2.魔力を制御するために
去年の夏ごろからセシーリア殿下の結婚式のための歌の練習が入って、年明けまでお兄ちゃんの補佐の仕事がほとんどできていなかった。終わってからようやくお兄ちゃんの執務室に行けば、仕事は山積みになっていた。
当主の仕事は当主の兄弟や両親など近しいひとたちが補佐となって手伝って成り立っている。そもそもオースルンド領は一人で領主ができると思っておらず、夫婦で領主となることが決まりとなっている。
そんな状態でお兄ちゃんは一人で仕事を続けていたのだ。
困ったらいつでも頼って良いとビョルンさんもブレンダさんもカスパルさんも、カミラ先生までも言っていた。それでもお兄ちゃんは上手に助けを求められなかった。
お兄ちゃんが自分で抱え込んでしまうタイプで他の相手に助けを求めるのが下手なのだと私はそのとき初めて知った。カミラ先生とビョルンさんとカスパルさんとブレンダさんと暮らしていた時期に何度も助けを求めるタイミングはあったはずなのに。
カミラ先生が妊娠中に体調を崩したときもお兄ちゃんは自分が当主補佐となることでルンダール領を支えようとした。
「お兄ちゃんはもっとひとを頼らなきゃダメだよ」
「分かってるんだけどね」
山積みの書類を二人で捌き切れず、ブレンダさんを呼ぶ羽目になってから私はお兄ちゃんに告げた。そんなことが春まで続いて、ようやくブレンダさんを呼ばないで済むくらいに仕事は落ち着いてきていた。
私がお兄ちゃんの隣りの椅子に座ると、当然のように蕪マンドラゴラを抱えたアデラちゃんが膝の上に乗って来る。その隣りの椅子には乳母さんの膝の上でエメリちゃんが控えている。
二人きりにはなれないけれど、日常の風景を取り戻したルンダール家の執務室に私は安堵していた。
「シェルヴェン家で、最後だったんだよ」
「どういうこと?」
お兄ちゃんが示すリストを私は覗き込む。
「ビョルンさんの生家のサンドバリ家、ダンくんのベルマン家、デシレアさんのボールク家、お茶畑の将来ヨアキムくんが治める領地、お米作りのヘルバリ家、デニースさんのニリアン家、海辺の領地のシベリウス家、ヨアキムくんの生家のアシェル家、イェオリくんのハーポヤ家、それにシェルヴェン家を合わせて、ルンダール領の十の領地を持つ侯爵家、伯爵家の全部がルンダール家に従うようになったんだよ」
領地の全部の領地を持つ侯爵家と伯爵家がルンダール家に従うようになった。それはカミラ先生がルンダール領の当主代理となった時代からコツコツと積み上げて、お兄ちゃんも私も色んな領地に出向いたり、協力を要請したりして来た結果なのだ。
ルンダール領は今、纏まっている。
「すごいね、お兄ちゃん……カミラ先生が当主代理になったときには考えられなかったことだよ」
決闘を申し込まれたこともあった。貴族で署名を募ってカミラ先生をコーレ・ニリアンが追い落とそうとしたときもあった。取り潰しになった家、当主がすげ替えられた家もたくさんある。そういうことを経て、今では全ての領地の侯爵家と伯爵家がルンダール家に従うようになっている。
感慨深くリストを見ているとお兄ちゃんが一つ一つの領地の収入と課せられている税、それにルンダール家に納めている税の金額について数え始めた。私もお兄ちゃんを手伝う。
領地のない貴族もいて、その中にはルンダール家をよく思っていないものがいるのかもしれない。けれど領地を持っている貴族と持っていない貴族では全く地位が違ったし、私たちに対してできることも違っていた。
ルンダール領は重税をかけられて領民が苦しんでいた時代から全く変わって、今は領民が豊かに潤っている。図書館が建設されて、高等学校ができ、歌劇の専門学校もできて、音楽堂も再建されて文化面でも豊かな領地と言える。
「もしかすると、ルンダール領が四つの領地の中で一番豊かになっているかもしれない」
「オースルンド領の安定には勝てないんじゃないの?」
「並ぶくらいにはなっている可能性があるよ」
お兄ちゃんの声は誇らしそうだった。自分の治める領地が豊かであること。それが何よりも嬉しいのだろう。お兄ちゃんは本当に素晴らしい領主だと私は胸がいっぱいになる。
「魔術学校を卒業するときには、私も音楽堂で発表会をしないかってエリアス先生に言われているんだ」
「イデオンの声楽家デビューだね! 盛大に開催しないと」
声楽家をしながらお兄ちゃんの補佐もできるか分からないけれど、お兄ちゃんは一人ではない。抱え込んでしまう体質も私が傍にいて気付けばいつでも助けを求められる。
