20.ビョルンさんの往診
仕立て職人さんの店にも、理髪師さんの理髪店にも、普通は自分たちの方が出向く。けれど、ルンダール家は貴族で、領地の領主でもあったから、職人さんや理髪師さんの方を呼ぶのだと、カミラ先生は教えてくれた。お洒落な貴族は、社交パーティーのたびに理髪師さんを呼び、仕立て職人さんに衣装を作ってもらい、大変らしい。
そこまではしなくてもいいけれど、そろそろ大きくなってきた私の髪は、理髪師さんに切ってもらった方が良いとリーサさんがカミラ先生に言ってくれた。お兄ちゃんも自分で切るのではなく、これからは理髪師さんに整えてもらうようにする。
予約をした次の週末に来てもらえることになったのだが、それはちょうどビョルンさんがヨアキムくんの往診をする日だった。表の屈強な天使の像が踊っていた噴水は、取り壊されて、池に作り替えられている。まだ工事の途中だが、池が出来上がれば、鱗草の栽培も行える。
「鱗草の栽培方法をビョルンさんに聞かないと」
「ビョルンさんはめずらしいやくそうをたくさんもっているけれど、どこでてにいれているんだろうね」
「それも聞いてみたいね」
子ども部屋に髪の毛が散らないようにシートを敷いて、私が先に髪を切ってもらっている間も、私とお兄ちゃんのお喋りは止まらなかった。私が小さいので、理髪師さんは急に動いたりしないように、お兄ちゃんに気を付けてもらおうと、側にいてもらうように言ってくれたのだ。
おかげで、切られた髪の毛がちくちくするけれど、私は全然退屈しなかった。
お兄ちゃんが髪を切るときには、私が傍で見ている。
「鱗草の栽培は来年からかなぁ」
「おみずが、こおるから?」
「凍ったら、鱗草は息ができないんじゃないかな」
水が凍ることについては、以前にお兄ちゃんに教えてもらっていたし、冬の寒い時期にバケツに張った氷を見て、学習していた。水に濡れて手足が凍りそうに冷たかったのもよく覚えている。
「いけ、おかさまたん、ちゃぷちゃぷ?」
「ヨアキムくん、いけで、おさかな、かいちゃいの?」
「おかさまたん、きれーねー」
散髪風景を見ているファンヌとヨアキムくんも、池の話題で私たちに言いたいことがあるようだ。お兄ちゃんが微笑んで頷き、促すと、ヨアキムくんはファンヌを見た。
「おかさまたん、ほちいの」
「ヨアキムくん、いけで、おさかなかいちゃいんらって」
池で魚を飼う予定はなかったが、ヨアキムくんはこれまで触れると生き物が死んでいたので、魚にも餌をやったことがないのかもしれない。魚の餌も、ヨアキムくんが持てば、呪いがうつってしまっていたから。
やったことがないことがしたい。
それは子どもとして当然だし、何より、私も魚を飼ったことはなかった。
お料理として食卓に出て来るし、図鑑では見たことがあるが、それ以外の生きた魚を、私は見たことがない。
「おにいちゃん、いけでもかえる?」
「学校の池で飼ってるのをみたことがあるよ。金魚とか、鯉とか」
「きんぎょ! ヨアキムくん、きんぎょだって」
言われてヨアキムくんは、急いで自分のベッドに走って行って、オレンジの金魚の如雨露を持ってきた。雨が続いていて水やりの必要がないので、ヨアキムくんは買ってもらった金魚の如雨露をとても喜んで、抱いて寝ているのだ。
「ちんじょ!」
「きんぎょ、かえりゅといーねー」
「あい」
可愛いやり取りを聞いていると、カミラ先生がビョルンさんを連れて来た。ちょうどお兄ちゃんの髪を切り終わったところで、理髪師さんがビョルンさんを振り向く。
「いらっしゃいませ、ビョルンさん」
「ヨアキムくんのためにありがとうございます」
私とお兄ちゃんで挨拶をすると、理髪師さんはビョルンさんの袖を引いた。
「もう一人切る方がいたんですね」
「へ?」
「これは相当切ってないですね」
「いや、私は……」
「さっぱりやっちゃいましょう。あ、眼鏡を失礼しますよ。おぉ! 物凄くかっこいいじゃないですか。腕が鳴りますね」
