12.アデラちゃんの成長とお兄ちゃんの呼び方
ボールク家とベルマン家の埋葬にはフーゴさんとアーベルさんがそれぞれ行ってくれて封印に抜けがないかどうかを確かめてくれた。厳重な封印の元、骨壺が埋葬されたと聞いて私もお兄ちゃんも安堵していた。全てが終わった後で、デシレア叔母上はクラース叔父上と一緒にエメリちゃんを連れてルンダール家に遊びに来てくれた。
「悪阻は治まって来たのですが、今度は食欲がすごくて」
「太ると産道が狭くなって難産になるかもしれないから気を付けてくださいと言われています」
「マッマ、おいちーよ?」
「エメリ、デシレア様を誘惑しないで」
お茶をしながらおやつを食べていると、お代わりのお皿からエメリちゃんがせっせとデシレア叔母上のお皿の上に置こうとしている。それをクラース叔父上が阻んでいた。
「エメリは私がやっと美味しくご飯が食べられるようになって、安心したようで、いっぱい食べさせようとするんですよ」
「マッマ、げんちなった」
「えぇ、私は元気ですよ」
ドロテーアの処刑の件で落ち込んでいるかと思ったが、デシレア叔母上が元気そうで良かった。それもクラース叔父上がドロテーアの遺体の確認と処理に来てくれたおかげかもしれない。
「クラース様は私だけで背負わなくて良いと仰ってくれて。両親のことももう忘れて、エメリと生まれてくる赤ちゃんと幸せな家庭を築いていこうと言ってくださったのです」
「デシレア叔母上、良かったです。クラース叔父上が本当に頼りになる方で良かった」
「デシレア様の芯の通った立派なところを私は尊敬しています」
お互いに尊重し合って支え合っているクラース叔父上とデシレア叔母上はとても仲睦まじく見える。私とお兄ちゃんもこんな風になれるだろうか。
「デシレア叔母上、赤ちゃんの名前は考えたの?」
「男の子でしょうか、女の子でしょうか。それが分からないと」
ファンヌとヨアキムくんに挟まれてデシレア叔母上はクラース叔父上を見た。
「男の子でも女の子でもどちらでも可愛いとは思うのですが……エメリのこと、どう思います?」
「わたくしに似てるわ!」
「そうでしょう? エメリ、私やファンヌちゃんに似ているんですよ。次の子は性別はどうあれ、クラース様に似たら良いなと思ってますの」
「クラース叔父上に似てる赤ちゃん!」
「あかたん!」
赤ちゃんの響きに私の膝の上でもしゅもしゅとおやつを食べていたアデラちゃんが身を乗り出した。
「エメリたんのあかたん!」
「エメリちゃんの弟か妹だね」
「おとこのこらったら、あーとけこんちる」
「え?」
突然のことに私は固まってしまった。
エディトちゃんが結婚について悩んでいたのも確かこのくらいの年齢だった。女の子はこのくらいで結婚に興味を持つのだろうか。
デシレア叔母上の赤ちゃんならば大歓迎なのだが、生まれてもいない、性格も分からない状態で婚約を決めて良いものなのだろうか。
「イデオン、顔が強張ってるよ? アデラちゃんの言うことだからね? もし男の子が生まれても、婚約は大人になってからだよ」
「そ、そうだよね、お兄ちゃん」
その通りだとほっと胸を撫でおろすと、デシレア叔母上が不思議そうに目を丸くしていた。
「イデオンくんとオリヴェル様は恋人同士なのですよね」
「そ、そそそそ、そうですよ」
恥ずかしくて返事がおかしくなってしまうが、デシレア叔母上はそんなことは気にしていなかった。
「イデオンくんはオリヴェル様を、『お兄ちゃん』と呼んでいるのですか?」
「ぴゃ!?」
「そうなんですよ。僕が名前で呼んで欲しいと言っても恥ずかしがって」
「恋人同士なのですから、私たちに遠慮することなく、名前で呼び合って良いのですよ?」
「しょ、しょんな……」
デシレア叔母上は自分たちに気を遣って私がお兄ちゃんを『オリヴェル』と呼べないと思っているようだが、私は単純にお兄ちゃんと呼ぶのに慣れていて、名前で呼ぶのに慣れないのと恥ずかしいだけなのだ。
「そうよ、兄様、わたくしたちにも遠慮しないで!」
「イデオン兄様、僕たちは兄弟のようなものではないですか。遠慮しないでオリヴェル兄様のことは名前で呼んでください」
