16.過ぎる夏
コテージに泊る最後の夜、先にアデラちゃんをラウラさんに寝かしつけてもらって、お兄ちゃんは私をコテージの外に呼び出した。潮の香りのする風が吹いて、暑さは残っていたが風が汗を引かせていった。
指さされて見上げると満天の星空が広がっている。
「イデオン、覚えてる、僕が14歳の夏」
「覚えてるよ。お兄ちゃんとこの海に来たよね」
カミラ先生におねだりをして列車に乗りたいとお願いしたら、連れてきてもらった先が海だった。海には私とファンヌをルンダール家の養子にするために仕事を詰めていたカミラ先生は来られなかったけれど、リーサさんとセバスティアンさんが一緒に来てくれて、ヨーセフくんとも仲良くなって遊んだものだ。
懐かしく思い出しているとお兄ちゃんに肩を抱かれて引き寄せられる。
「僕には子ども時代がなかった。子どもらしい遊びをしたことがないし、可愛がられた思い出がない。両親は可愛がってくれたのかもしれないけど、僕はそれを覚えていない」
レイフ様が亡くなってアンネリ様が私の父と再婚して、毒を盛られて弱って行って亡くなった。その間小さなお兄ちゃんは乳母に預けられて、アンネリ様が亡くなった後は面倒をみる使用人もつけられずに書庫に閉じ込められていた。
かろうじて幼年学校は行かされていたけれど、貴族の公爵家なのに馬車での送り迎えもなく、お風呂にも碌に入れてもらえずに着替えもほとんど用意してもらえなかった。それでもなんとか幼年学校を卒業したら、次は魔術学校に進ませないと言われた。
魔術学校を卒業しないと当主になる資格がないので、私の両親はどうにかしてお兄ちゃんをルンダール家の当主から引きずり降ろそうとしたのだろう。外聞が悪かったのか、私たちの面倒をみるという条件付きで魔術学校に行かせてもらったお兄ちゃん。
朝は薬草畑の世話、帰ってきたら私たちの縫物や世話をして自由はほとんどなかった。遊ぶなどと言う単語はお兄ちゃんの辞書にはなかったのだ。
「14歳でイデオンとファンヌと叔母上が僕を助け出してくれてから、僕は初めて子どもとして扱われた気がする。叔母上が『遊びなさい』と言っても僕には遊び方が分からなくて、ずっとイデオンの傍にいた。イデオンがいれば僕は楽しかった」
「お兄ちゃんは5歳の私と遊ぶことによって、子ども時代を取り戻したの?」
「多分、そうなんだと思う。イデオンの傍にいるといつも心強くて、暖かくて、イデオンが僕を信頼してくれるのが誇らしくて、僕は幸せだった」
イデオンとお兄ちゃんが私の名前を呼ぶ。
「僕にとってイデオンは誰よりも大事な相手なんだ。ずっとそうだった。体の成長は早かったけど、僕は心の成長が遅くて、臆病だったんだと思う。それをイデオンがずっと手を引いて導いてくれた」
お兄ちゃんの肉厚な手が私の指だけ長い華奢な手を握り締める。
「これからも僕を導いて。僕の傍にいて。僕より先に死なないでね」
「お兄ちゃん……私、長生きするように努力するから、お兄ちゃんも一緒に長生きしようね」
ずっとずっと一緒にいられるように。
交わした口付けは結婚の誓いのようだった。
コテージに戻ってシャワーを浴びてベッドに入る。目を閉じると満天の星空とお兄ちゃんの穏やかな青い目が重なって瞼の裏に映る。それを見ながら私は眠りに落ちていった。
三泊四日の海への旅行は終わった。
旅の終わりとは寂しいもので、アデラちゃんとエメリちゃんは今生の別れのように抱き締め合っていた。
「あーねぇね、またちてね」
「エメリちゃん、ルンダールけであそびましょうね」
「あーねぇね、あとぼうね」
それを見ながらデシレア叔母上が苦笑している。
「帰った後も毎日ルンダール家に通うのでしょうに」
「エメリは本当にアデラ様が大好きだね」
クラース叔父上も笑っていた。
帰りは列車ではなく移転の魔術で帰るつもりだったが、カミラ先生からお誘いがあった。
「オースルンド領に結婚の衣装を決めに来てください」
「オースルンド領で誂えてくださるんですか?」
