9.新年と嘘
貴族社会では家の乗っ取りは、禁忌とされている。兄であるオリヴェルがルンダール家の正当な跡取りで、私の父親は入り婿で、前の当主のアンネリ様が亡くなった後に再婚して生まれた私とファンヌには、家を継ぐ資格がない。
父親が当主面をしているのも、お兄ちゃんが成人するまでの後ろ盾として、という名目でだった。
正当な後継者のお兄ちゃんを押しのけて、私やファンヌに家を継がせたら、社交界で白い目で見られて、爪はじきにされることだろう。何より、この国の法律で、子どもの生まれた順序に関わらず、魔術の才能の高いものが家を継ぐことが決まっていた。
私とファンヌとお兄ちゃん。この三人の中で、魔術の才能が一番高いのは、間違いなくお兄ちゃんだった。攻撃の特性はないが、防御や薬草学に秀でていて、ルンダール家の領地では、昔から薬草栽培が盛んだった。
まだ幼年学校にも行っていない年なので、私やファンヌの魔術の特性は、詳しく調べられていない。
後継者はお兄ちゃんのはずなのに、私の3歳の誕生日パーティーは貴族に顔見世をするように盛大に開かれて、お兄ちゃんの誕生日は放置されている。幼かったので、そのことに気付いていなかったが、新年のお祝いのパーティーで、私はまた窮屈で面倒な正装を着せられて、引っ張り出されたときに、見知らぬ貴族に囲まれてしまった。
「ルンダール家の後継者は、この子ではなく、オリヴェル様でしょう?」
「どうして、この子が当然のような顔をして出席しているのです?」
「この子がルンダール家を継ぐなんておっしゃいませんよね」
糾弾されているのは両親なのに、大きな大人に囲まれて、私は怖くておしっこを漏らしそうになっていた。刺々しい視線がこちらに向いてくるし、パーティーのお料理も誰も取り分けてくれず、お腹は鳴るし、切なくてお兄ちゃんとファンヌと乳母の元に帰りたくてたまらない。
「オリヴェル様は、アンネリ様に似て、とても病弱なのです」
「びょうじゃく……って、なぁに?」
「お前は黙っていなさい!」
こんなときお兄ちゃんならば聞いたらすぐに答えをくれるので、つい聞いてしまったが、鋭く母親に叱責されて、私は唇を尖らせて、眉間に皺を寄せて、くしゃくしゃの不満顔を作った。
私の顔を見て、貴族たちが嫌な笑いを浮かべる。
「病弱とは、本当でしょうか」
「坊や、病弱とはね、すぐに病気になってしまうことを言うんですよ」
病気になってしまう。
夢の中でお兄ちゃんは窶れて、病気になって死んでしまった。
一緒に過ごしている限り、お兄ちゃんは身体も大きく、逞しく、毎日薬草畑の世話をしていて、とても健康だった。真冬でも薄い上着を着て、マンドラゴラの様子を見に行って、風邪を引いたこともない。
「あにうえは、びょうじゃくじゃないです」
「この子は小さくて何も分かっていないんです。オリヴェル様は公の場に出られるほど、健康ではないのです」
嘘を吐いている。
両親はお兄ちゃんを病気にさせたいのだ。
お兄ちゃんと同時に見た悪夢は、両親が仕組んだものだったとしたら。
怖くなって私の脚がかくかくと震える。
お兄ちゃんが死んでしまうなんて、絶対に嫌だ。二度と会えないなんて、そんなことになったら、私も生きてはいけない。
パーティーが終わって戻って来た私を、まずお手洗いに連れて行ってくれて、お兄ちゃんは着替えさせてくれた。ずっと我慢していたので、漏れそうになっていたが、お兄ちゃんが気付いてくれたおかげで、漏らさずに済んだ。
あの場で私のお手洗いや食事を気にかけてくれるものなど、誰もいなかった。周囲は全て敵だと、私は思い知らされた。
お腹がぺこぺこで倒れそうな私を座らせて、お兄ちゃんは取っておいてくれた晩御飯を食べさせてくれた。
「ちちうえ、おにーたんはびょうじゃくで、おびょうきなんだっていってたの」
「僕を表に出したくないんだよ」
「おにーたん、ちちうえのせいで、おびょうきなの?」
「病気ということにされているだけで、僕はとても元気だよ」
ご飯を食べながら話をしていると、安心して眠くなってくる。こっくりこっくりと眠りそうになって、頭が下がって、シチューに顔を突っ込みそうになった私を、お兄ちゃんは抱き留めてくれた。
「お風呂に入って歯磨きをしないと」
「ん、はみがき、する」