ファンヌとヨアキムくんまでお兄ちゃんを名前で呼ぶように言って来る。
「お……」
「お?」
「お、り」
「おり?」
「お……お兄ちゃん……」
「オリヴェル、だよ?」
「無理だよー!」
私はアデラちゃんを抱っこしたまま真っ赤になって部屋から飛び出してしまったのだった。
自分の部屋に逃げ込んだ私が椅子に座ると、お膝の上に膝立ちになったアデラちゃんが私の頭を撫でて来る。
「イデオンぱぁぱ、げんきだして?」
「私は元気なんだけど……」
あんな風に周囲に応援されても、できないことはできない。できればお兄ちゃんのことを名前で呼びたいのだが、恥ずかしくてなかなか上手に呼べない。それを急にあんなに囃し立てられても言えるはずがない。
「アデラちゃん、練習に付き合って」
「あい」
「アデラちゃんは、お兄ちゃんだよ?」
「あい、あー、オリヴェルぱぁぱ」
こくこくと頷くアデラちゃんの顔をじっと見る。
「アデラちゃん、私たちのこと、ちゃんと呼べるようになってる?」
「ぱぁぱ?」
「うん、私のことは『イデオンぱぁぱ』、お兄ちゃんのことは『オリヴェルぱぁぱ』って」
前は『いでおぱぁぱ』と『おりぱぁぱ』だったのに、いつの間にかアデラちゃんは私たちの名前をちゃんと呼べるようになっていた。もうすぐ4歳なのだ、喋りも確りしてくる頃だ。
「わたくし、って言える?」
「わたくち?」
「そう、自分のことは『わたくし』って言うんだよ」
「わたくち!」
「すごい、アデラちゃん、素晴らしい」
「わたくち、すばらち!」
二人で話しているととんとんと扉が叩かれた。まずい、アデラちゃんの成長に感動してしまってお兄ちゃんの名前を呼ぶ練習ができていない。
「イデオン、入っていい?」
「ど、どうぞ」
お兄ちゃんの声が聞こえて私は椅子の上で姿勢を正した。私の膝の上でアデラちゃんが姿勢を正し、アデラちゃんの膝の上で蕪マンドラゴラのかっちゃんが姿勢を正している。
「ごめん、イデオン」
「ごめんなさい、お兄ちゃん」
「え?」
「ふぁ?」
同時に謝って私とお兄ちゃんは顔を見合わせる。
「イデオンは恥ずかしがり屋なところが可愛いのに、調子に乗ってみんなの前で僕の名前を呼ばせてしまおうとしちゃって、ごめんね」
「私の方こそ、お兄ちゃんの名前を全然呼べなくてごめんなさい」
「ちょっと勢いで呼んでくれるかなとか、これからは二人きりじゃなくても呼んでくれるかなとか期待しちゃって、つい、調子に乗りました」
「私も、全然言えなくて、練習しようと思ったんだけど……」
謝り合う途中で私はお兄ちゃんに報告することがあってアデラちゃんを抱き直した。
「そうだ! お兄ちゃん、アデラちゃん、お兄ちゃんのこと『オリヴェルぱぁぱ』って呼べるようになってるんだよ! 私のことは『イデオンぱぁぱ』って呼べるし」
「すごいね、アデラちゃん!」
「わたくち、すごい!」
「自分のことは『わたくし』って言うようにしたんだ。素晴らしいね」
「わたくち、すばらち!」
褒められてにこにこしているアデラちゃんに私は謝りたい気分だった。
自分のことに一生懸命で、アデラちゃんの出自やドロテーアの件もあって私はアデラちゃんの成長に気付けていなかった。もうすぐ4歳になるのに、アデラちゃんを小さな赤ちゃんのように思っていたかもしれない。
「アデラちゃんは立派な淑女だよ」
「わたくち、しゅくじょ」
お茶の途中で席を立ってしまったのでデシレア叔母上もクラース叔父上も心配しているだろう。私はアデラちゃんを抱っこしてお兄ちゃんと一緒に子ども部屋に戻った。エメリちゃんを見つけてアデラちゃんが私の抱っこから降りて遊びだす。
「先ほどは申し訳ありませんでした。イデオンくんが恥ずかしがり屋だとオリヴェル様に言われました」
「い、いえ、お兄ちゃんのことはお兄ちゃんで慣れているので、どうしても言えなくて」
「兄様、無理しなくて良いのよ」
「うん、ありがとう、ファンヌ」
デシレア叔母上とファンヌに言われて私は赤い顔を隠すように両手で押さえた。
私がお兄ちゃんを『オリヴェル』と呼べるようになるのはもう少し先のようだ。
感想、評価、ブクマ、レビュー等、歓迎しております。
応援よろしくお願いします。作者のやる気と励みになります。