5.夏のお熱
縫物をするときには、針やハサミが危ないので幼児は近くに寄せないか、眠っているときにする。夏休みに入ったお兄ちゃんは、私とファンヌの夏服を縫ってくれていた。パーティーに出席するときは体面のために服をくれるが、普段着は乳母に縫うように言っている母。縫物が苦手な上に、1歳のファンヌと3歳の私の面倒を見なければいけない乳母は、作るどころではなかった。
お膝の見えるハーフパンツに涼しい半そでのシャツ。ファンヌには半そでにカボチャパンツのロンパースを縫ってくれたお兄ちゃん。型紙も書庫から探し出して、私とファンヌに合うものを作ってくれた。
「あにうえのちゅくってくれた、およーふく」
「にぃ!」
「うれちいねー」
着せてもらって喜んでいる私もファンヌも、来年の夏にはそれが着れなくなるなんてことを知るはずがない。ずっと着ておきたいくらい、お兄ちゃんの作ってくれた服は私の宝物だった。
麦わら帽子を被って、今日も日差しの中、裏庭の薬草畑に行く。雑草を抜いたり、虫を退治したり、仕事はたくさんあった。
小さすぎてまだ軍手の使えない私は、虫を見つけたら、かぶれるかもしれないので、お兄ちゃんに教えるように言われていた。
「おにーたん、ここ!」
「うっ!」
「ファンヌ、だめーなの」
猪突猛進で虫を掴み取ろうとするファンヌを止めながら、お兄ちゃんを呼んで、虫を駆除する。
「葉っぱを食べて根を枯らす虫と、その虫を食べる虫と、実がなるのを手伝う虫がいるんだよ」
「みんな、わるいの、ちがうの?」
「そう。役に立つ虫もいるんだ。これは葉っぱを食べる虫だから、退けるけどね」
虫にも色んな種類がある。
実践を通してお兄ちゃんは教えてくれる。特に実が成るのを手伝ういわゆる蜂のような虫は、触るととても危険なので注意するように教えてくれた。
「いーむちと、わるいむちがいるの」
「良いとか、悪いとかは、僕たちが勝手に決めてるだけで、どの虫も生きようと一生懸命なだけだよ。それでも、好きにさせていたら、せっかく育てた薬草畑が台無しになってしまうから、申し訳ないけど、駆除させてもらうんだ」
「いー、と、わるい、ないの?」
「良いとか、悪いとかは、見るひとによって変わって来るんだ」
とても難しいことを言われた気がするが、それがすごく大事な気がして、私はそのことを胸に刻んだ。
暑い裏庭で長時間作業をするときには、お兄ちゃんはこまめに私とファンヌにお水を飲ませてくれる。お日様があまりに暑いときには、水をかけて水遊びもさせてくれる。
気を付けてはもらっていても、私の小さな体が暑さに負けてしまったときがあった。
頭がくらくらして、気分が悪くて、しゃがみ込んだ私を、お兄ちゃんが抱っこしてくれる。
「大変だ、お熱がある」
「うお!?」
「ファンヌ、お部屋に戻ろう」
夏の暑さとはしゃぎ過ぎた疲れで、私は熱を出してしまったようだった。真っ赤なほっぺたで、着替えさせてもらって、冷たいタオルを頭に乗せてもらっても、ふぅふぅと荒い息が止まらない。息苦しくて、水も飲めない私を、ファンヌがベッドに上がり込んで心配して、汗ばんだ髪を撫でてくれる。
「旦那様に知らせましょう」
乳母が走って行ったが、しばらくして意気消沈して戻って来た。
「子どもが熱を出すなんてよくあることだと……医者に診せるまでもないと言われました」
言われたことはそれだけではない。
そんなことくらいで自分のところに来るなとか、酷いことを乳母は言われたに違いなかった。それでも、私のために医者を呼んでくれるように必死に頼んだのだろう。乳母の目元が赤く腫れているのは、気のせいではない。
「怪我を……殴られたのですか?」
「灰皿を投げられました。わたくしのことは良いのです。イデオン様を」
「熱が下がりませんね。調べてきます」
書庫にお兄ちゃんが戻ってしまうのが心細くて、私はベッドの上で泣いていた。起き上がれないし、気分が悪くて眠れないし、頭も痛い。
「おにーたん……おにーたん、いかないでぇ」
置いて行かないで。
側にいて欲しい。お兄ちゃんが傍にいるのが一番安心する。
魘されるように繰り返す私に、お兄ちゃんは薬草を厨房で煎じて持ってきてくれた。
「苦いけど、我慢して飲める?」
「がまんちる」
「強い子だね、イデオン」
どろりとして青臭い薬湯の入ったカップを渡されて、背中を支えて起こしてもらって、私は一生懸命中身を飲む。青臭い匂いと苦い味が口に広がった。
「うぇ……」
「飲めないかな? イデオンと一緒に育てた薬草なんだけど」
「がんばう」
