11.お師匠様をお迎えするために
ルンダール家はルンダール領を治める貴族の家で国内に四つしかない公爵家の一つだ。豪華にしすぎると装飾で重くなって馬が何頭も必要なので簡素にしているとはいえ、ルンダール家の馬車が寂れた工房の前に付けられたときのざわめきは馬車の中にいる私たちにまで聞こえてくるようだった。
工房の扉をノックしてラウラさんと中に入る。むっとする臭いがしたのは、何日も風呂に入っていない職人さんが中で作業をしているからだろう。
「ルンダール領の当主、オリヴェル・ルンダールです」
「補佐のイデオン・ルンダールです。ルンダール家に雇いたい職人がいるので、お訪ねしました」
「おししょうさま!」
お兄ちゃんと私が名乗ると、私に抱っこされているアデラちゃんがきょろきょろとラウラさんのご両親を探している。部屋の隅で藁を編んだものを敷いてテーブルにもつかせてもらえず作業していた褐色肌の夫婦にラウラさんが駆け寄った。
「父さん、母さん、ルンダール家のご当主様の娘様が、二人に師事したいって言ってるの」
「正気ですか?」
「他に良い職人はもっといますよ?」
唖然としている他の職人たちの言葉を気にせず、私はまっすぐにラウラさんのご両親のところに歩み寄る。鼻を突くつんとした臭いはしたが、腕の中のアデラちゃんがそんなことよりもラウラさんのご両親の手にあるものに目を輝かせていたのだ。
物凄く小さな粒のビーズで作られたビーズ刺繍の花。作業の途中なのでラウラさんのご両親が藁を編んだ敷物の上に蹲っている前には、細かな砂のようなビーズの入った小箱があった。
「ちいさい! イデオンぱぁぱ、こんなちいさいビーズでおはながつくれるの?」
「アデラちゃん、ラウラさんのお母さんとお父さんに聞いてみて」
「おしえて、おししょうさま! これで、しそのどらごんをつくれるようになりますか?」
小さな手を差し出してお願いするアデラちゃんにラウラさんのご両親はアデラちゃんの小さな手を真剣に見つめていた。柔らかな手の指先の皮が、ほんの少しだけ硬くなっているのも触って確かめられる。
「小さな良い手です。細かい作業は小さな手と良い目がないとできないものです」
「お嬢様がこれから十年、少しずつ練習をしていけば、私たちよりも素晴らしいものを作れるようになるかもしれない」
「れんしゅう……おしえて、つくりかたを」
「私たちでよろしいのですか?」
「こんなにきれいなものをつくってるひとは、はじめてみたの。イデオンぱぁぱ、オリヴェルぱぁぱ、ふたりはわたくしのおししょうさまなんでしょう?」
汗の臭いにも怖気づくことなく近寄って来たアデラちゃんに二人は顔を見合わせて笑ったようだった。腰を伸ばすようにしながら立ち上がると二人の背が高いことが分かる。
「ラウラがルンダール家に働きに行ったと聞いて、苛められていないか心配しておりましたが、そのお嬢様のお世話をしていたのですね」
「ラウラさんがきっかけで娘はビーズに触れました。それからはビーズ細工に夢中です。お二人がもっと娘のビーズ細工が上達するように教えてくだされば有難いのですが」
お兄ちゃんの申し出にラウラさんのご両親が頭を下げる。
「ルンダール家にお仕えできるのならばこれ以上の名誉はありません」
「よろしくお願いいたします、アデラ様」
元々どこかの工房から週に一回でも教えに来てもらおうと思っていたのだ。冷遇されているラウラさんのご両親がビーズ細工に関して物凄い技術を持っていることは、作りかけの作品でも分かっていた。お二人がルンダール家に来てくれるのならばアデラちゃんは一生の師を得られるかもしれない。
「よろしくおねがいします」
ぺこりと頭を下げたアデラちゃんをラウラさんのご両親は目を細めて見下ろしていた。
ルンダール家に住み込みで働くためには準備がいるということで、支度金を渡してラウラさんのご両親には工房を辞めて準備に取り掛かってもらう。
「大陸から来た職人に金を与えるなんて、持って逃げられますよ?」
「わたくしの両親はそんなことは致しません!」
他の職人から漏れ聞こえた声にラウラさんが反論していた。
