27.発表会の後で
発表会は大成功で終わった。
エリアス先生の伴奏で私がこれまでにお兄ちゃんに捧げて来た曲を歌い、最後にファンヌとヨアキムくんと一緒に国王陛下とセシーリア殿下の結婚の式典で歌った曲を歌う。
喉も好調でファンヌとヨアキムくんの声に私の声が合わさって、音楽堂の高い天井に美しい歌声が響いた。これまでの練習よりも最高の出来になったのは、音楽堂の音響が本当に良かったからだろう。
発表会が終わるとルンダール家でお茶会が開かれた。
目を赤くしたリーサさんが私とファンヌとヨアキムくんに挨拶に来てくれた。
「わたくし、図々しいですが、三人の母親のつもりだったんですよ」
「リーサさんもそう思ってくれていたのね!」
「一生言うことはないだろうと思っておりましたが、あんなに素晴らしい場所で泣かせるようなことを言われると、白状しないわけにはいかないでしょう」
思い出したのか潤んで来たリーサさんの瞳。ハンカチで目元を押さえてリーサさんは微笑む。
「下に弟妹がいたから平気だと思ったけど、赤ん坊の世話は想像以上に大変でした。何日も眠れない夜が続いて、逃げ出してしまおうかと思ったこともあります。残っていたのは、逃げ出したら借金が返せなかっただけのことで、わたくしは聖母でもなんでもないのです」
それでも、とリーサさんは言葉を続ける。
「育つにつれてわたくしに懐いてくれるイデオン様とファンヌ様は本当に可愛らしかった。ヨアキム様もわたくしに全幅の信頼を寄せてくれて……。産んでいないけれど、わたくしは母親になった気分だったのですよ。カスパル様と結婚していなければ、平民の使用人風情がと言われて当然なのに……ファンヌ様はそんなことを仰らず、あんな場所でわたくしに感謝を述べてくださった」
「わたくしだけの気持ちではないのよ」
「分かっております。イデオン様もヨアキム様もありがとうございます」
「ありがとうを言うのはこちらの方ですよ」
「リーサさん、ありがとうございます」
涙ぐんだリーサさんにファンヌと私とヨアキムくんが言う。
平民であることも、使用人であることも私たちには関係なかった。私たちはリーサさんという個人が大好きなのだ。
「リーサさんだからこそカスパルさんに選ばれたのよ」
「自信を持ってください」
「大好きです……僕には母がいっぱいで幸せですね」
言われてみれば、ヨアキムくんにはビルギットさんがいて、カミラ先生がいて、リーサさんがいる。母親の中に数えられていることがリーサさんは嬉しいようだった。
コニーくんが呼んでいるのでリーサさんがカスパルさんのところに行くと、カミラ先生とビョルンさんが来てくれる。感極まったのかカミラ先生は涙目のままヨアキムくんを抱き締めていた。
「こんな立派な息子が持てて、私は誇らしいです」
穏やかに微笑むビョルンさんの目も潤んでいる。
「父上と母上が僕を養子にしてくれたおかげで、僕にも家族が出来ました。オースルンド領には住みませんが、ルンダール領でお茶畑のある領地を治めて立派な当主になります」
「そのうち『大オースルンド領』と『小オースルンド領』とでも呼ばれるでしょうか」
「オースルンドの名を汚さぬように……」
「名前などどうでもいいのです。ヨアキムくんの信じる道を生きてください」
「父上……」
「ヨアキムくんを信じています」
「母上……」
カミラ先生とビョルンさんに代わる代わる抱き締められたヨアキムくんの黒い目にも涙が溜まって潤んで来ていた。親子の団欒を邪魔しないように私が席を外すと、アデラちゃんに手を引かれた。導かれるままに庭に出ると、お兄ちゃんが春咲きの薔薇の茂る薔薇園の近くに立っていた。
「お兄ちゃん、一人でどうしたの?」
「ちょっと、外の風が吸いたくて」
お兄ちゃんに並ぶと、アデラちゃんは「エメリちゃんのところにいってくるね」と部屋の中に戻って行った。二人きりで薔薇を眺める。
「今日の発表会は素晴らしかったよ」
「そう言ってもらえると嬉しいな。エリアス先生とファンヌとヨアキムくんのおかげだけどね」
照れながら私が言えばお兄ちゃんは私の肩を抱いて引き寄せた。
お兄ちゃんの顔がすぐ近くにある。
「あんな公の場所で、情熱的に告白してもらえるなんて思わなかった……」
「そ、それは……」