一度は吐きそうになってしまったが、これがお兄ちゃんと一緒に育てた大事な薬草で、それを惜しみなく使ってくれたお兄ちゃんの気持ちを感じ取れない私ではなかった。何度も吐きそうになりながらも、必死に飲み込む。
全部飲めたら、お兄ちゃんは私の口に小さな白い欠片を入れてくれた。
「あまぁい!」
「角砂糖だよ。厨房から貰って来た」
「おいちいね」
「お水を少し飲んで休もうか」
漏らしてもいいようにオムツに履き替えさせられて、お水を飲んで、私はベッドで眠った。目が覚めてお兄ちゃんを呼ぶたびに、お兄ちゃんはベッドに来てくれて、私に水を飲ませ、オムツを替えて、一晩中子ども部屋にいてくれた。
翌朝には私の熱は下がっていたが、頭痛が残っていた。
「あたまが、いちゃいの」
「熱が下がると頭が痛くなるんだよ。今日まではゆっくり休んで、様子を見ようね」
「おにーたんのだいじなやくとう、ごめしゃい」
「大事なイデオンのために使えたなら、育てた甲斐があるよ。僕は水やりにいってくるから、もう少しお休み」
早朝のまだ薄暗い時間に起きた私の額にキスをして、お兄ちゃんは裏庭の薬草畑に出かけて行った。昨日はお風呂にも入っていないし、熱で汗もいっぱいかいたのに、躊躇うことなくお兄ちゃんがキスしてくれた額。
ふわふわと熱の名残でまだ本調子じゃない私は、キスされたそこが暖かい気がして、小さな手で押さえていた。
朝ご飯の時間にはお兄ちゃんは戻ってきて、子ども部屋で一緒にご飯を食べてくれる。厨房にお兄ちゃんが出向いた日から、私とファンヌのご飯は、ヴァリエーション豊かになっていた。
スープとパンかパン粥だけだったのが、スープに、オムレツに、サラダとパンの朝ご飯になっている。夕飯には、グラタンやラザニアが出て来たり、お魚のムニエルやベーコンや塩漬けの豚肉のポトフが出てきたりする。
おやつは厨房でお兄ちゃんが作ってくれることが多かった。
美味しいご飯を食べて、私は次の日にはすっかりと元気になって、また裏庭の畑に行けるようになっていた。
最近の私の興味の対象は、お兄ちゃんが一番奥の畝で育てている、妙な音を立てる薬草だった。
「びぎゃ」
「ぎょえ」
「ぎょぎょ?」
薬草同士が会話でもしているように聞こえる。
「おにーたん、あえ、なぁに?」
「マンドラゴラだよ。魔術学校の先生に少しだけ種を分けてもらえたから、育ててみてるんだけど……あまり育ちが良くなくてね」
「ごはん、ほちいの?」
「そう、マンドラゴラには栄養剤が必須なんだけど、僕はまだ作れないんだ」
そんなことを話しながら部屋に戻ると、母親がいるのに私はびくりと反応して、お兄ちゃんの脚元に隠れた。母親は乳母に会いに来ていたようだった。
「いー!」とファンヌがちょっとしか生えていない歯を剥いて母親を威嚇するのを、お兄ちゃんが止めている。
「イデオンが熱を出したというけれど、もう元気じゃない。これだから、子育てを分かってない輩は困るわ」
「そ、それは……」
育てた薬草でお兄ちゃんが助けてくれたのだが、そのことを言ってしまうと秘密の薬草畑のことが知られてしまう。言い返せない乳母を、母親が見下した目で嘲笑う。
「本当に役立たずね。オリヴェルは、ちゃんとイデオンに魔術を教えているの?」
役立たずではないと言いたいのに言えない悔しさに、私は涙がでそうだった。
魔術学校に通う条件として、両親は私とファンヌの面倒を見ることと、私に魔術を教えること。それを賢いお兄ちゃんが忘れるわけがない。
「まだ魔術を習い始めたばかりなので、教えられることがありません」
「イデオンは最高の魔術師にならなければいけないのよ。さっさと教えなさい。そうでなければ、魔術学校へは行かせないわよ」
まだ一年生のお兄ちゃんは魔術を習い始めたばかりで、夏休みに入って魔術学校もなくて授業は進んでいない。何よりも、幼い子どもが分からないままに魔術を使って暴走させることがどれだけ危険か、お兄ちゃんはちゃんと分かっていた。
「申し訳ありません。魔術が上達したら、きっと」
魔術を教えるよりもずっと有意義な、薬草畑の世話をお兄ちゃんは教えてくれている。生きるためには美味しいものを食べることが必要だということも。
それを母親に説いても理解しなかっただろうし、薬草畑のことはお兄ちゃんとの秘密だった。
立ち去る母親に、乳母が泣いているのを、お兄ちゃんと私とファンヌで慰めた。乳母の目元の痣は、一週間くらい消えなかった。
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