馬車でラウラさんと帰る間も私はルンダール領に優れた技術を持ちながらそれを活かせないでいる大陸から来たひとたちがいるのではないかと考えを巡らせていた。この件はカミラ先生にも話してセシーリア殿下やスヴァルド領の領主、ノルドヴァル領の領主とも話し合いたかった。
馬車がお屋敷に着くと、ヨアキムくんが私たちを待っていた。
「お帰りなさい、オリヴェル兄様、イデオン兄様、アデラちゃん」
「ただいま、ヨアキムくん。どうしたの?」
「リンゴちゃんを出かけている間ベルマン家に預けようと思ったのですが、姿が見えなくて……」
「リンゴちゃんが行方不明!?」
結界を張って脱走しないように言い聞かせているのだが、最近リンゴちゃんには物凄くショックなことがあったのだ。
私の大根マンドラゴラ、アデラちゃんの蕪マンドラゴラのかっちゃん、ファンヌの人参マンドラゴラ、エディトちゃんのマンドラゴラのダーちゃんとブーちゃん、そしてコンラードくんの人参マンドラゴラのニンちゃん。自由にお屋敷の中を歩いてリンゴちゃんとも仲の良かったマンドラゴラたちが、そろって葉っぱがなくなってしまった。
リンゴちゃんはマンドラゴラの葉っぱが好物で、仲の良いマンドラゴラたちはリンゴちゃんにときどき葉っぱを分けてあげていたようなのである。それなのに葉っぱをもらっていたマンドラゴラの友達全部がつるつるの葉っぱなしになってしまった。
それが亡霊のせいだと言い聞かせてショックを和らげようとしていたが、マンドラゴラを見たときリンゴちゃんの口は半開きで、目は真ん丸に見開いて、ショックで食べていた大好物のリンゴをぽとりと落としてしまった。
傷心のリンゴちゃんはどこに行ってしまったのだろう。
早く探さないとリンゴちゃんはウサギにしては大きすぎるので魔物と間違われて退治されてしまうかもしれない。
愛するお嫁さんのミカンちゃんのところに行っていないかダンくんに通信してみると、来ていないという。
『でも、リンゴちゃんみたいな大きな生き物をベルマン家の領地で見たって目撃情報は上がってるんだ』
リンゴちゃんは大きいから目立つ。逃げ出してびたんびたんとその辺を歩いていれば誰かが気付いてベルマン家に知らせを入れてくれる。
知らせを聞いてアデラちゃんにはラウラさんとお屋敷に残ってもらって、ヨアキムくんとファンヌを馬車に乗せてお兄ちゃんと私とベルマン家のお屋敷に行こうとしてベルマン家の敷地に近付いたときに、ヨアキムくんが気付いて声を上げた。
「あそこ! 墓地にリンゴちゃんがいます!」
ベルマン家の墓地にリンゴちゃんがいる。そこに美味しい草でも生えていたのだろうか。馬車を停めてもらって墓地に入って行くと、リンゴちゃんは一つの墓石をバンバンと脚で踏んでいた。これはリンゴちゃんが怒っているときにやる動作だ。
墓石に刻まれた名前を見てお兄ちゃんが「あー」と声を上げた。
「ケント・ベルマン……」
「ここはケントが封印されているお墓なのですね」
亡霊の中にはドロテーアとケントの姿もあった。そのせいでデシレア叔母上は自分の領地にあるドロテーアの墓石を蹴りに行ったのだ。リンゴちゃんもケントへの怒りが募っていたようだ。
「リンゴちゃん、気持ちはよく分かるんだけどね、墓石が割れちゃうよ」
「割れても自業自得な気がするわ。いっそ割れてしまえだわ」
「気持ちが分かりすぎて止めることができない」
「リンゴちゃんやっちゃって……ってわけにもいかないけど」
大人の理性でお兄ちゃんは止めているのだが、ファンヌとヨアキムくんと私は止めることができない。ヨアキムくんは幼くてケントのことは知らないけれど、ファンヌが可愛がられていなくて大事にされていなかった話は聞いているし、ルンダール領を荒らした過去も歴史として学んでいるはずだ。
「ヨアキムくん、止めてあげて……」
お兄ちゃんの助けを求める声に、私もお願いする。
「ケントは許せないけど、墓地を荒らされるとお祖父様が傷付くから」
私とお兄ちゃんのお願いにヨアキムくんはリンゴちゃんに歩み寄った。
「リンゴちゃん、ベルマン家に行こう。ミカンちゃんに慰めてもらおうね」
ヨアキムくんに促されて渋々リンゴちゃんはケントの墓石を踏みにじってからベルマン家に向かうのだった。
感想、評価、ブクマ、レビュー等、歓迎しております。
応援よろしくお願いします。作者のやる気と励みになります。