23.事実を知る秋
貴族の家の中でも裕福な公爵家で生まれて育って十六年。本来はルンダール家の子どもではないのだがルンダール家の養子にしてもらって、私もファンヌも何一つ不自由のない生活をさせてもらってきた。
幼少期は両親のことがあったけれどそれ以後は私たちは非常に幸せだったと思う。
そんな私でもまだ知らないことがあった。
私の友達は今はベルマン家に養子になっているが元は平民のダンくんと、いずれはシベリウス家の養子になるが平民のフレヤちゃんで、貴族の友達は存在しなかった。幼年学校でも違う学年に貴族はいたけれど、友達になるほど親しくはない。私を攫おうとしたり、お兄ちゃんを狙ったりする嫌な印象しかなかった。
そのせいで私は貴族のことをよく知らなかったのだ。
「エメリちゃんをルンダール合唱団に招いてますが、新しくランヴァルドくんが生まれたのに、乳母さんを連れて行ってしまうのはデシレア叔母上とクラース叔父上が大変ではないですか?」
ランヴァルドくんが生まれてからもエメリちゃんはルンダール家に通ってきていた。生後一週間経ってデシレア叔母上も落ち着いてきたというので訪ねて話を聞いたところ、意外な答えが返って来た。
「乳母は子ども一人に、一人付けるものではないのですか?」
知らなかった。
呆然としている私にデシレア叔母上は付け加える。
「経済的にひっ迫しているなら一人だけかもしれませんが、エメリとランヴァルドは二つ違いで年も近いですし、とても一人ではお世話ができませんので、ボールク家ではもう一人乳母を雇っております。ですから、エメリの乳母は気にせずにルンダール家に付いて行かせて構いませんのよ」
私とファンヌは年が二つ、学年では三つ離れているが、私の両親はリーサさんという年若い乳母一人だけに任せて、雑用までさせていた。子どもを大事にするタイプではないと思ってはいたが、私たちはリーサさんに非常に負担をかけていたのだ。
「改めて許せない……」
「やっぱり、処刑される前にわたくしが包丁で……」
「それはやめて」
「髪を剃るくらいしかしませんわー!」
私とファンヌで両親への憎しみを強くしたが、それよりもすることは別にある。
「リーサさんにお礼を」
「恩返しをしなければ!」
私とお兄ちゃんが結婚するときにはリーサさんを呼んで感謝を述べよう。そのときにファンヌも一緒に感謝を述べてもらおう。そう誓い合う私たち兄妹だった。
ベビーベッドで眠っているランヴァルドくんを傍に寄せて、デシレア叔母上はソファで横になっている。まだ産んで一週間しか経っていないので一番楽な格好で大丈夫だと告げているので、遠慮なく休んでもらっているのだ。
生後一週間経って、私とお兄ちゃんとファンヌとヨアキムくんとアデラちゃんでデシレア叔母上のお屋敷に来ていた。ランヴァルドくんの顔をアデラちゃんが一日でも早く見たいと急かしたのだ。
「オリヴェル様の前で申し訳ないですわ」
「イデオンの叔母上です。僕の叔母上でもあります。産後の身体は傷付いています。大事にされないと」
「お乳を上げる以外は何もしなくて良いと言っているのに、デシレア様はエメリが抱っこを強請ると応じてしまうから……正直、ルンダール家にエメリを預かってもらっていて助かっています」
保育園に行っていないアデラちゃんは、いつまでもお兄ちゃんの執務室に通ってそこでビーズのアクセサリー作りや絵本を読んだりするだけでは足りなくなってきている。遊び相手が必要なアデラちゃんに、アデラちゃんを慕ってくれるエメリちゃんの存在は私たちにとってもありがたかった。
「アデラちゃんはエメリちゃんが大好きで、遊びたがっているんですよ」
「えー、おうた」
「歌の練習も頑張っていますし」
「エメリたん、すきよ。ランたんもすき」
出産の報を聞いてから毎日立体映像をうっとりと見つめていたランヴァルドくんに会えたアデラちゃんはご機嫌だった。
「ランたんのために、きれいなの、つくってくるね」
