戸惑っている気がする。さすが神獣までも従えるカミラ先生。ドラゴンとの付き合いがこれから長くなることを、このときの私も流石に薄々勘付いていた。
ドラゴンが飛び去った後の庭の片付けと、ワイバーンの処理を考えると、私もお兄ちゃんも現実逃避したくてならなかった。
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