16.夏休みの終わり
お兄ちゃんの夏休みが終わった。
魔術学校にお兄ちゃんが行ってしまう。
朝から晩までお兄ちゃんと過ごした楽しい日々が終わってしまう。
始業式の前の晩、私は涙が出てベッドの中で静かに泣いていた。隣りのベッドのお兄ちゃんが気付いてくれて、私のベッドに腰かけて、髪を優しく撫でてくれる。
「イデオン、この夏は色んなことがあったもんね。疲れて気が張ってたんだね」
春に両親を追い出すところから始まって、やっとお兄ちゃんが帰って来て、迎えた夏休み。楽しくて楽しくて、仕方がなかった。終わるのだと思うと、涙が止まらない。
「眠るまで側にいるよ、イデオン。僕の可愛い弟」
ヨアキムくんの両親を捕えるために腹黒いところを見せても、怖いところを見せても、お兄ちゃんの中では私は可愛い存在だという絶対の安心感。どんな顔を見せてもお兄ちゃんは私を嫌うことがない。
「おにいちゃん、だいすき……」
「僕も、イデオンが大好きだよ」
前髪を上げて汗ばんだ額にキスをされて、私はようやく眠りに落ちて行った。
早朝にはいつも通り薬草畑の世話をして、私は一番奥の畝のマンドラゴラに呼びかける。
「に、さんびき、ビョルンさんのところにいくよー」
「びゃい!」
「びょびょ」
「ぎょえ」
返事をして、育ってきたマンドラゴラが私の用意した袋に飛び込んで行った。お兄ちゃんは今日から魔術学校だが、ヨアキムくんはビョルンさんのところで定期健診だ。
保護者としてカミラ先生も付いてきてくれるので、安心して行くことができる。
シャワーを浴びて朝ご飯をみんなで食べて、着替えをすると、出かける時間になった。
「おにいちゃん、いってらっしゃい」
「オリヴェルおにぃたん、いってらったい」
「いってらちゃ」
馬車に乗り込むまで私とファンヌとヨアキムくんで見送って、私たちもカミラ先生と馬車に乗り込む。
「カミラてんてー、ヨアキムくんをだこちて? おちたら、いちゃいの」
「よー、おちう?」
「ころんころんなの」
自分が座席から落ちたことがあるだけに、年下のヨアキムくんを守ろうとするファンヌの優しさが見える。
「ヨアキムくん、お膝にどうぞ」
「あいがちょ」
抱っこされてお外も見えて、ヨアキムくんはご機嫌だったが、ファンヌの方は手すりに掴まって一生懸命踏ん張っていた。そんなファンヌを笑えないのが私である。郊外に出ると道は舗装された石畳ではなく、でこぼこの土になっていて、私も座席から落ちてしまいそうになる。
「リーサさんやセバスティアンさんに着いてきてもらえばよかったですね」
「へ、へいきです」
「じょぶ、れつ」
曲がるたびにお尻を軸にくりんくりんと回ってしまうファンヌも、どうにか座席からは落ちずに頑張っている。大好きなヨアキムくんの前なので、お姉さんらしいカッコいいところを見せたいのかもしれない。
ビョルンさんの診療所には、前のようにひとが大勢並んでいた。大人しく順番を待ちながら、カミラ先生に許可を取って、ファンヌとヨアキムくんは近くのあぜ道に上って、お花を摘んで遊んでいる。
「ふぁーたん、こえ」
「わたくちに? うれちい」
摘んだお花を差し出されて、ファンヌが頬を染めて受け取る様子に、カミラ先生と共に和んでいた。時間がかかりそうだったので、ヨアキムくんとファンヌは軽く午前のおやつを食べて、アイスティーを飲み、私とカミラ先生もアイスティーを飲んでゆっくりと待つ。
順番が来ると、ビョルンさんが出てきてカミラ先生を呼んでくれた。
「オースルンド領から来られた当主代理様は『魔女』と名高い方で、恐ろしいと聞いていましたが、こんなに子どもたちに慕われて、美しい方だったなんて」
「お上手ですわね。ヨアキムくんを診てくださいますか?」
あれ?
なんだか、カミラ先生とビョルンさんは良い感じじゃない?