「アデラ様のチャームにはエメリも命を救われています。大事にお守りにしますね」
「とっておきのビーズでつくるの!」
約束と言ってベビーベッドの中にアデラちゃんが手を差し込むと、ランヴァルドくんがきゅっとアデラちゃんの指を握った。喜びにアデラちゃんの目が輝くのが分かる。
「ランたん、わたくちのおゆび、きゅってしてくれたの」
「可愛かったね」
「またあいにいきたいの」
「デシレア叔母上にお願いしようね」
帰りの馬車の中でずっとアデラちゃんはランヴァルドくんのことを話していた。
魔術学校と幼年学校が始まってからは、おやつの時間の後からアントン先生と歌の練習をした。歌劇部の活動が終わってから帰ってくるファンヌとヨアキムくんはハードなスケジュールだったが、それでもこなしていた。エディトちゃんとコンラードくんは幼年学校の歌劇部はセシーリア殿下の結婚式を優先して休ませてもらっていた。
「アデラちゃん、デシレアおばうえのところにあかちゃんをみにいったの?」
「みにいったの。ランたん、かわいかったよ」
「いいなぁ、わたしもみたかった」
あまり大勢で行くとデシレア叔母上を疲れさせるのでコンラードくんとエディトちゃんはもう少し後で訪問することにしていたが、アデラちゃんの話を聞いて行きたがっていた。
「デシレア叔母上、歌劇発表会には来られないかもしれませんね」
「無理はして欲しくないものね」
もうすぐファンヌとヨアキムくんの歌劇部の発表会が音楽堂で開催される。幼年学校の生徒も魔術学校の生徒も招かれているし、保護者も招いて良いことになっていたので、カミラ先生やビョルンさんもエディトちゃんとコンラードくんを連れて見に来てくれるだろう。ダニエルくんはお留守番かもしれない。
デシレア叔母上のことを慕っているファンヌとヨアキムくんは来てくれないことを残念がってはいたが、無理はさせたくないようだった。
去年は発表会の最後に私とお兄ちゃんでデュエットダンスを踊ったが、今年はそういうこともない。観客として完全に歌劇発表会を楽しめそうだった。
歌劇発表会の当日はお兄ちゃんは仕事を休んで、アデラちゃんと私と音楽堂に行った。音楽堂の客席は魔術学校の生徒と幼年学校の生徒と保護者で埋まっている。
後ろの方で立ち見をしようとしたら、フレヤちゃんとフレヤちゃんのお姉ちゃんが席を譲ってくれた。
「子ども連れだったら大変でしょう」
「ありがとう、フレヤちゃん」
「こんにちは、アデラちゃん。イデオンくんとオリヴェル様がお父さんなんてすごく素敵ね」
「はい、ぱぁぱ、すてき」
お礼を言って席に座ってアデラちゃんを膝の上に座らせる。アデラちゃんの膝の上には蕪マンドラゴラのかっちゃんが座っていた。
ファンヌもヨアキムくんも端役だったが、それぞれに見事に演じ切る。歌劇発表会は大成功で幕を下ろした。
カーテンコールで出て来たシーラ先生とエリアス先生が、アントン先生を舞台に呼んだ。呼ばれて舞台に上がったアントン先生が発表する。
「来年度から歌劇の専門学校もこの音楽堂で発表会をします。どうぞよろしくお願いします」
音楽堂の経営は完全に音楽堂の管理者に任せているが、歌劇の専門学校もこの音楽堂を使うようになったようだ。発表に驚くよりも歌劇の専門学校にどれだけ予算を援助するかを計算してしまう私はお兄ちゃんの補佐に完全になってしまっていた。
アントン先生も来年度から忙しくなる。
ルンダール家に通ってルンダール合唱団を指導してくれるのは今年が最後かもしれない。
国王陛下の結婚式も終わって、セシーリア殿下の結婚式も終われば、私たちが駆り出されるような催し物はしばらくないだろう。
それが寂しいような、ホッとするような不思議な気持ちだった。
「イデオンの発表会もそのうち開けたらいいね」
帰り道で馬車の中で言ってくれたお兄ちゃんは、私が声楽家になりたいという夢を持っていることを忘れてはいなかった。
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