「それ以外のどこか他の場所に頼んだら、叔母として拗ねますよ?」
全く結婚衣装のことを考えていなかったお兄ちゃんは驚いていたが、国王陛下の衣装もセシーリア殿下の衣装も手掛けたオースルンド領である。カミラ先生の甥のお兄ちゃんが依頼しない方が不自然だった。
一度ルンダール領に帰ったが今日明日中に急がなければいけない仕事を片付けて、今度はオースルンド領に行くことになった。
お兄ちゃんの執務室に入ると書類がデスクに山積みになっている。それを急がなければいけないものと、後でいいものと分けてお兄ちゃんに渡して処理してもらう。
「兄様、手が足りてないんじゃない?」
「イデオン兄様、オリヴェル兄様、僕たちにできることがありますか?」
執務室を覗いたファンヌとヨアキムくんが声をかけてくれる。
「二人はまだ魔術学校に通ってるんだから、無理しないで」
「何を言ってるの、兄様はもっと小さい頃から補佐をしてたわ!」
「僕も魔術学校を卒業したらお祖父様とお祖母様のいるお茶畑のある領地の統治を始めます。今から教えてください」
二人の言うことは最もだったし、助けが必要なのは確かだった。
その日からルンダール領の当主には15歳と14歳の補佐が新たに加わった。以前から私たちの話は聞いているので理解が早い。書類の振り分けを頼むと、ファンヌとヨアキムくんで話し合って判断している。
これならばルンダール領も安泰だろうと安心した。
翌々日には急がなければいけない仕事は処理してしまって、オースルンド領に行く準備ができていた。
「こんどは、オースルンドりょうにいくの?」
「アデラちゃんは行きたくない?」
「エメリちゃんとあそべない……」
「オースルンド領にはお祖父様もお祖母様もいるよ? 一日だけだから」
「いちにちだけなら」
一泊だけならという条件でアデラちゃんも納得してくれた。
オースルンド領に飛ぶとすぐに仕立て職人さんのところに連れて行かれる。
たくさんの生地が広げられて飛び付いたのはファンヌだった。
「この赤茶色の生地と、薄茶色の生地!」
「僕たちがデシレア叔母上に貰ったドレスとスーツと似てます」
飛び付いた二人にカミラ先生が微笑んでいる。
「二人の婚約パーティーも一緒に行えたらと思ったのですよ。二人はあのドレスとスーツが気に入っていたようですし」
「わたくしたちのために用意してくださっていたのね」
「母上、ありがとうございます」
ファンヌとヨアキムくんの生地はあっさりと決まってしまったけれど、私とお兄ちゃんは大いに悩んだ。色も様々だしデザインも無限にあるようで決められない。
「お兄ちゃん、どれがいいかな?」
「僕も決められないよ」
困っているとアデラちゃんが割って入って来た。
「イデオンぱぁぱがいちばんすきなのは、オリヴェルぱぁぱのおめめのいろ! オリヴェルぱぁぱがいちばんすきなのは、イデオンぱぁぱのおめめのいろ!」
指を差して選んだのは鮮やかな青い生地と、暖かみのあるハニーブラウンの生地だった。
「アデラちゃんが好きなのは黒!」
アデラちゃんを真似して私は黒のふわふわのシフォン生地を手に取る。
私のタキシードを鮮やかな青で、お兄ちゃんのタキシードを暖かみのあるハニーブラウンで、アデラちゃんのドレスを透ける黒で作ることが決まった。
「オリヴェルはもう大きくならないだろうから採寸も済ませましょう。イデオンくんとアデラちゃんとファンヌちゃんとヨアキムくんは、仮の採寸で、いざというときに大きくできるようにしておきましょうね」
生地を決めて、デザインを決めて、採寸までするとほぼ一日かかってしまった。
疲れ切ったアデラちゃんは晩ご飯の途中で眠ってしまった。私たちも晩御飯を食べると客間に下がらせてもらう。
慌ただしく夏休みが過ぎていく。
それもまた、楽しい出来事ばかりだから仕方のないことだった。
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