12.突然の涙
日に日に夏休みは終わりに近付いていく。朝から晩までお兄ちゃんと一緒にいられる日がなくなるのが憂鬱な私と対照的に、魔術学校の準備をするお兄ちゃんは活き活きとしていた。
オースルンド領の魔術学校の寮にいた頃から、清潔な服を与えられて食堂で食事もできて、満たされていたお兄ちゃんだが、ルンダール領では移転の魔術が許される四年生までは馬車で送り迎えされて、ルンダール家の次期当主として丁重に扱われることが決まっている。
一時期は死んだと公表されていたお兄ちゃんが戻って来たのには、魔術学校の先生たちも驚いたようだが、邪心ある私の父親に殺されていなかったことを純粋に喜んでくれたという。
成人したら当主になるために、お兄ちゃんは魔術学校で勉強しなければいけない。魔術学校に行っている間は一緒にいられなくて、私は夏休みが終わらなければいいのにとばかり考えていた。
同じ部屋になってから、夜に本を読んでいるお兄ちゃんのお膝の上に上がり込むことを、私は覚えた。眠たくて目を擦りながらだが、お兄ちゃんのお膝の暖かさを感じながら、同じ本を見る。お兄ちゃんは薬草学に興味があるようで、薬草学の本をたくさん読んでいた。難しい説明は理解できないが、薬草の挿絵と横に書かれた名前を読んで、私もお兄ちゃんと勉強している気になっていた。
うとうとと私が眠り始めると、お兄ちゃんは本を机に置いて、私を抱き上げてベッドに寝かせてくれる。
「お休み、イデオン」
額にそっと触れるお休みのキスを夢心地で受けながら、私は夢の中へと落ちていくのだ。
幸せな夏休みの終わり掛け、遂にヨアキムくんが薬草畑解禁になった。
前の日の夜に薬草湯に入ったヨアキムくんを覗き込むファンヌが、大きな声でカミラ先生を呼んだのだ。
「カミラてんてー、まっかっかにならない!」
「失礼しますね……赤くはなっていますが、かなり薄くなりましたね」
禍々しい血より濃い赤ににじみ出ていた呪いの効力が、赤くはなるのだが、どろどろとした毒々しい赤にまでならずに、絵の具を溶かした程度に留まっていた。
お湯を抜いて魔術具を付け直して、バスタオルで拭いてもらったヨアキムくんにパジャマを着せるカミラ先生。ほこほこのほっぺが真っ赤のヨアキムくんは、カミラ先生から許可をもらった。
「明日から、起きられたら、薬草畑に行っても良いですよ」
「やくとう?」
「まだ行ったことがありませんよね。お庭にあるのですよ」
呪いを纏っているので、外出制限がされていて、お庭にも出ることができなかったヨアキムくんの裏庭デビュー。早朝に起こされて、眠そうだったが、目を擦りながらオムツを替えてもらって、ヨアキムくんはファンヌに手を引かれて薬草畑に連れて行ってもらっていた。
「くちゃ」
「やくとうなの。おくつりになるのよ」
「やくとう、いっぱい」
「これ、まんどあごあ。まだちったいの」
前回植えていたマンドラゴラは、私が飼っている大根マンドラゴラ、蕪マンドラゴラ、じゃがいもマンドラゴラを除いて、全部街医者のビョルンさんにあげてしまった。たくさんの命が救われるのだと理解すれば、マンドラゴラは『死の絶叫』も上げず、抵抗もせず、ビョルンさんに貰われて行った。
「マンドラゴラって、じぶんのいしで、ひとのやくにたとうとするんですね」
「それは、イデオンくんのマンドラゴラだけですよ」
「え!?」
「他のマンドラゴラは、抜かれるのを嫌がって、薬剤にされるときなど、酷い『死の絶叫』をあげます」
私の知っているマンドラゴラと、普通のマンドラゴラは違うらしい。カミラ先生から聞いて私もファンヌもお兄ちゃんも驚いていた。
「魔術学校のマンドラゴラが大人しいのは」
「そっちが普通です。普通のマンドラゴラはこんなに踊ったりしません」
薬草畑のお仲間が早く成長する儀式のように、畝の前で踊っている大根マンドラゴラと蕪マンドラゴラとジャガイモマンドラゴラ。ファンヌの人参マンドラゴラは、すっかりヨアキムくんが気に入ったようで、ヨアキムくんと細い根が変形した手を繋いでいた。