「お兄ちゃん、ランヴァルドくんがもう少し大きくなったらデシレア叔母上も領地経営を手伝ってくれると思うよ」
「ボールク領のことだけでも大変なのに?」
「相談には乗ってくれると思う」
国王陛下とセシーリア殿下の結婚式でテーブルに飾る生花を手配するなど、デシレア叔母上は非常に有能なことが分かっている。魔力の強さだけで両親はドロテーアを溺愛して後継者に育てていたのかもしれないけれど、統治をする能力で言えばデシレア叔母上は間違いなく有能だった。
ケントが勝手にボールク家に支払ったルンダール家からの借金も手早く返してきたし、傾きかけていたボールク家を再び豊かにしたのはデシレア叔母上の功績に違いなかった。
最初は両親に苦しめられていたデシレア叔母上が両親を隠居させて、クラース叔父上と結婚して、今は二人の子どもの母親として幸せに暮らしていることが私にとっても嬉しいことだった。
「あーねぇね、でちた」
「エメリちゃんとってもじょうずね」
「えー、じょーじゅ」
大きなビーズでできた巨大な輪を見せるエメリちゃんを、アデラちゃんがにこにこしながら褒めている。お兄ちゃんがエメリちゃんの手から輪投げの輪のようになっているビーズを渡してもらった。
「エメリちゃん見せてくれる? ……イデオン、これ、アデラちゃんの魔力が宿ってる」
「え!? エメリちゃんが作ったものでしょう?」
「わたくし、エメリちゃんにおしえているのよ」
エメリちゃんが作るときにアデラちゃんは少しずつ手を加えているようだった。それがエメリちゃんの作ったものにもアデラちゃんの魔力を宿らせている。
驚愕の事実に私はアデラちゃんの小さな手を握っていた。
「すごいね。アデラちゃんのお手手は、ひとの作品にも魔力を宿らせる、魔法のお手手だ」
「わたくしのおてては、まほうのおてて!?」
「あーねぇね、まほうちかい!」
「わたくし、まほうつかいだったのね!」
すりすりと撫でる小さな手は指も細くて、手の皮も柔らかい。アデラちゃんの指先は集中して紐やテグスを持つからか、少しだけ指の皮が硬くなっていた。
「アデラちゃんの生家はアシェル家だ。アシェル家は呪いの家だけど、呪いは祝いにも通じる。アデラちゃんには祝福の魔術……つまり、神聖魔術の才能があるかもしれない」
真剣なお兄ちゃんの言葉に私は再度驚いてしまった。
「アデラちゃんは神聖魔術の使い手?」
「イデオンも方法は違うけれど、神聖魔術の使い手だから、アデラちゃんに基礎を教えて導いてあげることができると思うんだ」
小さい頃からこれだけ魔術を無意識に使っているアデラちゃん。制御できない魔術は危険だから私が小さい頃にお兄ちゃんは私に魔術を教えなかった。教えたとしても私の魔力は高くなかったので、覚えられることはなかっただろう。
アデラちゃんは私と違って4歳なのに少しだけ教えたエメリちゃんのビーズ作品にまで守護の魔力を宿すほどに魔力に溢れている。これを放置するよりも制御できるようにした方がアデラちゃんのためには安全なのではないだろうか。
魔術はときに暴走する。守護の魔術が暴走してひとを動けなくさせたり、傷付けたりしたらアデラちゃんはきっと苦しむだろう。
「わたくし、あのきらきらがいっぱいあったところにまたいきたいのよ」
魔術具の工房に行きたいと主張するアデラちゃんに私は一つの考えが浮かんでいた。魔術具の工房で働くひとたちは、守護の魔術やその他通信の魔術などを魔術具にかけることができる。訓練されて制御された工房のひとと作業することでアデラちゃんの能力も制御できるようにならないだろうか。
「工房にお願いして、守護の魔術をかける専門の職人さんにルンダール家に来てもらうのはどうかな?」
「アデラちゃんに指導してもらうんだね。悪くないと思う」
毎日は難しいから週に一度でも来てもらって一緒に作業をすれば、アデラちゃんの技術も上がるし、制御能力も上がる。
それに加えて私が神聖魔術の基礎をアデラちゃんに教えれば良いのだがどこから話せばいいのだろう。
「始祖のドラゴン……まだ難しいかな」
この世界は陸地も海も生き物も全て一匹のドラゴンの死体から出来上がったのだという創世神話を聞かせるにはまだ早いかもしれないと悩む私にお兄ちゃんが提案してくれた。
「創世神話の絵本があると思うよ」
「絵本か!」
アデラちゃんのための買い物に出かけなければいけなかったが、そんなことは全く苦ではなかった。
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