18.伝説の武器
目の前には小山のように大きな純白のドラゴン。鋭い爪と牙、太い手足、大きな胴、長い尻尾。純白の鬣が生えていて、背中には白い翼も生えている。理知的だが恐ろしくも感じるぎょろりとした水色の目で見降ろされて、私はすっかり怯え切ってお兄ちゃんに抱っこされてへばり付いていた。
早くファンヌとヨアキムくんを回収して帰らなければいけないのは分かっているのだが、怖くて体が動かない。
『幼きひとの子よ、それに触れてはならない』
「さわっちゃ、めー?」
『選ばれたものしかそれに触り、抜くことはできない』
選ばれていないものが触れてしまったらどうなるのだろう。
興味津々のファンヌは、今にも地面から生えている棒のようなものに触れそうに、手を伸ばしている。
『悪しき心を持つものが触れれば、神罰を受けるであろう』
私の可愛い妹のファンヌは好奇心旺盛で猪突猛進で、思い込みが激しくて一生懸命で、正義感が空回ってしまうことが多い。それでもまだ4歳なのだし、本人に悪気は全くない。
そうであっても悪しき心を持っていると判断されて、神罰を受けるのだろうか。
空から走る雷に打たれて真っ黒焦げになってしまうファンヌが見えた気がして、私は大いに慌てた。可愛い妹に神罰が下るだなんて、絶対に避けなければいけない。
「ファンヌ、それにさわっちゃだめだよ?」
「わたくし、せいぎのこころ、もってるの」
「それでも、だめだよ。ファンヌがけがをしたら、カミラせんせいもビョルンさんもわたしもおにいちゃんも、すごくかなしい」
「にぃたまは、わたくしをしんじてないの?」
信じていないわけではないが、触ったものに害があるかもしれないそれに、ファンヌにはできる限り触れて欲しくなかった。お兄ちゃんの腕から降ろしてもらって、じりじりと近付く私。お兄ちゃんもファンヌを刺激しないように、じりじりと近付いていく。
神の雷に妹が焼かれませんように。
祈りながらファンヌの胴体に腕を回して、その場から連れ去ろうとしたときには、ファンヌはしっかりと棒のようなものの端を握っていた。
『いけない、幼きひとの子よ。それを放すのだ』
「ふんぬー!」
私がファンヌの胴体を連れ去ろうと引っ張ったのもあって、棒のようなものが動いた気がする。
「手を放して、ファンヌ!」
「ふぁーたん、がんばって!」
注意を促すお兄ちゃんと、応援するヨアキムくんの声が重なる。
すぽんと音を立ててあっけなく、それは抜けてしまった。
抜けて……。
「え!? おにいちゃん、ぬけちゃった!?」
『なんと……こんな幼子が伝説の武器の所有者となるとは』
「わたくし、だいじょうぶだったでしょう?」
胸を張るファンヌの小さな手には、その手に合うように小さな子ども用の菜切り包丁が握られていた。
ちょっと、事態がよく分からない。
これは伝説の武器じゃなかったのだろうか。
なんで包丁なのだろう。
「オリヴェルおにぃたん、ほうちょうなのよ。やくそうが、よくきざめそう」
「う、うん……あれ? 包丁が地面に刺さってたの? 伝説の武器を守るドラゴンは、包丁を守っていたわけ?」
戸惑っているのは私だけではないようだ。お兄ちゃんの頭の上にも盛大にクエスチョンマークが飛んでいる。
地面に刺さった包丁、しかも子ども用を守るドラゴン。
格調高い神獣のはずが、急にその荘厳さがなくなってしまう。
『それは伝説の武器に間違いない。持つものに合わせて形を変える武器なのだ』
「かたちをかえるにしても、ほうちょう?」
「菜切り包丁? なんで?」
尊敬も畏怖も恐れも、全部吹っ飛んでしまった。
ドラゴンと顔を見合わせている私とお兄ちゃんを置き去りにして、ファンヌは安全のために刃の部分に鞘がついている包丁を高く掲げているし、ヨアキムくんはその様子に拍手喝さいしている。
戸惑っていたドラゴンも伝説の武器が抜かれたことに対して、腹を決めたようだった。
『こうなってしまったら、この子が伝説の武器の正当なる所持者だ。健やかに育ち、正しき心を持つように、守護しよう』
ファンヌを守護するということは、このドラゴンがルンダール領を守護するということにもなる。これはお兄ちゃんの願っていたことではないのだろうか。