「収穫はお手伝いできないけど、水やりはできるかな」
「わたくちの、ぞうたん、かちてあげゆ」
以前お兄ちゃんが買ってくれたブリキの象さん如雨露をヨアキムくんに貸して、ファンヌが水やりの方法を教える。如雨露に上手に水が汲めなくて、びしょ濡れになってしまったが、季節は夏で外は暑いし、ヨアキムくんは楽しそうに薬草に水を上げていた。
私は薬草の収穫を手伝う。お兄ちゃんはマンドラゴラに栄養剤を上げていた。
びしょ濡れになったヨアキムくんは、部屋に帰る途中で転んで、泥まみれになってしまった。
「ふぇ……いちゃい」
泣き出すヨアキムくんを、お兄ちゃんが抱き上げる。
小さな子が転んで、服が汚れてしまって、急いで部屋に戻らなければいけないから抱き上げるのはごくごく普通の行動だ。それなのに、お兄ちゃんがヨアキムくんを抱き上げたことに、私はなぜか胸がもやもやした。
「大丈夫? 怪我はない?」
「あい」
涙を拭こうとするとお手手も泥まみれなので、目に泥が入りそうで、お兄ちゃんがハンカチでヨアキムくんの顔を拭う。
それを見ていると、胸が痛くて、涙が出て来てしまう。
私のお兄ちゃんなのに。
お兄ちゃんにとって私は特別ではなくて、弟妹にヨアキムくんという子どものうちの一人でしかない。その事実を突き付けられた私は、泣くつもりはないのに、涙が出て来てしまって、俯いた。
「オリヴェルおにぃたん、ヨアキムくんは、わたくちが!」
「ファンヌが抱っこするの?」
「ヨアキムくん、すちから!」
首にかけていた魔術具を外したファンヌは、肉体強化の魔術がかかる。ヨアキムくんは、アンバランスながら抱き上げたファンヌに任せて、お兄ちゃんが私の方に近付いてきた。
俯いて隠しても、お兄ちゃんは私の涙に気付いてくれたのだ。
「イデオン、どうしたの? どこか痛い?」
「い、いたく、ない……いたくはないけど、わからないのに、なみだ、でちゃって……」
なんで泣いているのか私にも分からない。
お兄ちゃんはファンヌのお兄ちゃんでもあり、ヨアキムくんのお兄ちゃんでもあるという当然の事実が、なぜか私にはとても嫌だった。小さなファンヌやヨアキムくんに対して、そんな感情を抱いてしまう自分の醜さも嫌だ。
まさかお兄ちゃんも5歳の私が、自分が恥ずかしくて泣いているなんて思わなかっただろう。抱き上げられて、服の袖で涙を拭かれる。
ヨアキムくんの涙は呪いがまだ混じっているので、同じハンカチを使うのは、お兄ちゃんは配慮して袖にしてくれたのだろう。
「泣かないでいいよ」
「おにいちゃん……」
夏休みが終わらなければ良いとか、お兄ちゃんがヨアキムくんやファンヌでも抱き上げたら嫌だとか、5歳児の独占欲に、お兄ちゃんは辛抱強く付き合ってくれた。抱っこされて泣き顔で戻って来た私に、リーサさんは驚いたようだった。
「イデオン様が泣くなんて珍しい。何かあったのですか?」
「わからないの……」
「ずっと気が張ってたのかもしれないね」
両親を断罪してから、ビョルンさんが来て責め立てられるかもしれないと思った先日。確かに私は兄としてファンヌを守らなければいけないと、気を張っていたところがあった。
それにお兄ちゃんがヨアキムくんを抱き上げるということがあって、涙が出てしまったのかもしれないが、あまりにも甘えたで恥ずかしい。
「ないたの、カミラせんせいにはないしょにして?」
「分かったよ。約束する」
お兄ちゃんの言葉に安心して、その日は特別にお兄ちゃんのお膝に抱っこされて朝ご飯を食べた。物心ついたときにはファンヌが産まれていたので、こんな風に甘えてご飯を食べたことは、私には一度もなかった気がする。
お膝の上に座ると、お兄ちゃんの体温を感じて、私はほっとしつつも、この日々が終わらないで欲しいと、夏休みの延長を願うのだった。
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