あらま。
なし崩しにビョルンさんもぼさぼさの髪を切られてしまうことになった。押しに弱いのか、期待するカミラ先生とファンヌの目に弱いのか、髪を整えられたビョルンさんは、物凄く格好良かった。
「眼福です……」
「叔母上?」
「あ、つい。眼鏡をお返ししてください」
理髪師さんがビョルンさんに眼鏡を返して、料金を受け取って、散った髪の毛とシートを片付けて帰って行く。眼鏡をかけても、髪を整えたビョルンさんは格好良さがあふれ出ていた。
「びょりゅんしゃん、かっこいいの……」
「ふぁーたん……」
「ヨアキムくんはかーいーのよ」
ビョルンさんにファンヌが注目するのが面白くないのか、ほっぺたを膨らませたヨアキムくんに、ファンヌがぎゅっと抱き付いてほっぺたをくっ付ける。
ヨアキムくんは機嫌を直して、子ども部屋の椅子に座って、ビョルン先生に診てもらった。
「お薬、頑張って飲んでるみたいだね」
「あい」
「すごくいい感じだよ。呪いが薄まってる」
「いーの?」
「もう少しで魔術具なしで暮らせるようになるから、お薬、また頑張れる?」
「あい!」
お手手を上げて良い子のお返事をするヨアキムくん。何度咽ても、あの鱗草の溶け込んだ炭酸水を、毎食後、頑張って飲んでいた成果は現れたようだ。
小雨が降っていたので、ビョルンさんに傘をさしてもらって、庭を案内する。私とファンヌとヨアキムくんはレインコートを着て、お兄ちゃんとカミラ先生は傘を差している。
水たまりに靴の先を突っ込んで、ヨアキムくんは飛沫を立てていた。
「ちゃぷちゃぷ」
「ヨアキムくん、おくつがぬれちゃう」
「びょりゅんしゃん、ここがおいけになりゅの」
噴水を壊して池にするために掘り返している場所を案内するファンヌに、ビョルンさんは思い出したように、ポケットから小さな袋を取り出した。お兄ちゃんが受け取って、私たちに中を見せてくれると、綺麗な透ける空色の小さな粒が入っている。
「鱗草を育てると聞きましたので、種を持ってきました」
「この季節から育ててよろしいんですか?」
「鱗草は、水の中で冬を越す草なのです」
図鑑にも載っていなかった育て方を教えてもらって、池を急いで作らなければならないことが分かった。
裏庭の薬草畑に連れて行くと、ビョルンさんが薬草の並びを見ていた。収穫してもう植えていないものもあるが、そこに何が植えてあったか詳しく聞いてくる。
「その薬草と、そっちの薬草は隣同士に植えない方が良いですよ」
「そうなのですか?」
「種類が似ているので、交配が起きる可能性があります」
他にも相性の悪い薬草同士、相性の良い薬草同士など教えてもらった。
「これと、あれを一緒に植えると、害虫が付きにくくなります」
「お詳しいんですね。ビョルンさんは、薬草畑をお持ちですか?」
カミラ先生の問いかけに、ビョルンさんは笑顔になった。眼鏡をかけていても眩しいくらいの美しい笑顔だ。
「診察料が払えないひとで、現物支給も無理な場合には、畑で労働で払ってもらっているんですよ。次にいらしたときに、見て行かれますか?」
「ぜひ!」
それに、とカミラ先生は続ける。
「オリヴェルは研究課程に行きたいみたいなんです。ビョルンさんは行かれましたか?」
「行きましたよ。それじゃあ、オリヴェル様がおられるときに、来られてください。研究課程の話もしましょう」
カミラ先生とビョルンさんは仲睦まじく話している。
「叔母上とビョルンさん……イデオンが言った通りに良い感じだ」
「ね、いいかんじ」
顔を見合わせてお兄ちゃんと私はくすくすと笑う。
貴族の身分のあるビョルンさん。心優しく、街のひとのために現物支給でも、労働でも構わないので病気や怪我を診てくれている。そんなひとがカミラ先生と仲良くなるのは、私は大賛成だったし、お兄ちゃんも同じ気持ちのようだった。
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