37.攫われた私
頻繁にビョルンさんがお屋敷に出入りするようになって、カミラ先生は変わった。今まで黒か紺の地味な細身のワンピースを着て、黒髪もひっ詰めていたのが、若草色や空色や臙脂色のワンピースも着るようになった。黒髪も一部垂らしたり、ハーフアップにしたりして、以前は近寄りがたい美女というイメージだったのだが、雰囲気も柔らかくなって愛らしさが加わった気がする。
切れ長の青い理知的な瞳、淡い赤の唇、白い肌に、長い睫毛。
ビョルンさんも年よりも若く見えるが、麦藁色の髪を整えて、大きな緑の目に長い睫毛、畑仕事で少し日に焼けているのもかっこよさを増している。
「叔母上、ビョルンさんも一緒にお茶をしませんか?」
休憩時間には仕事を抜けて子ども部屋に来てくれるカミラ先生に、お兄ちゃんが申し出た。
「ビョルンさんに聞いてみましょうね」
返事は「喜んで」ということで、子ども部屋に大人用の椅子を運び込み、ビョルンさんも交えてのおやつになった。スポンジケーキにジャムとクリームを挟んだものを、フォークでいただく。しっとりとしてずっしりと重いスポンジケーキは、小さなファンヌとヨアキムくんの手ではフォークで切れずに苦戦している。
「ヨアキムくん、どうぞ」
「いーの?」
「ファンヌちゃんはこちらへ」
「ありがと」
ヨアキムくんをビョルンさんが膝の上に乗せて、大きく開けたお口にスポンジケーキを運んであげて、カミラ先生がファンヌをお膝に乗せて、大きく開けたお口にスポンジケーキを運ぶ。
二人とも他人の子どもにもこれだけ優しいのだから、結婚して子どもが産まれたらどうなるのだろうなんて、想像してしまう私がいた。
「ビョルンたん、カミラてんてー、ジャムがすきよ」
「そうなんですか? 桑の実のジャムの頂き物があるんですよ。今度持ってきましょうね」
「ファンヌちゃんったら……。すみません」
「ジャム、おいち」
スポンジケーキに挟まれているジャムを見て思い出したのだろう、ファンヌがすかさずビョルンさんに吹き込んでいる。お口いっぱいに頬張って、ヨアキムくんはジャムの挟まれたスポンジケーキが美味しいと、ほっぺたを押さえていた。
楽しいお茶の時間が終わって、ビョルンさんが帰ろうとしていると、ヨアキムくんがハンカチを差し出してきた。おやつを食べたときに、ヨアキムくんのお口を拭いてくれたハンカチを、そのまま返し忘れていたようなのだ。
「びょりゅんたんの」
「いまなら、まにあうかも。とどけてくるね」
走って玄関を出て、門を出たビョルンさんに追い付いて、私はハンカチを差し出した。
「これ、ヨアキムくんから。ありがとうございまし……!?」
「イデオンくん!?」
お屋敷には何重にも結界が張ってある。
その結界に守られているから、私やファンヌやヨアキムくんやお兄ちゃんが、自由に庭に出てもいいことになっていた。庭から外に出るときには、決められた馬車に乗るか、カミラ先生か信頼する大人が一緒でないといけない。
そのことを忘れたわけではなかった。
ほんの数歩お屋敷から出ただけで、まさか狙われるとは思わなかったのだ。
私の胴を軽々と抱いて捕まえた見知らぬ男性が、近くに停めてあった馬車に詰め込む。追いかけて来たビョルンさんは私を助けようとするが、御者をしている男性に殴られて、ついでに馬車に引きずり込まれていた。
「びょ、ビョルンさん……」
「イデオンくん、平気?」
「わたしは……ビョルンさん、くちびるがきれてます」
ハンカチで切れた唇を押さえながら、馬車から逃げようと知恵を巡らせるが、魔術がかかっているのか、馬車の扉は全然開かない。がちゃがちゃと音を立てて扉を開けようとするが、腕力では無理なようだ。
「ごめんね、私は、薬草学や医学ばかりで、攻撃の魔術をほとんど使えないんだ」
扉を壊すこともできないと意気消沈するビョルンさんに、私は涙が出てきそうだった。私が油断しなければ、こんなことは起きなかった。5歳の子どもを攫うのは簡単だが、既にビョルンさんよりも大きいお兄ちゃんと一緒ならば、攫われなかったかもしれない。
自分でビョルンさんのところに出て行くのではなく、門の中から大声で呼べばよかったかもしれない。
後悔は次々とわいてくる。