いつもは乳母がお風呂に入れてくれるのだが、もうファンヌが眠たくて乳母と一緒に眠っていたので、その日はお兄ちゃんがお風呂にいれてくれた。温かいお湯は使わせてもらえるので、バスタブにいっぱい溜めたお湯の中で、しっかりと体を温めて、髪も洗ってもらって、身体も綺麗に洗ってもらって、脱衣所でパジャマを着ながらお兄ちゃんが洗って出て来るのを待つ。
「子ども部屋にはお風呂が付いているから、僕も使わせてもらえて助かるよ」
「おにーたんのおへや、おふろないね。どうしてたの?」
「週に二回くらいはお風呂を使わせてもらっていたけど、それ以外は……」
お風呂に入れない日が多くて、お兄ちゃんは幼年学校で夏場は特に臭いとか、汚いとか言われていたようだった。最低限の身だしなみすら許されなかったお兄ちゃん。
大きく口を開けて歯磨きをしてもらいながら、私は眠い頭で考えていた。
恐ろしい思い出したくもないお兄ちゃんが死んでしまう夢。栄養失調で病気になって死んでしまうお兄ちゃんは、両親が仕組んだ未来の姿だったのではないだろうか。
あれが現実になりそうな気がして、怖くて涙と洟が出て来る。
「イデオン、痛かった?」
泣いてしまった私に、お兄ちゃんは歯ブラシが当たったのか心配してくれるが、私は痛みで涙が出たのではなかった。
「おにーたん、しんじゃやー!」
「死なないよ。死にたくないからね」
アンネリ様が亡くなってからは、実の両親と同じ場所に行きたいと願ったこともあるというお兄ちゃんだが、私とファンヌと触れ合うようになって、死にたくないと思うようになったと言っていた。
お兄ちゃんは私とファンヌと出会って変わった。
未来は変えられるのかもしれない。
怖いお兄ちゃんが死んでしまう夢が未来だったとしても、私がどうにかすればその未来を変えられるかもしれない。
眠たくて、お兄ちゃんに抱っこされてベッドに運ばれながら、私は具体的にどうすればいいのか一生懸命考えていた。
目が覚めると、息を吸い込むだけで肺がキンと痛くなるほど、部屋の中は寒かった。手足が冷たくて、震えている私に、起きたお兄ちゃんが自分の懐に私の手足を入れてくれる。
「寒いね……お布団から出たくないよ」
「もうちょっと、ねよ?」
「うーん……畑が気になるからなぁ」
「おにーちゃん、おねつになっちゃうの」
こんな寒さで外に出たら熱を出す。
夏場に一度熱を出して寝込んだ私は、病気と言えば熱だと信じ込んでいた。いつまでもベッドの中にいられないので、震えながら出て、服を着替えるが、手が冷たくてボタンが留められない。
「おにーたん、ボタン、できない」
「してあげようね」
私の訴えに、しゃがみ込んで私の服のボタンを一つ一つ丁寧に留めてくれるお兄ちゃん。乳母に抱っこされて来たファンヌは、寒くて洟を垂らしていた。
「外は真っ白ですよ。今日は薬草畑に行くのは諦めてくださいませ」
乳母に教えられて、曇った窓の外を覗けば、庭は一面の雪景色だった。雪というものを初めて認識した私は、その白さと眩さに目がちかちかする。
「おにーたん、ゆきって、なぁに?」
「雨が寒さで凍ったものだよ」
「こおったってなぁに?」
「水は寒くなると氷という固体に変わるんだ。それを凍るっていうの」
「こたいってなぁに?」
「水みたいに掴めないとろとろしたものが液体、お皿やスプーンみたいに掴める硬いものが固体だよ」
どれだけ私が問いかけても、お兄ちゃんは持てるだけの知識で答えをくれる。難しい言葉も使うけれど、その意味を聞けばきちんと答えてくれるので、当時の私は通常の3歳児よりも賢かったかもしれない。
「マンドラゴラ、おみず、こおりになってるから、あげられない?」
「あ、そうだね。でも、雪を退けてあげないと、マンドラゴラが枯れてしまうかもしれないから」
「はたけ、いくの? ……わたち、てぶくろあるから、へーき! わたちもいく!」
雪の日でも薬草畑に行くお兄ちゃんが、お熱になって、死んでしまってはいけない。何ができるわけではないが、お兄ちゃんが倒れたら、助けを呼びにいくくらいは、小さな私でもできる。
定められた未来を変えるために、3歳の私はお兄ちゃんの傍を離れないことを徹底することにした。
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