11.イデオン誘拐事件
幼年学校に登下校するときには、お屋敷で雇われた決まった御者さんの毎日同じ馬車が来ることになっている。幼年学校の授業が終わるのは、お昼過ぎなので馬車もその時間には校門に来てくれていた。
お兄ちゃんが先に魔術学校の授業が終わって、魔術の通信具で連絡を受けてそちらに迎えに行ってから来ることもあるので、遅れることはある。そういうときには、私の魔術具に連絡が来るのだが、その日は連絡もなく、馬車は遅れていた。
他の一年生たちが帰っていく中で、貴族の子どもらしい綺麗な身なりの女の子が馬車に乗って私の方を見た。
「馬車が来ないの? ルンダールの子でしょう? 送らせましょうか?」
体の大きさからして六年生くらいだろうか。声をかけられて、私はふるふると首を振る。
「しんぱいをかけるので、まってます」
「遠慮しなくていいのに。ほら乗って」
「いえ、いいです」
本当に私が拒否しているのに、腕を引っ張られて馬車に乗せられてしまう。これは困ったことになったと胸に下げたプレート型の魔術具を握っていると、馬車が違う道を走って行くことに気付いた。
「わたしのいえは、こっちじゃないですよ」
「お茶くらいしていってもいいでしょう? あなた、一年生で可愛いってうわさよ」
「まって、おります。がっこうにもどして」
「もう着くからじっとしてて。席から落ちるよ?」
がちゃがちゃと馬車の扉を開こうとしても、外から鍵がかかっているのか、安全のために走行中は開かない魔術がかけられているのか、全然開かない。困り切ってしまう私を、その女の子は自分の家に連れて帰ってしまった。
ルンダールのお屋敷ほどではないけれど、そこそこに広いお屋敷に入らないように抵抗しても小さな私は、引きずられて連れて行かれてしまう。
客間のソファに座らされてから、その女の子は使用人にお茶の用意をさせて、私に切り出した。
「オリヴェル様を呼べるでしょう?」
あぁ、なんてこと。
狙いは最初からお兄ちゃんだったのだ。
15歳にもなるのだし、次期当主なのだからお見合いもたくさん申し込みが届いていて、婚約を急かされていることは知らないわけではなかった。けれど、カミラ先生が好きではない相手とは結婚することはないという信条の持ち主だったので、私はすっかりと油断してしまっていた。
私を囮にお兄ちゃんが呼び出されてしまう。
目の前の女の子が学校に来るにしては綺麗な格好で、お洒落をしている理由もそれで分かった。
「よびません。いえにかえしてください」
「まだお茶もお菓子も出てないわよ。オリヴェル様ともお茶がしたいんだけれど」
「おにいちゃんは、よびません」
もっと早く気付いていればマンドラゴラを窓から投げるとか、魔術具でお兄ちゃんに伝えるとかできたのだが、今それをしてしまうと間違いなくお兄ちゃんは私を心配して来てしまう。
お兄ちゃんが来たらこの女の子の思う壺だ。
がっくりと肩を落とした私の前にお茶とお菓子が運ばれて来る。こんな場所でお茶をしたくなかった。お兄ちゃんとお揃いのカップで、お屋敷でファンヌとヨアキムくんと、カミラ先生とビョルンさんと、お茶をしたかった。
どうすれば帰れるのか。
考えて私は恥ずかしながら、足をもじもじさせ始めた。
「おてあらいに、いきたいんですが」
「連れて行ってあげて」
使用人に声をかけた女の子から離れて、私はお手洗いに連れて行ってもらう。
お手洗いに入ると、肩掛けのバッグからマンドラゴラを取り出して、「おねがい」と言って窓から投げ出した。
お手洗いを済ませて戻ってくると、女の子は妹を呼んでいた。幼年学校に入る前の私より小さな女の子。
「はじめまして。おねえさま、このこがかわいいって、うわさのこ?」
「そうよ、あなたが会いたがってたし、オリヴェル様も呼んで欲しいし、連れて来たの」
連れて来たのじゃない!