「薄茶色の髪の方が、ルンダールの子どもだろ?」
「金髪の方はなんだ? どこかでバラして捨てるか?」
物騒な会話が御者席で行われている。
「イデオンくんだけは、絶対に無事に帰すから」
「ビョルンさん……」
「私は、当主の薬草に関する相談役だ。当主に要求があるなら、私を連れて行けばいい」
私を人質にとって、この男性たちはなにをしたいのか。
カミラ先生に要求があるのならば、なにもできない5歳の私は、絶好の獲物になってしまう。
これがファンヌだったら。
筋力強化の魔術を無意識で使えて、呪いと魔術の耐性もあるファンヌだったら、この窮地からビョルンさんを助けられたかもしれない。
これがヨアキムくんだったら。
呪いを操る能力のあるヨアキムくんだったら、御者台の男性たちに呪いをかけて、動けなくすることができたかもしれない。
3歳の二人よりも役に立たない私。
打ちのめされた私を、ビョルンさんが必死に守ってくれようとする。
「私だけでいいだろう?」
「依頼主は、その坊ちゃんに用があるんでね」
「わたしに? それなら、ビョルンさんは、かいほうしてください」
「そういうわけにもいかない」
捕えられた二人。
馬車は進んでいく。
窓からはとても逃げられそうにないが、手を出すことくらいはできた。私はこっそりといつも持っている肩掛けバッグに手を入れた。
どうすればいいのか試行錯誤している間に、下町の廃屋に連れて来られた。そこで待っていたのは、白い髪に赤い目のあの呪術師だった。
「牢屋番に金を掴ませて、逃げ出すのも手間だったよ」
「どうして、ここに!?」
「蛇の道は蛇ってやつかな。俺に弱みを握られてる貴族は多いもんでね」
呪いの依頼は貴族社会では大量に受けるのだろう。そういう貴族の中には、このアルビノの呪術師が捕まっていては、自分の依頼までばらされると怯えるものもいる。それを利用して、この呪術師は牢から逃げ出したのだ。
「お前のせいで、捕まるし、顧客情報を漏らしたと信用は落ちるし、最悪だ。お前には苦しんで死んでもらおう」
「それはさせない! イデオンくん、私の傍を離れないで」
「邪魔なのが付いてきたみたいだけど、呪いをかけられたいのか?」
アルビノの呪術師が編んでいく術式に、ビョルンさんも術式を編んでいく。呪いが弾けるや否や、ビョルンさんが編み上げた防御の魔術がそれを弾いた。
「攻撃は全然でも、防御は多少はできるんでね」
「なかなか侮れない……小僧より先に死んでもらおうか」
アルビノの魔術師が首から下げていた小さな瓶の蓋を開けると、灰色の煙が噴出する。慌てて私の口と鼻をハンカチでふさいだビョルンさんだが、煙を吸い込んで、げほげほと咳をし始めた。
ハンカチ程度で防げないのか、私もげほげほと咳をする。頭が痛くて、熱が上がる感覚に、寒くて身体が震えてくる。
「たす、けて……おにいちゃん……カミラ、せんせい……」
「ごめん、イデオンくん……」
倒れるビョルンさんはどこまでも私を守ってくれようと、私に覆いかぶさる。意識が遠くなり始めた頃だった。
「びゃー!」
「こっちですか?」
「びょえ!」
「イデオン、どこ!?」
「いでおにぃにー!」
「にぃたまー!」
ばんっと廃屋の扉が蝶番ごと外れて、リンゴちゃんに跨ったファンヌとヨアキムくん、肉体強化で走って来たカミラ先生と、カミラ先生に担がれたお兄ちゃんが走り込んできた。それを先導しているのは、マンドラゴラたちだった。
馬車の中でなにか手がかりになるものをと思って、私は蕪マンドラゴラ、大根マンドラゴラ、ジャガイモマンドラゴラを窓から順番に投げ捨てたのだ。
思惑通り、マンドラゴラはカミラ先生たちに私の窮地を知らせてくれて、道を辿ってここまで導いてくれた。
「地獄に落ちる覚悟は良いですね?」
「ふんぬー!」
カミラ先生が魔術を展開するより先に、リンゴちゃんから飛び降りたファンヌが、飛び上がって、ポシェットから出した棒を、アルビノの呪術師の脳天に振り下ろしていた。
物凄い打撃音が響いて、アルビノの呪術師が倒れる気配がする。
それを、私は気が遠くなりながら聞いていた。
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