ちょっとやりすぎたかもしれないけれど、あれは私の本音だった。お兄ちゃんには知っておいて欲しい私の気持ちだった。
初めての発表会はお兄ちゃんに捧げる。それはエリアス先生からも応援されていたし、歌った歌もほとんどお兄ちゃんに捧げたものばかりだった。
「僕は、嫉妬してたんだ」
「どういうこと?」
「イデオンがセシーリア殿下に歌を捧げたでしょう? ルンダール領では昔から求愛のときに歌を捧げてた」
「オースルンド領では詩だったよね」
オースルンド領の伝統に則ってカスパルさんが書いた詩の意味が分からなくて、お兄ちゃんと私とリーサさんで頭を捻った思い出もある。それが嫉妬と何の関係があるんだろう。
「セシーリア殿下に歌を捧げたから、イデオンはセシーリア殿下のことが本当は好きなんじゃないかと思って、無理やり僕のために歌わせたんだ」
それが誕生日に歌をお願いされたきっかけだったらしい。
「セシーリア殿下とはキスもしてないし、婚約だってセシーリア殿下が国王陛下の元を離れて嫁がなくて済むための時間稼ぎだったんだよ?」
「今なら理解できるし、理性的に納得もできる。でも、あの頃の僕はまだ子どもっぽいところが残ってて」
あのときお兄ちゃんはまだ十代だったはずだ。それならば子どもっぽいところが残っていても仕方がない。私がもうすぐ18歳になって成人するのにまだ泣き虫で臆病なところがあるのと同じように。
私はお兄ちゃんの両手をぎゅっと握り締める。
向かい合ったお兄ちゃんの顔はちょっと高い位置にあって、青い瞳を見上げる形になった。
「私は、お兄ちゃんが好きだよ」
「うん、イデオン」
「ずっとずっとお兄ちゃんだけが好きだったよ」
「うん……」
「これからもずっとお兄ちゃんだけが好きだよ」
結婚するんだから当然だと述べると、お兄ちゃんは涙ぐんでいる。
「僕はずっと怖かった」
「お兄ちゃん、なにが?」
「男同士だから、イデオンが実際に僕の身体を見たら違うと思ったり、兄として好きなだけだったと気付いたりするんじゃないかと思って」
「そんなことない! 私はお兄ちゃんの身体に触れたいと思ったことがあるよ」
否定してもお兄ちゃんは不安そうに眉を下げている。
「僕は勢いでイデオンを巻き込んで、逃げられないようにして、結婚してしまおうとしているんじゃないかと……」
「お兄ちゃん、信じられないなら何度でも言うよ、大好きだよ」
「イデオン……」
「愛してる、オリヴェル」
言えた!
私も愛してるという言葉が言えた!
自分でも驚いているとお兄ちゃんの顔が近付いてくる。キスをされるのだと分かって私は目を閉じた。どきどきしながら待っていてもいつまで経ってもお兄ちゃんの唇は私の唇と重ならない。
おかしいと思って目を開けたら、視線を感じた。
「イデオン兄様……主役が抜け出してこんなところで」
「ヨアキムくんったら、今いいところなのに!」
「ファンヌちゃん、オリヴェル兄様に気付かれてますよ。オリヴェル兄様は恥ずかしがり屋なんですから、ほら、真っ赤じゃないですか」
手を取り合ってキスをする直前の動作を、私がいないことに気付いて探しに来たファンヌとヨアキムくんに見られてしまった。私も恥ずかしくて耳まで真っ赤になった。
「二人が結婚してもわたくしはルンダール家で補佐をするけど、二人はわたくしに気にしないでイチャイチャしていいのよ」
「ファンヌちゃん、二人とも繊細なんだから」
「兄様とオリヴェル兄様は人目を気にし過ぎだわ」
そんなことを言われても可愛い妹と弟のような存在の前でいちゃつくなんてできるわけがない。
「ファンヌ、自分は気にしないからって私やお兄ちゃんの前でヨアキムくんといちゃつかないでね!」
「兄様ったら、自分ができないからわたくしにもするなって言うのね」
「もうちょっと慎みを持って!」
なんで兄である私が妹であるファンヌにこんなことを言わなければいけないのだろう。
胸の大きさで相談された件もだが、ファンヌはちょっと慎みが足りないような気がする。それが男兄弟に囲まれていたせいだとしたら、私たちにも責任の一端はあるのかもしれないが、そうではなく単純にファンヌの性格のような気がしてならない私だった。
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