これは純然たる誘拐だ。
怒りに言葉も出ない私に、妹の方が近寄って来る。
「わたしとおなじくらいね。わたし、らいねんからようねんがっこうにいくのよ。あなたとこんやくしてあげてもよくてよ?」
しかも、私までターゲットに入っていた。
助けてと思っていると玄関の方が騒がしくなってきた。
「オリヴェル様がいらっしゃったの? お通しして?」
嬉しそうに言う姉の方の前で、客間の扉が蝶番ごと外れた。
え? カミラ先生……じゃない!? お兄ちゃん!?
お兄ちゃんが肉体強化の魔術を使えたのかと驚いてしまったが、よく見ると抱っこしているファンヌが扉をもぎ取ったようだった。いつもは穏やかなお兄ちゃんの目が青い炎のように怒りに燃えている。
「僕に会いたいからイデオンを連れ去ったんですか……?」
「オリヴェル様がお見合いを受けてくださらないから」
「叔母上からお断りはしていましたよね。イデオン、帰ろう」
「おにいちゃん!」
飛び付こうとすると、妹の方が私の手を握って来る。
「おちゃしてほしいの」
「いやだ! わたしはじぶんのいえで、お兄ちゃんとファンヌとヨアキムくんとカミラせんせいとビョルンさんとおちゃをする!」
「やぁー! すこしくらいいいでしょう?」
振り払うと泣き出してしまったけれど、そんなことは気にせずに私はお兄ちゃんに飛び付いた。ファンヌを足元にいたヨアキムくんを乗せたリンゴちゃんの上に乗せて、お兄ちゃんはしっかりと私を抱っこしてくれる。
「ごめんなさい、ばしゃにのりたくなかったんだけど……」
「御者が気分の悪いひとを助けて遅れたって言ってたけど、あなたの差し金ですよね。こういうことが以後あれば、誘拐事件として訴えますから」
堂々と言い切って私を抱えて屋敷から出て行くお兄ちゃんは格好良くて、情けなさに出そうだった涙も引っ込んだ。
いつもの馬車に乗り込むと、ほっとしてお兄ちゃんに抱き付いてしまう。
「おにいちゃんにめいわくをかけるかとおもって、よべなくて」
「呼んで良いんだよ。今回のことは叔母上に報告して、ちゃんと処理してもらうから」
「ごめんなさい」
「謝らないで。無事で良かった、イデオン」
優しく抱き締められて、私は堪えていた涙が決壊してしまった。ぼろぼろと涙を流して泣く私を見て、ファンヌとヨアキムくんが「やっぱりにぃたまは、わたくしがいないと」「いでおにぃに、なかてた! ゆるてない」と言い合っている。
二人とも助けに来てくれて本当にありがたかった。洟を啜りながらお礼を言う。
「ファンヌとヨアキムくんも、ありがとう」
「いいのよ。オリヴェルおにぃたんからにぃたまがいないってれんらくがきて、がっこうのまわりをさがしてたの」
「リンゴたん、たかちてくれたの」
三人が探していたら血相を変えてマンドラゴラたちが呼びに来たので、それについて行ったらあの屋敷に着いたのだという。
「だいこんさんも、かぶさんも、ジャガイモさんも、ありがとう」
「びぎょえ!」
「ぎゃぎょ!」
「びょえ!」
お礼を言えば誇らしげな様子で、マンドラゴラたちは肩掛けのバッグに戻って行った。
結局お兄ちゃんをあの女の子に会わせることになってしまったが、心配するようなことは何もなかったのだと私は涙を拭きながら考えていた。
「おにいちゃんが、むりやりおみあいさせられたら、いやだとおもって、つうしんできなかったの……」
「そんなことは叔母上が許さないし、僕も自分の嫌なことは嫌だって言うよ。僕を気にしないで、危ないときにはいつでも呼んで」
「おにいちゃん、ありがとう」
抱き付いて泣いている私をお兄ちゃんは撫で続けてくれた。
お屋敷に帰ると、カミラ先生とビョルンさんが迎えてくれた。
「あの家には相応の罰を与えます。怖かったですね、イデオンくん」
「ふぇ……しんぱいかけて、ごめんなさい」
「謝らなくて良いのですよ」
私が抵抗できなかったから起きてしまったことなのに、誰も私を責めず、優しかった。その優しさに甘えて、私はおやつの時間もお兄ちゃんのお膝の上に抱っこされていた。
お揃いの青い薔薇のカップ。
それで飲むお茶は、いつもより甘く、美味しい気がした。
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