思わぬところでドラゴンの守護を受けられることになったファンヌ。
放心状態でドラゴンの声を聞いていたが、入口から呼ぶカミラ先生とビョルンさんの声に私たちは慌てた。
「ドラゴンさん、わたしたちのほごしゃがしんぱいしているので、これでしつれいします」
『待て、幼き少年よ』
「はい? わたしですか?」
『そなたの妹一人では、恐らく伝説の武器は抜けなかった。そなたもまた、正義を貫く心を持つもの。そなたの守護も約束しよう』
地面に刺さった棒のようなものをファンヌが掴んで、私がファンヌを引っ張ったからあれは抜けて子ども用の菜切り包丁になった。そう言っているのだと気付いて、私は自分のしでかしてしまったことに頭を抱えたくなった。
子ども用の菜切り包丁を伝説の武器と気付くひとはいないだろうが、それにしても伝説の武器からファンヌを引き離そうとする私の行動が裏目に出てしまったなんて。
落ち込む私をお兄ちゃんが手を繋いで、手を引いてくれる。子ども用の鞘付きの菜切り包丁を掲げたファンヌは、ヨアキムくんに手を引かれてぽてぽてと歩いていた。
「ドラゴンのしゅごがえられたのはよかったけど……わたしがファンヌをひっぱったせいで……」
「イデオンは悪くないよ。びっくりはしたけどね」
涙が出てきそうになる私を、お兄ちゃんは慰めてくれた。
祠から出て来た後がまた大変だった。カミラ先生もビョルンさんも、魔術の才能が高い方である。ファンヌの持っている子ども用の菜切り包丁に並々ならぬ魔力があるのは、鞘で封印してあっても一目で分かったようだった。
「イデオンくん、オリヴェル、もしかして、あれは……」
「わたくしのほうちょうなの! でんせつのぶきよ!」
「嘘でしょう……ファンヌちゃんが、ドラゴンの守護を得るなんて……」
伝説の武器を持つものには神獣たるドラゴンの守護が付く。そのことをカミラ先生もビョルンさんも知っていた。
「地面に刺さって封印されていたものが、ファンヌが握って、イデオンがファンヌを引っ張ったら抜けたみたいなんです」
「わたしがファンヌをひっぱらなければぬけなかったって、ドラゴンさんはいっていました……ごめんなさい。わたしのせいで」
「イデオン、泣かなくていいよ。結果が分かってやったことじゃないんだもの」
涙がぼろぼろと零れて視界が滲む私を、お兄ちゃんが抱き上げて慰めてくれる。
これからルンダール領にドラゴンが現れるかもしれない。ルンダールの領民は空を過るドラゴンの陰に怯えるかもしれないし、降りる場所も考えないと薬草畑が踏み荒らされてしまうかもしれない。
問題は山積みだった。
「これからのことは後で考えて、一度別荘に戻りましょう。ヨアキムくんが眠くて倒れそうです」
お昼寝をしないまま来てしまったので、ヨアキムくんは短時間に起きた出来事に疲れたのか、頭がぐらぐらして眠りかけていた。ビョルンさんが抱っこすると、そのまますうすうと寝息を立てて寝てしまう。
別荘に戻ってヨアキムくんをビョルンさんがベッドに寝かせると、ファンヌも寝る気満々でベッドに上がる。
「ファンヌちゃん、包丁は置いておこうか?」
「わたくしのでんせつのぶきよ?」
「寝るときに刃物は危ないからね」
優しくビョルンさんに注意されても、包丁を手放さないファンヌの手から、カミラ先生がそっと取り上げようとすると、びりっと電流が走ったのが見えた。
「持ち主以外が触れないようになっているようですね」
肌を焼くほどではないが、電流で痛みを覚えたカミラ先生が手を引くのに、ビョルンさんは心配そうにカミラ先生の手を握る。
「ファンヌ、せめて、ポシェットにいれて」
「カミラてんてー、だいじょうぶ? ごめんなさい……ポシェットにいれます」
電流が走るとは思っていなかったファンヌは、カミラ先生の手を痛めてしまったことを反省して包丁はニンジンのポシェットの中に入れた。
健やかに眠る二人の寝顔を見ながら、お兄ちゃんと私は顔を見合わせ、ため息を吐いたのだった。
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