話しているビョルンさんの頬がほんのり染まっているような気がするし、お世辞は嫌いなカミラ先生がそれを穏やかに聞いている。
「うぁっ!」
「わっ! ヨアキムくん!?」
床板がめくれ上がっているので、そこに引っかかって転びそうになったヨアキムくんを、ビョルンさんが慌てて掬い上げる。その拍子に、ビョルンさんの眼鏡が取れて落ちてしまった。
「ヨアキムくんがすみませ……んんっ!?」
眼鏡を拾ってビョルンさんに渡そうとするカミラ先生の動作が止まる。私もビョルンさんの顔を見て、驚いてしまった。抱っこされたヨアキムくんが、ぼさぼさの髪を手で撫でつけて綺麗に整える。
ちょっと幼い感じはするが、ものすごい整ったいわゆる童顔と呼ばれるお顔の男性がいる。
「あ、あの、め、眼鏡……」
「あ、はい」
手を出されて眼鏡を渡したカミラ先生は、とても驚いているようだった。眼鏡をかけても、あの美しい顔が頭から離れない。
「びょりゅんしゃん、なんで、かっこいいの、かくちてるの?」
核心を突いたのは、ファンヌだった。さすが3歳児、遠慮などない。
自分の顔に自覚があるのだろうビョルンさんは眼鏡をかけ直した顔を、両手で覆った。
「貴族で、顔が良いなんて、碌なことじゃないんです……魔術学校時代は、私を争う女性に巻き込まれて、好きでもないのに『どちらを選ぶの』とか詰め寄られて……。私は好きな相手もできなかった」
顔が良いのは顔が良いなりに悩みがあるようだ。
「お顔もですが、ビョルンさんは料金を現物でも良いとして、貴族の身分を捨てて人々のために働く、その心が美しいのではないですか?」
さすが、カミラ先生は良いことを言う。
言われて、ビョルンさんは顔を真っ赤にしていたようだった。
こほんと照れ隠しの咳をして、魔術具を外したヨアキムくんを診察台に座らせて、ビョルンさんが調べていく。
「青花の効果は出ているようですね。かなり呪いが薄まっています」
「ヨアキムくん、なおる?」
「後半年くらいはかかるかもしれないけれど、魔術具なしで生活できるようになるよ」
目を合わせてファンヌにお話ししてくれるビョルンさんに、ファンヌが感激してヨアキムくんに飛び付こうとするのを、カミラ先生が止める。診察のために、今はヨアキムくんは魔術具を付けていないのだった。まだ呪いは残っているので、そのまま触れることはできない。
魔術具を付け直して、ビョルンさんが薄く青く透ける葉っぱを、水の中に落とす。水の中に落ちて行きながら溶けたそれは、しゅわしゅわと泡を立てながら、水の色をほんのりと空色に染めた。
「鱗草の葉っぱです。もっと呪いを抜くのを早めるために、内服を始めましょう」
コップを渡されて、両手で持って飲むヨアキムくんは、口に入れて咽てしまった。
「ぱちぱち、すゆ」
「炭酸水になるので、飲みにくくなるかもしれませんが、頑張って飲んでみてください」
「よー、よくなりゅ?」
「えぇ、きっと」
ビョルンさんに言われて、咽ながらもヨアキムくんはコップを空にした。
お礼にマンドラゴラの入った袋を渡して、診察代を引いた料金分の鱗草をもらう。大量の鱗草は、毎日ヨアキムくんが飲んでも足りそうなくらいあった。
帰り際にビョルンさんは馬車まで私たちを送ってくれた。
「お屋敷の裏庭の薬草畑に興味があります。次回は私の方が往診してもよろしいでしょうか?」
「もちろんです。お待ちしています」
薬草畑の話題が出て、カミラ先生は快く了承する。
ビョルンさんは何歳なのだろう。魔術学校を出てすぐに街医者になったのなら若くて、カミラ先生より年下な気がする。
一般的に研究課程まで出たものが医者として働けるのだが、ビョルンさんは研究課程を出たのだろうか。
「おにいちゃん、せんもんかていにいきたいっていっていました」
もし研究課程まで卒業していたら、お兄ちゃんはビョルンさんの話を聞きたがるのではないかと、今から次の往診が楽しみだった。
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